学振6連敗記やそれにまつわるエトセトラ
「え?これでダメなの?」
6敗目の通知を見たとき一番最初に思ったことがこれでした。結果としてこれが最後の学振挑戦になり,以後,学振の書類を書く機会はなくなりました。この記事は学振に6回挑戦し,いずれも敗退(面接もなし)だった私の敗戦記で,『月刊ポスドク』2015年8月号に寄稿した拙稿「落ちた人はこう書いた―学振6連敗記」を加筆・再編集したものになります。
今年(2019年)の学振(日本学術振興会特別研究員の公募)についてはすでに結果が出たようです。特に不採択だった方はこれからどうするか,どうしたいかいろいろあろうかと思います。この記事は特に不採択だった方への人生訓やアドバイスを意図してはおらず,ただの記録と分析,それに今の私が考えることを加えたものです。ですが,そもそも現在大学常勤にある者がこういった記事を書くことに対して「生存バイアス」と批判される方がいることも存じております。不快な記事は読まないに限ります。そういうお考えに立つ方は,どうかそっ閉じでお願いいたします。
何がいけなかったのか
学振に挑戦してきた6回,思えば応募書類を余裕を持って用意できたことなど一度もありませんでした。いつも5月上旬に締切があり,新学期の始まった4月に慌てて具体的なテーマを考えはじめ,受入先となってくださる先生に連絡を取りつつ周りの仲間や先生と相談するということの繰り返しでした。今考えるとそんな状況なら6連敗も不思議ではないですね。とは言いつつも,ゴールデンウィークのはじめに書類が出来上がると毎回「これなら行ける!」と思って出しています(そして,秋になって落胆する)。落選通知を受け取ってすることは指導教員と受入先教員への連絡(評価点などを入れて),そして敗因分析です。敗因分析は提出した書類を改めて見直して次回への修正点を考えるという程度のことしかしていません。ただここで一度まとめて過去の分を振り返って分析し直してみることで,6連敗パーソンなりに,理想的な準備や書類がどう言うものかを感じてもらえれば幸いです。ただ,申請書を全て書くとそれこそスペースを圧迫することになるので,ここではタイトルと書き出しを中心に見て行きたいと思います。
無謀な1・2年目
初めて学振に応募した2003年はDC2というカテゴリーで,テーマは「単語トーン言語における無標音調と,その出現に関わる諸要因の記述的,理論的研究」というものでした。続けて初PDとなる2004年のテーマは「単語トーン言語における無標音調の出現に関わる韻律的要因の研究」でした。この2年間のテーマに出てくる「単語トーン」というのは,私の主な関心事項だったアクセントに関する概念で,中国語や鹿児島方言のアクセントに共通性を見出したというものです(詳しくは私が執筆した『明解方言学辞典』の「語声調」の項目をご覧になるといいと思います!)。当時,研究テーマにやや行き詰まりを感じていて新たに韓国南部のとある方言についてちょっとだけ調査をしていて,それを念頭に置いてテーマ設定していました。要は,中国語方言,韓国語方言,日本語(九州西南部)方言のアクセントを観察して,どういったパターンが一般性を持っているかを検討するということを考えていたのですが,たかだか2年(2003年はDC2での申請なので2年間です)や3年で何かを包括的に扱うというのはかなり無謀です。また,申請書を読んでも以下のとおり論文でも読ませるんか?みたいな展開になっています。なんとなく,テーマの行き詰まりを誤魔化すために大風呂敷を広げておけばいいという発想が見え隠れしています(書き出し部分はなるべくそのままの見栄えを再現するために画像にしています)。
方向性が変化した3年目
大風呂敷を広げておくという発想にだいぶ問題があることを反省したのと,韓国語方言の調査をやめてしまったこともあり,3年目(2005年)は,テーマで扱う範囲を狭め,「有明海沿岸部諸方言における音調現象の研究:外来語,複合語を中心に」というものにしました。有明海沿岸部諸方言というのは長崎,佐賀,熊本(の沿岸部)を対象にするために設定しました。ちなみにこのテーマって実は後の博士論文(2008年3月提出)や科研費プロジェクト(2010年スタート)ともつながりを持っているものになっています。その意味では無難なチョイスになってきたとは言えますし,事実扱う言語の範囲はかなり狭まったものになっていますが,扱う現象は要するにアクセント一般なので,ちょっと広すぎました。また,申請書の最初の書き出しもかなり論文調で,専門外の人には苦しいものだったと思います。
テーマの絞り込みが進んだ4・5年目
徐々に公刊論文や口頭発表が増え,博士論文の執筆も現実味を帯びてきたこともあり,テーマもそれに関係したものになった結果,2006年は「方言対照による外来語アクセント受容のメカニズムの研究」で,2007年は「方言対照によるアクセント借用のメカニズムの研究」といったテーマになりました。研究が進み論文等も出るようになった結果,その一歩先の課題が見えてきたという実感もあります。つまり,今やっている研究のゴールが分かってきたということですから,ストーリーが作れるようになってきたのです。その意味でテーマは研究の善し悪しをよく表していると言えるかもしれません。また,この年ぐらいから書類を見てもらう範囲が広がっていった,つまり遅いながらも締切に追いついた書類作成ができてきたんだと思います。
このときの書類を見返して驚いたのは節見出しまで付けていたことです。普通のことかもしれませんが,それまでののっぺりした書類とは大違いです。ただ個々の文を改めて読むと「…に興味を持っている」「…と言われている」「…は…である」とはじめからちょっとぶつ切れ気味で繋がりを感じられません。ちなみにこの年から不採択者への評価の公開が始まり,落ちた人の中でのおおよその順位がA~Cで付くようになりました。結果はC。うーん。
でもって節見出しは1年でやめてもとのスタイルに戻してます。なぜだ自分。それでもだいぶ背景の説明っぽくなってきましたし,特に分野外の人に向けて書くというのが意識されています。ちなみに評価はBでした。
集大成の6年目(落ちたけど)
最後に出した2008年のテーマは「方言アクセントの変化に関する理論的・実証的研究」でした。最後を「○○的研究」と書くスタイル,実は科研の採択課題でよく見られるなあと思ってそれを意識しました。もっとも学振的に正解二階のかはよくわかりませんが。テーマの中身としてはちょうど博士論文が終わり,そこで残った問題を整理していく中で「方言アクセントの変化」について興味が強くなっていったのと,他の方言での研究も進んでいて,ちょっと流行していたこともあってこれにしたんだと思います。研究テーマ分野の流行とか考えずに設定してもいいとは思いますが,関連づけができるならしておいた方がと私は思います。
書き出しは博論で使ったロジックを使い回しています。このパターンは結構気に入ってて,他の文章でも何度か使ったと思います。そしてこの年の評価はAでした。周りからは「すごい。あと一歩じゃん」みたいな言葉もいただいたのですが,正直な感想を言えば落ちてしまえばA評価だってC評価だって変わらないので全然嬉しくありませんでした。
6連敗の後
6連敗して考えたのは「これはアカポスで身を立てるのはダメかもしれんぞ」ということでした。他の方と同様,学振と並行してアカポス就活を進めていましたが,そちらの方の成果もまったく出ていませんでした(つまり書類落ち)。当時すでに長女は保育園に通っており,子供が小学校に上がるあたりをタイムリミットにしようと考え始めました。これはひとつの区切りでもありますが,社会人経験のある方から年齢的に35歳を過ぎると就職が難しくなるという話を聞いていたことも影響しています。
ここで少しだけ当時の私がどう暮らしていたのかを記録しておきます。当時の私の主な収入源は非常勤講師業でした。これは幸運としか呼べないのですが,1997年に言語聴覚士が国家資格化され,その受験資格を得るための専門学校で音声学の授業が開講されるようになりました。その当時福岡近辺で音声学を専門としている若手は少なく,また現職の言語聴覚士の方と知り合えたこともあり,結果として私がいくつかの学校で兼任することになりました。それと同時に先輩からの紹介で大学の日本語の授業も担当していました。だいたい8コマ程度でしたね。
そんな中でも研究の方は現地調査を重ねることがどうしても必要なのと,授業の日に論文を書くみたいなことが私の生活リズムではうまくできなかったことで,平日のうち1日は授業が入らないようにして調査や論文執筆に充てました。この作戦はあまり熟考してやったわけでもないのですが結果的には研究を定期的に進めるためにうまく機能したんだと思います。それらの経験が幸いにしてか,2009年の4月から今の職場で働けることになり,僕の学振挑戦は無事に終了しました。
学振をどう考えるか
ふりかえると学振の結果をどこまで深刻に捉えるかって難しいところだと思います。例えば研究対象のクマムシを活用したアウトリーチ活動で有名なクマムシ博士は次のように書いています。
もちろん,ちょっと厳しい→じゃあ辞めようという選択があってもいいと思います。でも,PDで出していく中でBやCだったとしても,それからどう研究を進めるかによって評価は変わっていくので,自分の出した申請書に向き合って,敗因を分析してから考えるのでも遅くないんじゃないかなと思いますし,私のように学振はダメだったけど就職できたという例も多いと思うので,学振の採択をアカデミアで生き残れるかの唯一の基準にしなくてもと思います。アカポス就職についてちょっとだけ私見を述べれば,学振持ちであることは研究能力の証明として就活にプラスに働きますが,基本的に就職できるかどうかに関しては運で決まると思っています。もちろん運と言っても少し特殊で,誰もが同じ確率でガラガラポンとくじ引きをするのではなく,確率はこれまでの研究や教育歴によって重み付けされています。なので学振は当然研究能力として確率を上げていきます。
また,不採択だったとしても,学振を書くことで自分の研究の関心をふりかえるきかっけになりますし,評価も上で書いたような改善に繋げても,他の人の目線を入れるきっかけとしても活用できると思いますので,書いてもいいかなと思えたらまた書いていくのがいいんだと思います。
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