【福島正則、川中島へ減封】1619年6月9日
【福島正則、川中島へ減封】1619年6月9日
江戸幕府が広島城無断修築の罪で福島正則を信濃川中島へ減封、蟄居させる。秀吉子飼の代表格、粗暴な戦国大名イメージだが治世に抜かりなくいち早く徳川政権に馴染んだと言える。凡庸な印象の秀忠、しかし改易大名数は最も多く正則はターゲットにされた。台風で損壊した城の修築を本多正純に提出、しかし幕府内の権力闘争で正純は失脚後だったのを知らず、握りつぶされ城の破却命令、面子を潰された正則は命令を軽視し改易の憂き目に遭った。現代にも通じる権力闘争と豊臣家滅亡後の象徴的大名のスケープゴートと言える。 #どうする家康
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