変わりたくない気持ち。心療内科の通院で思うこと
心療内科を七月に転院した。今の先生は前主治医と違い肯定的な先生で、あまり緊張せずに診察に行けているが、この間受けた診察は、少し辛く感じられた。先生のなかで私は躁鬱傾向のある患者ということになっているみたいで、気分に合わせた生活をすることや、不調の際の対処法を身につけていきましょう、という話が続いている。診察ではまず最初に調子はどうですか?と聞かれ、いつも良くないと返事をする。すると先生は、何かストレスがありますか?と言って話を聞いてくれる。前主治医とはそこが大きな違いだ。前主治医は私に興味などないように、生活のことも病状のことも聞いてこなかった。なので聞いてくれるのはとても嬉しいし有難いことなのだけど、返答は先程書いた“気分に合わせた生活…”だ。
自分としては主治医が言う方策も分かるのだけど、それよりも、何もしたくないことから来る今の動けなさをもっと分かってほしい気持ちがある。疲弊しきっていて、少しも上がれない。というか上がりたくない。だから動くよう少し言われただけでひどく動揺してしまった。
いつもここに壁がある。
“生きたい、と思えていないのに、対処法を考えるなんて出来ない”
という気持ち。変わりたいと思えていない。こんな人間が病院に行っていいのか、そう思い詰めることもあって、この先が不安で、次の診察でどう話そうかが頭から離れない。動くしかないと言われるのが辛い。それ位、今は不調だ。土日はずっと寝ているし、どこにも行きたくないし何もしたくない。ここまで酷いのは久しぶりかもしれない。自分という壁に取り囲まれているような感じで、したいことがあるとすれば療養だけど、でもそれもフルタイムで働いている現状では出来ない。本当に、どうしたらいいのだろうか。
先日放送されたサカナクションの山口一郎さんの鬱を取り上げた番組で、
“余計なことを言ったり、言われたりすることが怖い”
という山口一郎さんの話があったけど、その言葉が最近は本当に共感する。何か言うと言われるから言いたくない、診察でもそうならないよう、素直に話していかなければ…と思う。
鬱の過眠で土日、何十時間も眠っていて頭が回っておらず、読みづらい文章だったと思います。読んでくださった方に、感謝申し上げます。ありがとうございました。