【花倉の乱】1536年6月10日

【花倉の乱】1536年6月10日
今川家の家督相続争いで、弟の梅岳承芳が兄の玄広恵探を花倉城に攻めて勝ち、承芳は家督を継ぎ今川義元を名乗る。兄氏輝と嫡男が同じ日に突然死。家中は大激震となる。明らかな謀略と騒然、「足利倒れれば、吉良、今川」と言われた名門。暗躍したのは先代正妻寿恵尼と軍僧太源雪斎。僧籍の梅岳承芳(義元)を還俗させる。ここで側室腹の玄広恵探が反乱を起こし、骨肉の争いとなり、ここに武田信虎が恵探派の福島越前守と結び、お家騒動に介入した。しかし太源雪斎はその情報を得て、武田信虎と条件交渉、嫡男晴信の正妻に高位公家三条家から迎える事を確約し、介入阻止し勝利した。太源雪斎は桶狭間の戦い直前に死去、生きていれば結果は違うかもしれない #どうする家康

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