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【伊達政宗が大崎・葛西一揆鎮圧へ】1590年10月26日
【伊達政宗が大崎・葛西一揆鎮圧へ】1590年10月26日
伊達政宗が陸奥の大崎・葛西一揆鎮圧に向け米沢城を出陣する。この事件は有名な鶺鴒の花押に繋がる。前年の小田原の北条征伐、元々北条と同盟関係だった政宗の東北から見た秀吉は、伊達北条徳川の同盟が機能すれば、秀吉を倒す事は不可能では無かった。しかし早々に家康が脱落、もはや秀吉に恭順しか無かった屈辱を味わう。打ち首寸前を持ち前の胆力で乗り切り、その派手な振舞と武将としての器量を気に入った秀吉は領地削減と転封で許す。しかしそこは23歳の若き独眼竜は全く天下への牙を隠しただけだった。領地没収された牢人を裏で扇動、秀吉の切り札の蒲生氏郷を雪の中孤立させ、あわや全滅寸前の追い込むが、一転不利と見るや一揆勢を討伐した。その際一揆勢加担を交した書状が秀吉に持ち込まれ状況は最悪の謀反人となった。状況から政宗謀反は確実だったが、その書状と前に差し出した書状には決定的な差が有った。政宗の鶺鴒(鳥)を模した花押(武将を特定するサイン)の目の部分にはかつて差し出した書状全てに針の穴を開けてあったが、一揆勢あての書状には開けてなかった。これが証拠となり無罪放免となる。無論秀吉は全てお見通しだったが23歳にしてこの冷静、狡猾な逸材を使いこなしたいと思ったのだろうか #光る君へ #大河ドラマ
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