「頭のいい人ほど…」その言葉、もう聞き飽きた? 私たちの「褒められ欲」を刺激するコンテンツ
「頭のいい人ほど〇〇してしまう」——こんなコンテンツに触れると「頭がいい」と言っておけば喜ぶんでしょ? という本音が透けて見えるのは、気のせいでしょうか。
最近、栄養の偏りが気になり、特に貧血気味なため、鉄分やミネラルを補えるサプリメントを探していました。
しかし、サプリメント業界の闇深さには一抹の不安がつきまといます。薬ではないため厳密な治験などが行われているわけでもなく、効果が保証されているとも言い難いのが現状です。
実際、「子どもの背が伸びる!」と謳うサプリメントが市場に溢れているのを見ると、サプリメントメーカーの善意(?)に任せられている状況で、やりたい放題になっていると感じざるを得ません。まあ、美容業界も同じですが……。
そんな中で目に飛び込んできたのが、東洋経済オンラインの『頭のいい人ほど「ダメなサプリ」を選んでしまう訳』という記事でした。
記事の要旨は、「身体の基本的な仕組みや栄養素の働きを正しく理解し、派手な広告や美しいパッケージに騙されないようにしよう」というもので、確かにその通りだと感じました。
しかし、この記事で気になったのは、「頭のいい人」という表現で読者の気持ちをくすぐりつつ、実際には「知識はあるが浅はかな人」を批判している点です。
見てみましょう。
確かにそんなこともあるのかもしれません。
ああ、確かにそれはバイアスの一種で、人間は与えられた情報よりも、自分が苦労して見つけた情報に価値を見出すのです。
……ん? この辺りで違和感は決定的になります。
この記事で語られているのは本当に「頭のいい人」なのでしょうか?
私には、ただ情報に踊らされやすいミーハーな人々、例えば血液クレンジングのような怪しい健康法に飛びつく人々を指しているように思えます。
もしかしたら「新しい情報に敏感な人」を「頭のいい人」と定義しているのかもしれません。でも「頭のいい人」の定義が曖昧なまま、このような表現で読者を誘引する手法には、違和感を覚えます。
「頭のいい人」と言われて気分を良くさせながら、その実、軽く見ている——そんな感じが透けて見えるのです。
このような「褒められたい心」をくすぐるビジネス手法は、この種の記事に限りません。
例えば、動画や掲示板に氾濫する「日本人のここがスゴイ」「自分の国に戻ったらカルチャーショックだった」などと外国人に言わせるコンテンツ。
これらは人気を博しています。そういうコンテンツに限ってコメント欄を見ると、「そうだろう、そうだろう」「日本はすごいだろう」とちょっと上から目線の喜びの声があふれています。
それだけでも少し「ん?」と思ってしまいますが、さらに、日本語で「私の母国はすごい」と発信する外国人のコンテンツは時に炎上するらしいです。外国人はとりあえず日本人を褒めておけば安パイらしいこの状況、どうなんでしょう。お互いに健康的ではない気がします。
これらは全て、私たちの「褒められたい欲」の暴走が招いている状況ではないでしょうか。
こうした欲望を刺激することで注目を集めるコンテンツが溢れている現状では、たとえ内容が正しくても、その誘引手法に気付くと興ざめしてしまうのも事実です。
表面的な魅力に惑わされず、本質を見極める人々が増えれば、こうした手法も廃れていくのではないでしょうか。それでも私たちは褒められたい——その人間の性を理解しつつ、情報に対してもう少し批判的な目を持つことが求められているのかもしれません。
いつの日か、無意味な誘引に頼らない健全な情報発信が主流となることを願っています。