【島津忠恒が上洛へ】1602年9月26日
【島津忠恒が上洛へ】1602年9月26日島津忠恒(家久)が日向細島を出帆、京都に向かう。歴史の教科書では点でしか教えないので、関ケ原の戦いで家康が天下を取った、となるがそんな単純では無い。単なる局地戦での勝利であって全国に波及してはいない。しかし老獪な家康は豊臣家から人事権を奪いジワジワと思い通りにしていく。しかし関ケ原で、家康本陣正面突破の島津、こちらは家康以上の老獪さで国境を接する加藤清正などを脅かし、和平をちらつかす家康の上洛命令も「道が悪い」などと意に介さない。商人の舟を使った薩摩沖での家康の舟を襲撃…2年粘った末に勝ち取った見事な交渉だった。この頃になると意固地な家康を家臣が説得すると言う、外堀まで埋まっていた #光る君へ #大河ドラマ