尼子勝久自刃、山中鹿介降伏】1578年7月3日

尼子勝久自刃、山中鹿介降伏】1578年7月3日


吉川元春・小早川隆景が上月城開城に際して尼子勝久以下十余名の自刃を迫り、勝久らは自刃し山中鹿介は降伏する。毛利への最前線は信長包囲網の最前線でもあり落城、この時の毛利は足利義昭を鞆の浦に迎え包囲網の大将の立場、小早川隆景は総勢5万を三方に分け山陽山陰瀬戸内海を並進させる網を張る。そして不倶戴天の敵尼子、その八つ裂きにしても足りない山中鹿之助を生け捕りに成功、しかし過去には護送中に脱走された経験があり吉川元春は降伏後にだまし討ちにした。首実験した隆景「やっと会えたな」言ったと言う。このおぞましい毛利の恨みを恐れた遺族は武士を捨て商人となる。その末裔はゼネコン鴻池組として今に伝わる #どうする家康


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