【伯耆中村家で内紛】1603年11月14日
【伯耆中村家で内紛】1603年11月14日
伯耆の中村忠一が老臣横田内膳村詮を殺害したため横田党が籠城し抵抗、出雲の堀尾忠氏が出兵しこれを鎮める。豊臣家の3中老と言われた中村と堀尾。秀吉の少ない譜代家臣に当たる。#司馬遼太郎「#功名が辻」では山内一豊との手柄争いが書かれている。関ケ原合戦の功績で加増転封された中村家だが、関ケ原の2か月前に一氏が死去、若き当主で家中は揺れていた。横田内膳は一氏の岸和田城攻めの頃、三好家家臣だった所を中村家に仕官した。戦功と人望もあり一氏の妹を正室にし一門衆となっていた。また狂信的な法華経信者でもあった。伯耆領内の寺院の知行が3000石だったが検地の所、それ以上横領していた事などを忠一が咎め没収、伯耆領内の商人を米子城下に集めたりと、新領主の行政には不満が多かった。 #光る君へ #大河ドラマ