見出し画像

寛弘7年(1010年)1月28日は藤原伊周の命日です。

寛弘7年(1010年)1月28日は藤原伊周の命日です。
かつては【長徳の変】で失脚して、道長に負けた人――ぐらいの認識でしたが『#光る君へ』の放送で一気に知名度が高まりましたね。
呪詛の木札を喰らう三浦翔平さんの姿があまりにもインパクトが大きいものでした。
果たして伊周は史実でも道長に憎しみを抱いていたのか?
和歌も、漢詩も、笛も、弓も、貴族に必要なことは全部でき、加えて妹の藤原定子は一条天皇に寵愛される、眉目秀麗の貴公子。しかし関白になれなかった事から運命が暗転する。弟隆家と起こした長徳の変、花山法皇暗殺未遂と言う大事件で完全に失脚する。しかし道長の系譜も道兼「七日関白」と言う毒殺が疑われる怪しげな事件も続発し、決して万全ではなかった。『栄花物語』では「心の幼い人」と書かれた伊周。 #べらぼう #大河ドラマ

​​​​​​​

いいなと思ったら応援しよう!