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家族を愛するということ|「ということ。」第6回

 今だから少し落ち着いて考えられることがある。
 この正月、私はまた一つやらかしてしまった。久しぶりに家族(留学中の妹以外)が集まった元日、全員でアウトレットに行ったときのことだった。

 少し時間をさかのぼって話すと、その大晦日に、父が赴任先から帰ってきた。
 父は、慕われる側の人間だ。人情があるから、地元では困りごとがあると父を頼りに来るひとが多いし、一度は自分の貯金すべてをはたいてまで他人の面倒をみた(その結果、私たち姉弟は経済的に苦しい学生時代を過ごしたのだけど。父を責める気は微塵もない)。けれど、おひとよしという言葉は父に似合わない。そう呼ぶには、あまりに声が大きく、力が強い人なのだ。物理的に。茶碗を握りつぶし、こたつを投げ、家電という家電にヒビを入れて、怒鳴ってしか話せないひと。私は、たぶん、小さいころから父が怖かった。

 でも、尊敬もしている。先に話したように、父はひとを助けるためには自分の損得を考えないし、かつて私が不登校になったとき、言葉と行動で背中を押してくれたのも父だった。けれど。

 (父のせいになんかしたら罰当たりかもしれないけど、でも、)はじまりは、父だった。よくある親子喧嘩で父と怒鳴り合ったとき、確か、中学1年か2年か。彼の言った言葉で、私ははじめて自分の腕を切った。今思うと、バカなことをしたなと思う。けれど、そのときは、もう息もできないくらいおかしくなっていた。そのときに、悪い意味での言葉の威力を知ったのだ。それから年に何回かは、私は自分を痛めつけずにいられなくなった。あと、もう一つ。誰にも言っていないことがある。これは、ここにも書けないことで、けど、きっと私の勘違いだと、思う。

 話を戻すと、私はたぶん父が怖い。すっごく大切な家族なのに、心を落ち着けて話せない。家族として当然の気遣いも心配もするけど、それ以上に恐怖がある。具体的にいうと、私は父と同じ家に15時間もいられないのだ。それは我慢ならないというよりも先に、体が悲鳴を上げるから。筋肉が緊張し、息が浅くなり、涙が勝手に出てきてしまう。私のそれは、父のことを家族として単純に受け容れている他の家族を、困らせる。

 正月も、そんな理由で、アウトレットに行こうという話が出た段階から「家で待っていたい」という言葉が喉元まで込み上げた。けれど、あと何回両親と正月を迎えられるだろう、車で4時間もかかる赴任先から帰ってきた父は家族との時間を楽しみにしていただろう、年初めくらい家族みんなで楽しい場所に出かけてもいいじゃないか。とか、そんな理由を自分に言い聞かせて車に乗り込んだ。

 けれど、アウトレットに着くやいなや、私はもうダメだった。息ができなくなる。歩く気力もうせてきて、そもそも車を降りたときから言葉も出なくなっていて。ああ、頓服の薬もっと持って来ればよかった、なんて。

 いよいよ無理だと、母にこっそり「車の中で待っていたい」と言おうとした。言えなかった。車、までも言えずに涙があふれた。こんなに大勢の他人がいる場所で声を出して泣くなんて、小学5年生ぶりだった。情けなさもあったけれど、それどころでもなかった。一刻も早く、アウトレットを出たかった。

 母は私の涙がこぼれるより一瞬早くそれに気づいて、ハンカチをくれた。弟は驚いていた。そりゃあ、成人した姉の泣く姿なんて、そう見ないもの。父は。……父は、黙ったまま私を見てしばらく、「もういい」と言った。怒ったり呆れたりしているのではなく、私を気遣って、「もう泣かなくていい。帰ろう」の意味だってことはすぐに分かった。私はなぜ、この人が怖いのだろう。怖くて、その「もういい」に対しての「ごめんなさい」も言えなかった。

 30分もいなかったアウトレットを出て、1時間かけて家について、私はすぐに寝室に行った。枕に顔を埋めて、大声を出して泣いて、泣いて、泣いて。久しぶりにこんな泣き方をしているな、なんて冷静に思いながらまだ泣いた。

 父はその日、赴任先に戻る予定だった。私が泣いている間に支度を済ませ、母が私を呼んだ。「パパ、もう帰るって」。私は急いで涙をふいて、鼻をかんで、髪を整え、玄関に出た。「さっきはごめんね。気をつけて」落ち着いたふりができるくらいには回復した気持ちで、父を見送った。

 いっそ、父のことを嫌いになれたら。憎むことができたら、楽なのかもしれない。けれど、私には父を愛する理由だってたくさんある。大切な父。長生きもしてほしい。なのに、うまく付き合えないのは、本当にどうしてなのだろう。いつか、心を晴れやかにして、父と接することができればいいなと思う。
 少なくとも、泣きたいときに泣く理由に、父を使わなくていいように。

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 その夜、母と私の二人きりになった居間で。母は愛犬をなでながら、なんでもないことのように、でもたぶん少し緊張しながら、私に言った。
「ねえ、聞いてもいい? 」
 何を、というのは訊ねなくても分かった。さっき泣いた理由のことだって。
「家族なんだから、無理しなくていいのよ」
 とか、
「今のあなたの状態とか、気持ちとか、分からないから。何をしてあげられるのかな」
 とか。そんなことをゆっくりと。私は、何も言えなかった。母には数え切れないくらい嘘をついてきたからもう嘘は言わないと決めていたし、何より私なりの本当のことを母に言うのだけは絶対にしたくなかった。あなたの旦那さんが怖いんです、なんて。親不孝すぎるから。

 父のことも、母のことも、大事すぎてうまく付き合えない。まだまだ子どもだなと自覚する。心配をかけているうちは、子どもだ。情けない。

 けれど、私が家族を好きなのは変わらない。

 だから、これがきっと、今の、私なりの家族の愛し方なんだってことで。

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