【島津義弘が戦場脱出に成功】1600年9月16日

【島津義弘が戦場脱出に成功】1600年9月16日
島津義弘が関ヶ原の戦場から脱出して時村に至り、近江水口を経て大坂へ向かう。また東軍が関ヶ原から石田三成の本拠佐和山城に向かう。有名なこの撤退戦はたったの800の軍で家康本陣への中央突破を敢行すると言うもの。義弘は家康から伏見城の警護に入る要請を城主鳥居元忠が拒否、憤慨した義弘は西軍へ身を投じた。しかし本国は中立を守っていた為、寡兵しか集まらず、しかも西軍の指揮下にも入って居ない状況。しかし戦の趨勢は決まり関ケ原に取り残された義弘は命を捨てて名を選んだ。800の兵は島津の「すてがまり」と言う数人単位で殿に留まり、追撃を命がけで食い止める恐怖の戦法で、義弘が薩摩に着いた時50名に減っていたと言う。恐怖で家康の心胆寒からしめた。 #どうする家康

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