【家康、柳生宗厳のもとへ宗矩を走らす】1600年7月29日
徳川家康が大和掌握を策し、柳生宗厳のもとへ書状を認め子の宗矩を走らせる。柳生一族と言えば小説などで「野望」「復讐」など陰謀を画策や阻止、又は暗殺などの諜報活動をする影の一族のイメージですが、実際は全く違います。宗厳(石舟斎)秀吉に領地没収され牢人に、宗矩は家康に仕えます。柳生流剣術の使い手として秀忠の兵法指南役となり、関ヶ原合戦後、家康の畿内統治の要として大和1万石で復帰を果たします。宗厳は家康に反抗も恭順もせず独立を貫き「石舟斎の石の舟は沈まず」と言わしめられた #光る君へ #大河ドラマ