【犬伏の別れ/家康が会津へ】1600年7月21日
【犬伏の別れ/家康が会津へ】1600年7月21日
真田昌幸・信幸・信繁(幸村)親子が石田三成の密書を受け取り下野犬伏で談合、東西両軍に別れる。一方、徳川家康が江戸を出陣、会津へ向かう。ドラマなどでは劇的な決別の様に描かれますが、当時最優先課題は家の存続、当然の流れです。特段この時に突然決めた事でも無く、信幸には徳川四天王本多忠勝の娘、幸村には大谷刑部の娘が嫁しており、豊臣政権譜代とNO1実力者に分けて家の命運を託していました。 #どうする家康
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