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泣き虫で素直なわたしへ

ふとした時に心の琴線に触れて、じんわり涙が滲む瞬間が多々ある。

今の自分というよりも過去の自分が勝手に救われて、過去の自分が泣き崩れているんだと思う。
そんなわたしに、よく頑張って生きてきたね、と言いたい。

だいぶ過去は乗り越えて、次のフェーズに来てはいるんだけど。過去に経験したことは、過去の自分は永遠に今の自分に引き継がれていくものだから、忘れることは無いんだと思う。

この前は、ドラマ「ライオンの隠れ家」を見て、あまりに洸人が優しすぎて泣いた。
あんなふうに優しくありたいし、ありたかった。でも、過去のわたしはそれはそれは酷い対応の時があった。
常にいらいらして、ピリピリして。
なんで!?って毎日思って、矢継ぎ早に、本当に矢を刺すように言葉を投げてさ。
悲しそうな顔する相手に対して「なんであんたが被害者みたいな顔してんの!」って思ってた。
相手も、別にわたしを傷つけたいわけじゃなかったのに。症状のせいで、仕方なかったのに。

それを知ったのは離れてしばらく経ってからで、色んな悲しい出来事が、傷ついた出来事が、症状のせいだったんだって知って、わたしはその時もなんとも言えない気持ちになって泣いてしまった。

もちろん、「ライオンの隠れ家」は洸人だけでなく、みっくんもすごい優しくて、互いの努力があってこその関係なんだけどさ。

それでも、自分が優しくあることはできたのにな、って思ってしまうのです。


またそれとは別に。

おばあちゃんがわたしのことを「あんなに大変な環境を乗り越えて、こんなに人として立派に育ったこと、あの子たち(わたしの両親)は本当にわかってるのかね?って思うよ!」と言ってくれて。
今もその言葉を反芻するくらいには、過去のわたしが救われて、思い出してはじんわり涙が滲む。

もう全然親にわかってもらおうとか思ってないし、本当に別々で生きていきたいからいいんだけれど。
それでもね、わたしの幼少期と、死にかけた10年間と、それを乗り越えた4年間を全部知ってくれているおばあちゃんが、過去から今の、すべてのわたしを認めてくれていることが涙が出るほど嬉しいの。

両親や、家庭環境に苦しんだ20年間をわたしは後悔したことない。
生まれてよかったとはまだ思えてないけれど、ここまで生きてこれたのはわたしだったから。わたしが頑張ってきたからだと思ってる。
だから、今楽しいことがある度に、「よかったね」と「ありがとうね」を過去の自分に伝えてあげたくなる。

生まれたのは災難だったけど、生きてては良かったよ。
もうあんな経験二度としたくないけど、わたしにも、誰にもして欲しくないけど、そんな経験をしてきた人も、今もしてる人も、生き続けてれば笑える日が来るって、息がしやすくなる日が来るって知ってる。

それを、伝えたい。みんなに、伝えたい。

がんばってきたね。がんばってるよね。今しんどいよね。死にそうだよね。楽になりたいよね。生きてる方が苦しくって辛いよね。真っ暗闇だ、何も見えない、どこに進んだらいいかも分からないって、息が詰まるような日々だよね。

でも、いつかは必ず抜け出せるし、なんなら今抜け出そうとしてる途中だってことを、みんなに伝えたい。
どんなに自分を傷つけても、周りを傷つけても、それは過程だよ。
死なない限り、結果ではないよ。
だからどうか、どうか、独りになりませんように。あなたを救ってくれる誰かがそばにいて、その手を取れますように。

人間、生きてる限りは独りじゃないから。繋がりがないと、すぐに死んでしまうのが人間だから。今生きてるってことが誰かと繋がってるっていうなによりの証拠であることを、頭の片隅にでもあったら嬉しいな。

わたしも、今でも思うよ。
わたしは独りだ。
これからは一人で生きていかないと。
わたしを信じれるのはわたしだけだ。
わたしにはわたししかいない。って。

でもね、それって呪文なのよ。呪いの言葉なのよ。
そうしてふとした時に、「いるよ〜!!」って声をかけてくれる人がいて、毎回気づくの。いたわ!って。
ばかよねえ。でも、ばかでいいの。

独りだって思っていいし、思いに浸って悲しくなっちゃってもいいの。
ふとした時にまた気づければ、それでいいの。

いつか、いつかね、苦しんでた自分も愛せたら、それでいいかなって思うの。
わたしはもう大好きよ。あの頃のわたしが、尖りまくって自分も人も傷つけて、そんな自分が嫌で嫌で仕方なくって、必死に自分と戦って、過去と向き合って、自分と向き合っていた日々が愛おしいよ。

今もその根っこは健在で、少しでも攻撃的になると凹むし嫌になるし自分が本当に最低なヤツだって思って打ちのめされることもあるけれど。
そんな自分を自覚して、向き合って、優しくありたいねって思って、どうしたらいいかな?どう考えたらいいかな?って今も必死に向き合って生きてる自分のこと、嫌になりながらも好きだよ。

過去を引き摺ってたって、落ち込みやすくってすぐに不安定になったって、未だに子どもっぽくて大人になりきれてなくたって、ぜんぶぜんぶわたしだからいいよって思ってる。

おばあちゃんにさ、「あなたは小さい頃から今もずっとハイジみたいね」って言われて、本当にピッタリで笑ってしまったの。

もうね、ここまで来たら変わらない。変わらないし、変われない。どう足掻いたってわたしはわたしなんだと思う。
どんな経験したって、人間関係で嫌な思いしたって、どんだけ傷ついたって、すべてを素直に真っ直ぐに捉えて受け止めて伝えてしまう。

物事の裏も考えるのが大人なのであれば、わたしはいつまで経っても大人になれないんだと思う。
直接見たもの、直接聞いたもの、直接感じたものしか信じないから。それ以外の情報は「まあ他人目線の話だしな」とわたしの捉え方にあまり反映しないから、もう仕方ないんだと思う。
我が強いからね、自分のことをいちばん信頼してる。

それに、他の人もそうでしょう?とも思ってるところがある。なんだかんだ、自分の見たもの聞いたものを信じて、他者の情報も自分が信じようと思ったらから信じてるんでしょう?と。他人の話乗っかってるだけだからって、責任逃れはできないからね?とも思ってる。

わたしの考えや、価値観が正しいとも、全てだとも思っていない。だからこそ色んな人の意見や視点を知りたいと思ってる。
でもね、自分がどうあるかは別問題でさ。どうしても核は揺らがないし、どんなに話を聞いても、どんな考えを聞いても、「そうなんだ!あなたはそうなのね!」で終わってしまう。
人の考えを聞くのは好きだけど、押し付けられんのは大嫌い。
頑固であることを認めざるを得ない。

ただ、そんなわたしを大好きだと、素敵だと言ってくれる人たちがいるので、その人たちの言葉を信じて、わたしは生きていこうと思います。

過去の自分と結びついてしくしくしちゃうわたしも、優しくありたいわたしも、強気なわたしも、全部全部、大事な大事なわたしだからね。
だから、泣きたい時は泣こう。素直に素直に生きていこう。ありのままの自分を、そうだよねって抱きしめて、生きていこうね、わたし。

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