【大内義隆、陶隆房謀反の噂に参詣を中止】1550年9月19日
山口の仁壁・今八幡両社例祭に参詣予定の大内義隆が、陶隆房謀反の噂が流れて参詣を中止する。義隆は平安貴族に倣って牛車に乗り束帯直垂を計画していた。武士の正装は束帯衣冠であった。主君の貴族趣味に絶望した陶隆房は所領の若山城に引き籠っていた。この時点でもはや関係修復は不可能な事は明白。しかし義隆は何も準備をせず、陶隆房の謀反に簡単に倒された。武将に最も重要な素養の反実仮想が出来なかった。「もしも」「最悪のシナリオ」の準備は一戦で死に至る武将には必須だった。負けに不思議の負けなし #光る君へ #大河ドラマ