寛文元年(1661年)7月29日は徳川家康の末男(11男)である徳川頼房が亡くなった。

寛文元年(1661年)7月29日は徳川家康の末男(11男)である徳川頼房が亡くなった。徳川斉昭などを輩出し、幕末では独特の存在感を放った水戸藩。頼房はその藩祖であり後の水戸藩の流れを作っていきます。慶長8年(1603年)。関ヶ原の戦いが終わった後、大坂の陣までまだしばらく年数がある時期でした。兄・徳川秀忠の息子である徳川家光が頼房の一歳下であり、これは後に水戸家の立ち位置を決める要因にもなります。頼房は、幼い頃から賢女として有名な家康の側室・お勝の方の手元で養育されました。これは特例で高齢な家康は頼房の将来を考え、成人するまで存命しない事を考え、全国から優秀な学者や家臣を集めました。水戸学や国学の起源、そして光圀の大日本史、幕末の天狗党などは家康の深慮遠謀だったのです。 #どうする家康

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