【加藤清正死去】1611年6月24日

【加藤清正死去】1611年6月24日
加藤清正が居城の熊本城で病没、毒殺の噂が流れる。享年50歳。家康と秀頼の二条城での対面の付き添い大役を終え、熊本への船中で発病、数日後に死亡と言うセンセーショナルな内容。家康は秀頼を「大将の器」と見てそれまで豊臣存続から討伐へ傾いた。結果対面は逆効果だった。関ケ原は豊臣恩顧の西国大名が主力を担い、当時の幕府はまだ東国政権の色合いだった。西国不介入の懸念は清正の死で変化する。 #どうする家康

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