【中編小説】乳は銃より強し。(1/4)
架空小説一話とは、架空の小説の第一話を書いてみると言う企画です。→企画でしたが、正式に続きました。
見上げると、黒いバラクラバ帽を被った大柄な男がしゃがみこみ、息も荒く震えながら両手で拳銃を握りしめていた。
私は床に転がりながら今日が命日かなと遠い心で考えている。
それにしても結束バンドが手首に食い込んでじんじんと痛い。
乱暴に放り出されて床に叩きつけられた肩も痛い。もちろん、こんな酷い扱いを受けた心も痛い。
私は汚れ一つ無い、真っ白な天井を見上げた。
見慣れた勤務先の銀行に何も目新しいことは無いが、こんなにも天井をぼーっと眺め続けるのは、勤め始めて6年目にして初かも知れない。
どうしてこんな目に合っているのだろう。
白いブラウスと赤いチェックのベスト、タイトスカートというつまらん制服に身を包み、黒い髪を後ろでひっつめ、眼鏡をかけた私は、どこからどう見てもしがない銀行員Aだ。
まあ、私の名誉のために言っておくと、私の中で燦然と輝く唯一の素晴らしいパーツは、早大卒の頭脳でも、銀色の舌でもない。
それは乳だ。
念のためもう一度言おう。
それは、乳だ。
堂々たるFカップ。形にも自信がある。誰にも言ったことはないけど、聞かれたらあらゆる意味で胸を張って発表するつもりだ。ただし今現在私の可哀そうな乳は、全ての個性を殺すクソ制服のせいで全く目立たない。
乳だけが取り柄の地味な私が、この銀行強盗劇に巻き込まれ、唯一の人質と化しているのは――
もしかして、乳のせい?
私の美しい乳が大活躍して、事件を華麗に解決する運命にあるとでも言うのか。でも残念ながら、私の乳は漫画のようなミサイル機能を備えていないので、この銀行強盗を一撃にして粉砕することは難しいけど大丈夫かな?
ああ、今にして悔やまれる。どうして私の乳はミサイルじゃないんだろう。きっと貯金をはたけば、NASAとかで施術してもらえたはずだ。たぶん。
そもそも、どうしてこうなったんだっけ?
確か――勤務中に上司とホテルにしけ込んだビッチ、もといお局の代わりに窓口に立っていたら、あれよあれよと「金を出せ」などと脅されたのだ。笑顔で通報ボタンを連打していたら思ったより早く警察が到着し、そのまま流れで人質に取られ今に至る。
それにしても、この結束バンド締め過ぎじゃない? 手首から先の感覚が無い。障害が残ったら労災が下りるんだろうか。ああ、きっと下りる。加えてお局を訴えて賠償金を取ろう。全部あの腐れビッチのせいだ。
ちょっとでも快適な姿勢になるべく体をくねらせたら、すかさず怒声が飛んでくる。
「動くんじゃねェ!」
一瞬、耳元で何か爆発したのかと思うような声だった。
私は顔をしかめながら、強盗を刺激しないようそっと口を開く。
「あのー、結束バンドがキツ過ぎて、血が止まってて……」
「黙れって言ってるだろ!」
またしても鼓膜が破れそうな声で怒鳴られる。耳を塞ぎたいのに、塞ぐ手はうっ血寸前。中国雑技団よろしく足で耳を塞げたらいいのに。あまりの気味悪さに男は逃げるか、悪ければ私を殺すだろう。
私は床に転がった姿勢で無理に首を動かし、男を観察した。
バラクラバ帽をかぶっているので顔は分からないが、2メートルはあるんじゃないかという巨体で、かなり筋肉質だ。下半身は使い古したスニーカー、ベージュのダボっとしたパンツ。上半身はタンクトップに迷彩柄のジャケットを羽織っている。ちらりと覗く肌は小麦色だ。
彼は極度の緊張のためか、小刻みに震えていて息が荒い。すぐ足元に転がっている私は、汗の匂いまで嗅げた。その状態で黒光りする拳銃を握りしめ、しかも引き金に指をかけているものだから、危なっかしくてしょうがない。
しかも、どうやら命の危機に瀕している私よりもずっと動揺している。見た目に反し、センシティブな男性なのかもしれない。だっていたいけな女性である私自身は、汗一つかいていないのだし。
しばらく静かにしていると、彼はブツブツと何やら呟きだした。
「どうしてだ、どうしてだよ……」
何か困っているらしい。
そこで私の灰色の脳細胞がひらめいた。
彼氏から借りた漫画で読んだことがある。誘拐とかなんかされた時は、犯人とコミュニケーションを取るように試みた方が良いようだ。会話することで対等な人間として認識されると、殺しづらくなるそうだ。
まあ、サイコパスでなければ。
サイコパスは共感力が無いので、何があっても他人を対等と考えることはない。この銀行強盗がサイコパスだったらお手上げだが、そもそもサイコパスはこのような状況で動揺することはない。コミュニケーションを取る価値はあるだろう。
一瞬、この状況である程度冷静な私の方がサイコパスなのではないかという疑惑が脳裏を過ぎった。……気のせいだろう。
でも、気を付けないと。極度の緊張状態にある、拳銃の引き金に指をかけた男だ。怯えた子猫に話しかけるようにそっと話さないと、私の頭が粉みじんになりかねない。
「あのぉー……お困りですか?」
恐る恐る、小さな声で問いかける。
男は即座に舌打ちし、腕を振って私の顔に銃口を向けた。
藪蛇だった!
体が強張り、反射的にのけ反った。震える真っ黒な銃口から目が離せない。あそこから鉛玉が発射されて、私の頭は粉々になって――ああ、神様! せめて乳だけはきれいな形で残ると保証してください! 解剖医が「今まで見た中で一番の完璧に美しい最高の乳だッ!」と思わず叫ぶ栄誉を私に与えてください!
私は現実逃避をやめて無理やり銃口から視線をはがし、まつげ越しに男の顔を見上げた。ごくりと唾を飲み、唇を舐める。
ほとんど唇を動かさず、かすかにささやいた。
「私を殺したら、警察が突入してきますよ」
男はますます息を荒げる。私に突き付けられた銃口がカタカタと揺れる。
「落ち着いてください。お互いのために、リラックスしましょう。息を吸って――」
アイコンタクトを保ったまま大きく息を吸う。すると男も、苦しげに胸を膨らませた。
「吐いて――」
ふー、と大げさに息を吐くと、男も息を吐く。
私たちはしばらくの間、奇妙な深呼吸セッションを続けた。
それから男はやや震えがおさまった様子で、思い切ったように銃口を下げた。
ああ、良かった。死ぬかと思った。ひとまず胸を撫で下ろす。
「それで、何にお悩みでしたか?」
改めて男の目を見ると、苛立ちが伝わって来る。
「お前には関係ない」
「まあ、でも、私は関係者ですよ。今や運命共同体と言ってもいいかも知れません。そうだ、まず挨拶ですよね。名前。私は、水守和歌です。あなたをなんて呼べばいいですか? あ、本名はやめてください。知り過ぎて口封じされたくないです。あだ名とかでお願いします」
男は呆れているようだった。
「なんなんだお前は」
「ご存じのように、『なんなんだお前は』は人の名前ではないと思います。何か他の――」
「司だ」
「はい、司さん、何にお悩みでしたか?」
「何に悩んでるかだと――この全てだ!」
司と名乗った男は、背にしたカウンターを殴りつけた。鈍い音が響く。
私たちは、窓口カウンターの裏手に転がり、あるいはしゃがみこんでいた。カウンターから頭を出せば、入り口の自動ドアが見えるだろう。そしてその向こうには盾を構えた屈強な機動隊と、どこからこれだけ? と不思議になるほどわんさか集まったパトカーが控えている。
私には心強い光景だが、強盗からすれば地獄の光景だろう。
「でも、こうなると思って準備されてたんじゃないですか?」
私が素朴な疑問を投げかけると、司はかぶりを振った。
「こんなはずじゃなかった。警察が来る前にとっくに逃げてるはずだった。クソ! 奴ら早すぎる!」
私は目を逸らした。
「まあ、あなたが当行に入ってこられた時点で、気の早い行員が早押しボタンのごとく通報ボタンを連打したかも知れません」
男は目を剥いた。
「なぜだ!」
「だって2メートルぐらいある大男が、帽子とマスクをして一直線に窓口に向かってきたんです。恐怖に駆られてもおかしくありません」
男は首をひねった。
「その話に出てくる、気の早い行員とはお前か?」
私は黙り、パチパチとまつげをぶつけて男の目を見つめる。
拳銃を持った男の腕が徐々に、プルプルと上がり始めた。
私はさらに瞬きしたが、どうやら私のマスカラで盛った目元の攻撃力はゼロみたいだ。やっぱり私には乳しかないのか。
冗談を言ってる場合じゃない。私はそっと口を開いた。
「ごめんなさい。悪気はありませんでした」
「この際、悪気が問題じゃない!」
「ああ、司さん。許してください。他に人質がいれば良かったのですが、あなたの命綱たる人質は私一人です。だって、どさくさに紛れて私以外の行員は逃げ出しましたから」
「それもおかしい。俺がお前の前に立った瞬間、誰もためらわず客を引きずってゴキブリみたいに逃げ去った。銃を出す前だ!」
「実は、本支店は実質的に、キワモノ認定された行員が最後にたどり着くラストリゾートなのです。それで、みんな自分のことしか考えてないので、身の危険を感じたら一目散に逃げ去ります――あ、勘違いしないでくださいね。私はキワモノじゃありませんよ。もちろん」
「お前が一番のキワモノじゃないのか!?」
司は頭を抱える。
心外だ。この支店で一番の常識人は私なのに。
司は舌打ちし、私を苛立たしげに見た。
「次に! 俺がカバンを渡してここに金を入れろと言ったら、お前は百万だけ入れて戻って来たな」
もし両手が自由だったら、私は外国人のように肩をすくめただろう。
「だって、いくら入れて欲しいとは言わなかったじゃないですか。とりあえず百万円あれば美味しいものでも食べられると思って」
「馬鹿にしてんのか!? 相場はカバンいっぱいに金を入れるだろう!」
再び銃口が私に向いた。一瞬身を強張らせたが、彼はもう引き金に指をかけていない。少なくとも、今は。
ゆっくりと呼吸し、首を振った。
「命がけで人を馬鹿にする人がいますか?」
「その初事例を見ていると思う」
「いやほら、銀行強盗は初めてなので、気が動転して」
「落ち着き払った顔で何言ってるんだ?」
「顔に出ない方なんです」
私たちはたっぷり数秒間、見つめ合った。司は疲れたようにため息をついて、腕を下ろす。
私は止めていた息を吐いた。
「それで揉めてるうちに、警察が到着してこの有様だ。この状況全てがクソだ。腐ってやがる」
司は横を向き、唾を吐いた。下品だ。
「司さん、クソなのはこの結束バンドです。見て、私のもみじのようだった手が紫色になってきました」
私は結束バンドで結ばれた両手を上下に振った。可哀そうな私の手はもう感覚がなく、血の気のないゴム手袋をぶらさげているようだ。
司は視線を下げて私の手を見ると、鼻を鳴らした。
「いい気味だ」
「万が一捕まった時、このケガが元で私が死んでたら、強盗致死とかになって、最悪死刑も見えてきますよ」
司は忌々し気にシューシュー音を出し、ポケットからサバイバルナイフのような物を取り出すと、銃を慎重に後ろへ置いた。それから私の腕を掴み、結束バンドにナイフをあてて、ぴたりと止まる。
司は私に鋭い目を向けた。
「少しでも動いたら指を落とす。安心しろ。止血用の結束バンドはいくらでもあるからな」
彼は掠れた低い声で言った。結構いい声してるな。
私は震えないように体に力を入れ、なんとか口角を上げた。
「石のように動かないことを誓います」
司は数秒間私の表情を探った後、納得したのか、私の結束バンドの隙間にナイフの先を入れる。ナイフの背が肌に当たり、氷のように冷たい。それはぞっとしない感覚だったが、ほどなくして、虚しい音を立てながら忌々しい結束バンドの残骸が落ちた。
「ありがとうございます」
私は全く感覚の無いままの手のひらを見つめた。しばらくして急にそれが熱くなり、血が一気に流れ込んだのが分かる。急にチクチクしてきたので動かそうとするが、ピクピク痙攣するだけだ。
司は慎重に私を見ながら後じさり、ポケットから新たな結束バンドを取り出すと、こころもち緩く私の手首に巻き付けた。それからナイフをしまい、代わりに銃を拾う。
彼は敵を前にした獣のように私を観察していたが、しばらくして納得したのか、元の位置に腰を下ろした。
うーん、なんとなく最初よりも友好的になってきたような気がする。
今こそ、満を持して私の秘密兵器が炸裂する時なんじゃないだろうか。
私は咳払いした。司の忌々しげな視線が私に突き刺さる。
「緊張して熱が出て来たのか、熱いんですけど……」
「良かったな」
「ちょっと息が苦しいんです」
「そのまま死んでくれ」
「胸元を緩めてもらえませんか?」
「自分でやれ」
「結束バンドの後遺症で手がしびれてるんです」
「俺は片手がふさがってる。銃を手放させようって気なら――」
「いや、だったらもうボタンごと引きちぎってください。ベリッと。本当に苦しいんです。呼吸困難で死ぬかもしれません」
私はハァハァと舌を出した。自分的にはセクシーなつもりだ。それなのに司の視線はツンドラを思わせる冷たさだ。彼は一言だけコメントした。
「死にかけの犬のマネはやめろ」
私はちょっと泣きそうになった。やっぱり私には乳しかないのだ。何度目か分からない決意を新たにし、横たわったまま少しだけ胸を張った。
「さあ、お願いします」
司は可哀そうなものを見る目で私を見る。
「本気で言ってるのか? 次は俺をレイパー呼ばわりして責める気だろう」
「そんなことしません。本当に苦しいんです。ハァハァハァ」
司はどうやら私の相手を続ける面倒臭さと、要求を聞くリスクを秤にかけているようだった。彼はしばし天を仰ぎ、何かをぶつぶつ呟いた。私の勘違いでなければ、神に祈っていたかもしれない。
なんで? まだギリ20代の乙女と言えなくもない女性が、胸元を緩めて欲しいと懇願してるんだけど? 神に対して感謝以外捧げることがある?
司はなるべく顔を逸らしながら、空いている左手を私の胸元にのばす。ちょっと震えているような気がする。もしかして、嫌悪に? いや、違う。多分、喜びの震えだろう。
司は手袋に包まれた大きな手で私のブラウスを掴み、力を入れて引っ張る。首の後ろがシャツの襟に圧迫されて少し苦しい。耐えていると、彼はさらに力を入れ、ブチっと鈍い音が響いた。
おお、これでセクシーな感じに……!?
期待もあらわに自分の胸元を覗き込むと、そこにはなんとも残念な光景が広がっていた。私が期待していたのはボタンがはじけ飛び、胸元が露になったセクシー和歌ちゃんなのに、糸だけがだらりと伸びて、ボタン自体は強固にその場にとどまっている。かろうじて胸の谷間は見えているが、哀れでセクシーな女性というより、「胸を搔きたくなったけどボタンを外すのが面倒で横着したら伸びちゃったテヘペロ」みたいな残念な光景である。
クソっ! これじゃお色気大作戦がおじゃんだ!
私が絶望していると、咳払いが聞こえた。
顔を上げると、手を引っ込めた司が微妙に顔を背けている。
これは……もしかして、照れている? 脈あり?
というか、この強盗さんはまさかまさか、乳派か……!?
私の頭に、彼氏の卓也に関する忌々しい記憶が蘇った。
まあ彼氏と言うか、卓也とは合コンで出会い、何度かデートして、定期的にベッドを共にしている仲だ。私の中では暫定的に彼氏になっているこの男は、どうしようもない尻派の急先鋒だった。
なんせ、私が服を脱ぐと彼は私の愛すべき可憐な乳をガン無視して毎回尻に飛びつく。そして私の平たい尻にがっかりして眉を下げる。そんなに尻が好きなら、なんで私と付き合ってるんだ?
尻星人は尻ランドに帰れ!
私は以前から尻派を蛇蝎のごとく憎んでいたが、卓也と付き合いだしてからもっと嫌いになった。尻がなんだ。尻なんて脂肪の塊じゃないか。
ねえ、なんで乳が膨らんでるか知ってる!? 夢と希望に押し上げられてるからだよ!
そして、目の前にいる強盗犯はどうやら乳派である。この状況で、人生最後に会う男性が、乳派。ある意味運命の人と言っても過言ではない。
私は急に、まだ目を逸らしている司の素顔が気になった。
彼はなんで銀行強盗に至ったのだろうか?
そしてもっと重要なこと。彼はイケメンなのだろうか?
人生最後に出会う男性が、乳派で、イケメン。女子にとって、これ以上のことがあるだろうか。いや、贅沢は言わない。せめてフツメンであってくれ。
私は芋虫のように司ににじり寄った。
司は悲鳴じみた声を上げてのけ反る。
失礼な。妙齢の女性ににじり寄られて、悲鳴を上げるとはなんだ。
「き、気味の悪い!」
司が何か言っているが、私は聞かなかった。先ほどまつげをぶつけても効果が無かったので、上半身を逸らせて胸の谷間を強調してみる。どうだ、私の素晴らしい乳から燦爛たるオーラが放射されているであろう! 崇めよ!
実際、あからさまに司の視線が泳いだ。
私は咳払いして、口を開いた。
「そのバラクラバ帽、取ってください」
「はァ?」
私はさらににじり寄った。
「ほら、息が苦しくないですか? 蒸れません? そろそろ鼻の頭が痒くなってくるはずですよ」
司は引きつったような笑い声を上げた。
「自分が何言ってるか分かってるのか? 死にたいのか?」
私は目を潤ませて、わずかな効果を狙いまつげをぶつけてみる。
「だって、どうせあなたはこの後、逃走用の車両かなんか用意させて、それで私にえっちなことをしたあげく殺して山に捨てるんでしょう?」
「本当にそうしてやろうか!?」
私は無視して続けた。
「だったら、最後に見る人の顔ぐらい見たいと思うんです」
「見るのは殺して捨てる時でいいんじゃないか?」
まあ、確かに。
私は一瞬押し黙った。
でも私は死にたいわけではない。
目を伏せて、わざとらしく咳払いした。
「……とにかく、警察には絶対、あなたの顔について話しませんから」
「何が目的なんだ?」
司はうんざりした声で呻いた。
「まあ、それはその。魚心あれば水心と言うか」
司は頭の辺りを搔きむしり、大きな声を出す。
「はっきり言え!」
私は口を尖らせ、わずかに目を逸らし、小さな声で言う。
「いや、その……イケメンかどうか知りたくて」
「はァ!?」
司は今までで一番の、絶望に満ちた声を上げる。
私はさらに這い寄って距離を縮めた。
「チラッとでいいんですよ。チラッとで。言ってみればそう、先っぽだけ」
「まずバラクラバの先っぽの概念が何かを説明しろ!」
司は天を仰いで叫んだあと、ハァハァとフルマラソンを走った後のような息切れの症状を呈する。
多分、私の谷間に興奮しすぎたのだろう。もうすぐ鼻血を流すかもしれない。
「ああ、もう面倒だ! お前と話してると頭がおかしくなる!」
司は乱暴な手つきでバラクラバ帽を引きずり上げた。
その瞬間、私の心臓が止まったと断言してもいい。
茶色い巻き毛から汗のきらめきが飛び、なめらかな浅黒い肌が露になり、描いたような顎のライン、噛んでみたくなるような唇、少し大きめの鼻が現れる。セクシーな厚いまぶたから覗くわずかに赤みがかった瞳が、どこか外国人とのダブルなのだろうと悟らせる。年の頃は、同じくらいに見えた。
私は天を仰いだ。目元が熱くなり、瞳が潤いを増していく。
神様、感謝します――! 乳派の彼はイケメンでした。
やはり、乳は世界を救うのだ。乳こそ、正義なのだ。
「これで満足か? もう勘弁してくれ」
司は疲れたように言いながら、バラクラバ帽を元に戻そうとする。
私がさらににじり寄り、ほとんど司のスニーカーに触れるぐらい近寄った。彼の顔はほとんど恐怖に引きつり、喉からえずくような音を出している。
私は今日初めて落ち着いた様子を崩し、声を上ずらせた。
「いやいやいや、あなたみたいな人が私利私欲のために強盗なんてするはずありません。何か複雑な事情があるんでしょう? こう、すごく治療にお金のかかる病気のお母さまがいらっしゃるとか」
司はとても嫌そうに顔をしかめ、ハエを払うように手を振る。
「なんなんだ、お前は……」
「私に話してください。どうしてもあなたが悪人とは思えません……。ほら、私たちには犯人と人質という固い絆があるじゃないですか」
「クソみたいな絆だな」
司は鼻を鳴らしたが、唇を曲げる様子は笑みに近い。
続きは山羊が食べました。
→山羊と熾烈なロシアンルーレットを繰り広げ、続きをもぎ取りました。