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文化12年(1815年)10月29日は井伊直弼の誕生日。

文化12年(1815年)10月29日は井伊直弼の誕生日。
ご存知、桜田門外の変で殺されますが「安政の大獄が酷かったから仕方ない」と、さも暗殺が正しいかのように描かれがちです。
しかし、外交にせよ政治にせよ、実際は適切な処置をした、優秀な大老とも言えます。
フィクションで付けられてしまう傲岸不遜なイメージ。徳川四天王の、近江の彦根藩第11代当主・井伊直中の14男として生まれました。養子に出るか部屋住み穀潰しとして一生終わるかの状況、直弼の住まいは、「埋木舎」と呼ばれました。しかし直弼は文武に優れ風雅にも通じ優秀だった。転機は32歳、藩主の兄が世継ぎの無い状態で急死。養子に出ていなかったのは直弼だけだった。突然の藩主就任、しかし32万石大守は兄たちの悪政で荒廃していた。15万両を領民に分配、有能な下級家臣を登用し藩政改革をする。京にも近く徳川家守護神の家柄、風雅に通じ「ちゃかぽん (茶、華道、能の鼓の音)」とあだ名される外交力も高かった。実際は苦労人の名君で高位の人にも愛され領民に優しい人だった #光る君へ #大河ドラマ

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