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【鳥取の干殺し】1581年10月25日

【鳥取の干殺し】1581年10月25日
羽柴秀吉が兵糧攻めにより鳥取城を落とし、城将吉川経家は城兵の命と引き替えに自刃。享年35。城攻めの秀吉と言われ戦で最も難しい攻城戦を得意とした。これには信長も絶賛しており重宝された。しかし家中では、力攻めの戦を避ける秀吉に「臆病者」と謗る風潮もあった。秀吉は農民出身なので譜代家臣が少なく、戦で兵を損じる事を極端に嫌った。鳥取では城攻めのの半年以上前から、秀吉懇意の商人を派遣し、相場の2倍で買い取った。城では大事な兵糧米まで売る者まで出て、兵糧攻めの前準備は完璧だった。1年は籠城可能とされていたが僅か3か月で兵糧欠乏で崩壊した。城兵は落城後に急に食事を大量にしたため、せっかく生き残っても死んでしまった者が続出する地獄絵だった。対毛利の作戦参謀は全て黒田官兵衛の施策だった #光る君へ #大河ドラマ


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