【毛利輝元、秀就を江戸へ】1601年9月28日

【毛利輝元、秀就を江戸へ】1601年9月28日
毛利輝元が子の秀就を江戸へ人質として差し出す。この頃島津は家康に逆らう意志は見せない物の、「遠い」「道が悪い」「金が無い」などとごねまくって上洛をしなかった。加藤清正などに出兵を命じ、薩摩国境まで進軍させるが、恐ろしく堅牢に閉ざされた国境線に手も足も出ない。家康も出馬を考えたが、伊達や上杉もまだまだ油断できず動けない。同じ西軍の将、毛利輝元は完全に家康の恫喝に恐れをなし、領土削減人質の差出など無条件降伏した希代の凡将であった。輝元には長らく男児がおらず、一族から秀元を養子に嗣子としていたが、この秀就は家臣の妻を略奪して儲け、秀元を廃嫡として嫡子とした。どこまでも凡将 #どうする家康

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?