【朝倉義景が従四位下に】1559年11月9日
朝倉義景が従四位下に叙せられる。朝倉は戦国で唯一守護代から守護になったと言う下剋上を平和的に行った。謙信の長尾家も守護代だったが、上杉家相続後に守護と関東管領になった。通常の武家は従五位下、足利将軍で従四位上なので朝倉家は家格に於いては、吉良や今川以上と言える。今のイメージでは日本海側は「裏日本」的だが、当時は全く逆で、海運や貿易は日本海側が主だった。大陸にも近く越前は繁栄し、律令では「上国」とされていた。その後足利義昭や織田信長などと関わり、歴史のメインに巻き込まれていく #光る君へ #大河ドラマ