【北条氏秀越後へ】1570年4月25日
北条氏康が上杉謙信に和を求めて子の三郎を送り、謙信は三郎を景虎と名乗らせ養子とし長尾政景の娘を娶す。氏康は桶狭間の戦い後の政局を睨み、宿敵上杉謙信との和睦を計る。これはかなり氏康は譲歩した形。人質も一方的に出すだけで上杉には求めなかった。普通に考えれば関東管領上杉謙信はこの申し出は認めないと思うが、義の武将は和を求める者は拒否しないと氏康は考えた。思惑通り越相同盟は果たされた。そしてこの氏秀(景虎)は謙信亡き後、御館の乱を起こし、上杉を窮地に落とし入れた。 #光る君へ #大河ドラマ