正慶2年/元弘3年(1333年)5月22日、鎌倉幕府は滅亡しました。
正慶2年/元弘3年(1333年)5月22日、鎌倉幕府は滅亡しました。
と、滅亡とは簡単に言いますが、一体どんな流れで滅びたのか?
北条家サイドから見て注目は北条高時(14代執権)でしょう。彼の治世が影響して滅亡に追いやられたと考えられます。
最期は一族を引き連れ「腹切りやぐら」で切腹します。後醍醐天皇の蜂起で畿内の混乱を平定しに関東軍が西進、鎮圧したが北条への不満は収まらない。隠岐を脱出した天皇に呼応し足利尊氏も蜂起、関東では新田義貞も蜂起し僅か1か月で鎌倉陥落150年の幕府滅亡となった。北条家菩提寺東勝寺で集団自決で「腹切りやぐら」と呼ばれます。今だに亡霊伝説があります #大河ドラマ #坂の上の雲
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