服を着るということ|「ということ。」第7回
先日、仕事でストリートスナップの撮影をした。
つまり、原宿や表参道のあたりをひたすらグルグルと歩き回る仕事だった。スマートフォンに入っている歩数計アプリで見たこともない数字をたたき出すくらいに。普段、スナップを撮るような仕事をしてこなかったから知らなかったが、雑誌やWebサイトでよく見る街角スナップは、やっぱりある程度キャスティングして撮っているらしい。けれど、その時の私はそういった業界の裏事情も知らず、バカ真面目におしゃれな人に声をかけ、撮らせてくれとお願いして回った。それは12月のことだったから、屋外での撮影は12時すぎから15時半くらいまでと時間が限られる。日光の都合だ。たった15枚撮るために、3、4日。あわせて12時間以上かかった。
難しかったのは、声をかけることではなかった。断られるのも平気だった。断られたら、「よし、じゃあ次行こう」という具合には元来、切り替えが早いし。何がキツかったときかれれば、迷わず答える。「声をかけたいと思える人がいなかったこと」
土地柄、おしゃれな人は大勢いた。流行のファージャケット(黒か薄いピンク)。相も変わらず男子に人気のチェスターコート×タートルネックのコーディネート(こういった男子諸君はだいたい黒いリュックを背負っている)。セレブの寝間着のようなベロア地のワイドパンツ(ビロードというと古いだろうか。3人に1人の女子が履いていたあのボトムの呼び方が分からない)。ぱっと見、「いい感じ」な若者はたくさんいたのだ。
けれど、コンテンツとしてのスナップを撮る側としては、流行から一歩出た、自己流の着こなしが欲しかった。冬だからといって黒を着るのではなく、あえて白を基調にしたり、オーバーサイズのアウターだらけの周りと一線を画す丈感の羽織だったり。そんな着こなしをする人が、とんでもなく少なかった。今、これを読んでいる人には彼らの少なさを分かってもらえないかも、と不安になる。そして、私の不安はだいたい当たる。
結局、13人目からは伝手のある美容院のアシスタントさんたちに時間を作ってもらい、撮影させてもらった。15分で終わった。街で3人撮ろうとしたら、1日かかるのに。
さて、こんなにずけずけと人の服装について評価している私だが、別に、私自身はまったく“おしゃれ”ではない。断言できる。女性誌なんて高校生の時に3冊読んだか読まなかったか程度だし、今これを書いている瞬間に着ているのは、ユニクロのセーターにどこで買ったかも忘れたデニム。3足1000円の靴下。身につけているもので一番高価なのがメガネだ。私が流行を追えていないのは、冒頭で、呼び方の分からないアイテムがあったことで証明済みでしょう。自分が着る分には、白・グレー・ネイビー・ベージュあたりの色で、無地で、着心地とシルエットがよければ何でもいい。
服を着る、ということ。だいたいの人は「この色が好き」「これ今流行っているし」とか、何とか、感情があって選んで着ているはずで。けれど、それってもっと深掘りすると「周りからこういう私(僕)だと見られたい」という願望があるはずじゃないか、なんて思うわけで。
私はたぶん、「流行には飛びつかず、シンプルなものが好きな硬派な人」と思われたい。心のうちでは、「シンプルが好き、と言っておけばかっこがつくな」と思っている。
「最先端でおしゃれな人」と思われたい人もいれば、もしかすると「貞操観念がしっかりしていそう」と思われたい人もいるかもしれない(後者は、例えばひざ下のスカートしか着ないで、首つまりのニットとかを選びがち。肌は出さない)。「大人っぽいね」と言われたくてシャツばかりがクローゼットに並ぶ人もいれば、「ふわふわしていて、守ってあげたい」と不特定多数に囲われるために、レースやリボンをあしらったまるでお人形のお洋服しか着られない子もいるかも。花嫁はきっと「幸せそう」に見られたくて、あんなウエディングドレスを着るんだ。
ごめんね、言い方がちょっと意地悪だったかも。
けれど、どんな思惑があって、どんな服を着ていても、それはまるっと健全で素敵なことだと思う。何を着ようが個人の勝手だけど、どう思われたくてどう立ち居振舞うかは、周りの人を巻き込むことだ。それを分かって、そうしている人たちは、ちゃんと健全。メンヘラぶってもね。(また意地悪だったかも、ごめん)
自分を表現することに、流行のアレが必要というわけではないでしょう。流行といわれるものを、追っているか追わないか、その言い方が正しいかは微妙だけど、流行のものに対するスタンスがあなたを作るし、流行だけじゃなく、何かに対する考え方や見せ方が、他の人から見た“あなた”になっていく。そのもっとも顕著な例がたぶん、服を着ることなんだろうな、と。思ったんだ。