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倒れてるお年寄りに付き添ってみた話【#やさしさに救われて】

 あなたは、人生において、倒れている人を見かけたことがあるだろうか。
 新宿では珍しい光景でもない。

 私は昔、新宿付近にある学校に通っていた。だから繁華街に近づくこともあったし、酔っ払いや風俗関係や反社会系の方を見かける機会も多かった。

新宿都庁前の写真

 ある夜、いつものように道を歩いていると、薄暗い建物の入り口に、小さな影が倒れているのが見えた。

 近づいてみると、小柄なご老人である。白いポロシャツにチノパンを履いたその人はうずくまって動かない。傍らに、若い女性が二人困ったように立ち尽くしていた。

「どうしました?」
 聞いてみると、女性二人は困り顔を見合わせた。
「この人、倒れてて、大丈夫って言うんですけど……」
 私がしゃがみこんで、「大丈夫ですか? 病院行きますか?」と問いかける。
 その方は、少し顔を上げて、くしゃりと笑った。強い酒のにおいがムッと漂ってくる。

「だーいじょうぶ、だいじょうぶ」

 大丈夫ではない。

 老人のにっこりと笑った口元から覗く前歯は二本欠けており、唇には血が付着していた。
 闇夜の中目を凝らすと、付近の地面に血だまりが出来ている。小さな白い欠片、つまり歯らしきものが転がっているのも見えた。

 私はなるほど、と思った。

 この老人は泥酔したあげく、顔面から転んで前歯を折ったが、酒のせいでそれ以上どうすることもできず、ここに横たわっているのだ。

「どうしましょう?」
 なぜか、女性二人が聞いてくる。同い年ぐらいだと思うのだが、私を看護師とでも思ったのだろうか。

 私は乗りかかった船なので、答えた。
「ご家族に連絡して迎えに来てもらおうと思います。私がついてるので大丈夫ですよ」
「そうですか? じゃあ……」
 女性二人は、頭を下げながら去っていく。
 私はそれを見送り、老人に電話番号を尋ねた。
「お父さん、電話持ってます? ご家族の連絡先分かります?」
「あー、電話、電話あるよ」

携帯電話

 老人が、よろよろとした動きで携帯電話を渡してくる。私はそれを操作して一緒に見ながら、どの連絡先が家族のものか、聞いた。
「あー、コレ。息子」
 とその方が言うので、私は通話ボタンを押した。

 プルルルル。プルルルル。

 長いこと続くコール音の後、『はい』と低い声の男性が出た。

「初めまして、YeKuと申します。今新宿にいるのですが、お父様が転んで前歯を折る怪我をされています。ご本人は大丈夫だと言っていますが、出血してますので手当が必要です。迎えに来ていただくことは可能でしょうか」

 と伝えると、しばらく沈黙の後、
『大変ご迷惑をおかけして……』
 と心底疲れた声が返ってきた。

 もしかしてこのご老人は、この調子でいつも飲み歩いて家族に煙たがられているのだろうか。少なくとも、ええッという驚きや心配の気持ちは伝わってこなかった。

『父に代わっていただけますか?』
 と言うので、私は老人に電話を渡した。

 その方は二言、三言、「だいじょうぶ、だいじょうぶ」とか「ごめん」などと話した後、私にまた電話を寄越してくる。

 息子さんは、
『ご迷惑をおかけして申し訳ありません。迎えに行くのにも40分くらいはかかるので、その間ついていただくのもなんですから、警察に引き渡していただけますか?』
 と言う。

「分かりました。また警察から電話が行くかもしれませんが、よろしくお願いします」
『お手数をおかけします。父は〇〇、私は〇〇と言います。電話番号は……』
 私は、聞いた名前と電話番号をメモした。

 それから電話を切って、老人の顔を覗き込む。
「お父さん、近所の交番まで歩けます?」
「もちろんだいじょうぶれす」
 その方は立ち上がろうとするが、危なっかしい。よろけてまた倒れそうになったので、私は押しとどめた。

「今警察の方に来てもらいますから、一緒に待ちましょうね」
 私はそう声を掛けてから、スマホで近所の交番の電話番号を調べる。

 電話を掛けて事情を伝えると、ハキハキとした声が返ってきた。
『了解しました。向かいます。住所は分かりますか?』
 私は近くの電信柱に書いてある住所を読み上げる。
『そのままお待ちください』
 と言って電話が切れた。

 私はしゃがみこんで、老人に「大丈夫ですよ、もうすぐ交番の方が来ますからね」と声をかけて待った。
 老人は、「ありがとう、ありがとう」と呂律の回らない声で繰り返す。

パトカー

 しばらくすると、警察官の方が二人、小走りにやってきたので、私は手を振って呼んだ。

 事情を伝え、息子さんから聞いた名前や電話番号を書いた紙を渡す。警察官の方は礼を言った後、
「そういう時は最初から警察に任せていいですからね」
 と釘を刺す。

 私は苦笑いした。
「ええ、そうですね、ありがとうございます。じゃあ、後はよろしくお願いしますね」
 そのまま去ろうとする。

 とその時、ご老人がひょこっと顔を上げ、
「ありがとうねえ」とまた前歯の折れた口元で笑いかけてくれた。

 大丈夫かなあ……。

 一抹の不安がよぎるが、警察の方が面倒を見てくれるしご家族もいるのできっと大丈夫だろう。

 その後、私は駅に向かって歩きながら、再度、息子さんに電話をかけた。
 気にされているだろうから、手短に報告しておこうと思ったのだ。

「先ほどお電話差し上げたYeKuです。お父様は〇〇交番の方にお任せしましたから、念のためご報告をと思いまして」
『ありがとうございます。父はいつも人様にご迷惑をおかけして……YeKuさんにもご迷惑をおかけして申し訳ありません』

 その言葉には、深い諦念と嫌悪感が宿っていた。やはりあの老人、普段から厄介者扱いされているのだろうということが偲ばれる。

 でも笑顔のかわいいおじいちゃんだったけどなあ……。

 と思いながら、警察から電話がかかってくるのを邪魔してもいけないのですぐ通話を終えた。

 私のこの行動が、親切にした、と言えるのかどうかは分からない。

 結果的に、息子さんにはさらなる不快感を与えてしまったような気もするし、特段ご老人の役にも立っていないかもしれない。ただのおせっかいだったかも。

 ただ、見知らぬ他人であっても、自分が倒れている時に付き添ってくれる誰かがいるということで、老人の心にあたたかさをもたらせていたらいいな、と願う次第である。


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