【家康、毛利輝元に本領安堵状/和賀の乱】1600年9月19日

【家康、毛利輝元に本領安堵状/和賀の乱】1600年9月19日
徳川家康が、大坂退去を条件に本領を安堵する旨の本多忠勝・井伊直政連署の書状を、黒田長政らに持たせ大坂城の毛利側に伝える。一方、陸奥の前和賀領主・和賀忠親らが一揆を起こす。戦争は事後処理が全て、ここでも毛利輝元と家康の格の違いが顕著。家中もまとめられず、大坂の秀頼の出馬の説得も出来ず、局地戦で家康に完敗、事後処理でも家臣に身上を一任して交渉もせず、大坂の大軍勢はむなしく帰国。しかもそのすべてが計略で家康の難癖に滅亡の危機、それでも国境を閉ざし軍勢を整え一戦交えるとも言えない。どう考えても戦国一の凡将 #どうする家康

​​​​​​​

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?