扉の向こう
「興味」と「恐怖」は表裏一体の関係である。「知りたいけど怖い、でも知りたい。」「これ以上知りすぎたら良くないことが起きそう。」そういった経験は誰しもが持つものだろう。そんなちょっとした興味から起きるちょっと奇妙なお話である。
彼は都内の大学に通うごく普通の大学生だ。実家は郊外にあって通うことができないため一人暮らしをしている。奇妙な話の始まりは大学2年の夏だった。彼は家に帰ってくるときにある一つの興味を抱いた。「外出して帰って家に入る前にインターホンを鳴らしたらどうなるんだろう。」そうふと思ったのだ。普通に考えて一人暮らしなのだから家には誰もいないはずで、インターホンを鳴らしたとて何も起きないのは当たり前である。しかし、もし、万が一、何か起きたら、いや起きることは決してないのだけれど、でも何か起きてほしい、そう彼は思ってしまったのだ。退屈な日常にちょっとした刺激が欲しかったのかもしれない。一度興味を持ってしまっては確かめずにはいられない、ある種人間の性のようなものから彼はインターホンを鳴らしたのである。
さてどうなったかと言うと、当然のごとく何も起きない。「はぁ」と少し残念な気持ちになりながらも、少しホッとする気持ちが彼の心に芽生えた。次の日も彼はインターホンを鳴らした。しかし、何も起こらない。その次の日もそのまた次の日も何も起こらない。当然といえば当然なのだが彼の心には何も起きなくて安心する気持ちよりも残念な気持ちの方が次第に大きくなっていくのだった。
そうして一週間が経った。
彼は少し飽きていた。何も起こらないのが当然なのだが、何か物音でも都合よく聞こえれば彼の心は満たされたであろうに、ただただ平穏な毎日が続いていた。一番初めに鳴らしたときのドキドキ感はもうそこにはなく「どうせ今日もインターホンを鳴らしてもなぁ。」そんな気持ちが芽生えていた。気づけば彼はインターホンを鳴らさなくなっていた。こうして彼の遊びはひっそりと終わりを告げたのであった。
半年ほど経った頃、彼は「久しぶりにやるか。」とふと思い立った。特に深い理由はなかったのだが、久しぶりにやれば何か起きるとでも思ったのだろうか、彼はインターホン鳴らしたのだった。耳を澄まし物音がないか確認する。久しぶりにやったせいか、彼の鼓動は高鳴っていた。すると、ガタンと物音が聞こえたような気がした。しかし、そこまで大きな音ではなかったため気のせいだと思った。もう一度耳を澄ませると足音のような音が聞こえてきた。はじめは気のせいかと思ったがだんだんその音が大きくなり近づいているように感じた。彼は怖くなったが扉の向こうが気になって仕方がない。恐怖と興味がぶつかり合う。「よし。」と彼は決心してカギを開け玄関の扉を開けた。見ると自分のものではない靴が一足あった。そして顔をあげると立っていたのは彼の親友であった。「なんだお前か」と少しホッとした。親友と彼は非常に仲が良く、親友はよく彼の家に遊びに来ていた。多いときは週一の頻度で互いの家に泊まったりもしていたので互いの合いカギを持っていた。彼の家に親友が合いカギを使って入っていることも間々あったのでそれほど不思議なことではなかった。しかし、ひとつ疑問に思うことがあった。彼の親友は彼の家に来る時はいつも連絡をしてくれるのだが、その日はなかったのである。そこで思い切って親友にそのことを聞くと「君を少し驚かせたかったのさ。ちょっとした刺激もたまにはいいだろう。」と答えた。親友は遊び心のあるやつで、たまに悪戯してくることもあったため「あぁそうなのか」と言われた瞬間は納得したが、どこか腑に落ちない節があった。何とも言い表しがたい気持ちでしばらくいると、インターホンが鳴った。彼は「何か荷物でも頼んだかな。」と思いながらも玄関の方へ歩いて行った。そして、扉ののぞき穴をのぞくと、そこにはその親友が立っていたのだった。今家の中にいるはずの。しばらく思考停止して、ハッとし振り返るとそれまで彼の部屋にいた親友の姿はなかった。その刹那、背筋が凍るような思いをしたが、それ以外は何ともなかった。
それ以来、彼はインターホンを鳴らさなくなった。ただ、彼はじっと待っている。インターホンが鳴ることを。
扉の向こうで。