【本多忠勝が桑名城主に】1601年2月3日
本多忠勝が伊勢桑名城主となる。家康は西国から江戸が攻められるとしたら、いくつかの防衛拠点を想定していた。井伊家の彦根、藤堂家の伊勢、そして桑名、尾張名古屋、駿府だった。そこには譜代や一門の重鎮を置いた。この反実仮想力こそが家康の賢人たる所、小早川隆景の朝鮮の役での撤退策を見習ったとも言われる。家康は学問にはこだわりなく取り入れた。また宗教も対立していた真言宗天台宗も双方政治顧問に迎えている。「家康に過ぎたるもの」と言われた忠勝、しかしその後の本多家は転封を繰り返し太平の世には活躍しなかった #べらぼう #大河ドラマ