Jr. Boogaloo - 学ぶことに限界は無い
Machine Gone Funkなどに所属する、
アメリカ・カリフォルニア在住のJr Boogalooの、
2012年のインタビューです。
▽このノートで主に学べること
1.Jr Boogalooのダンスヒストリー
2.若い世代へのメッセージ
▽該当動画
※話す内容の順番を入れ替え・省略している場合がございます。
あらかじめご了承ください。
※プロの翻訳家ではないため、
分かりにくい表現があることもございます。ご容赦ください。
ーーーーーーー〈インタビュー〉ーーーーーーー
≪Jr Boogalooの歴史≫
やあ、Jr Boogalooだ。
1967年にサモア諸島で生まれて、68年にアメリカに越した。
最初はパーティーダンスをしていたんだけど、
ロボットをしているストリートダンサーを見て、
家で真似するようになった。
そういうわけで最初はロボット、
その後はLockingをするようになった。
実は当時、"Popping"や"Boogaloo"って言葉は知らなかった。
代わりに、僕の住んでいる地域(ベイエリア※)ではPoppingではなくストラットが主流だった。
※サンフランシスコ周辺を指す
LAでPoppingをやるみたいに、
ベイエリアではストラットを皆していたんだ。
最初はストラットのショーをやっているのを見て、
そのダンススタイルに惹かれていった。
家に帰って、皆に
「こんな動きをしていたんだ」って話したのを覚えている。
それがもっと学びたい、って感じた最初のインスピレーションだったな。
そして11歳の時、ジムでダンスバトルをしているのを見かけた。
「これがLAスタイルだ」
「これがベイエリアのスタイルだ」
って言いながら男の人達がバトルをしていたよ。
そこで初めてTwist-O-Flexを見たんだ。
その動きに驚いた僕は、「それなんだ?どこで習ったんだ?」って聞いた。
そうしたら、
「Twist-O-Flexだよ。Boogaloo Samから習った。Electric Boogaloosのね。」って言われた。
だから、「Boogaloo Samって誰?」「Electric Boogaloosって何?」って聞いたら、
「知らないのか。直接会ったほうが良いよ」って言われたんだ。
それでLAに移住後、Electric Boogaloosに会った。
まだ小さい子供だった僕は、「Soul Train※に出てる人だ!」って思ったね。
※1971年から2006年までアメリカ合衆国で放送されたソウル、ダンス音楽番組。
つまり、僕は主にはストラットを習ったんだけど、
LAのPoppingスタイルと
ベイエリアのストラットスタイルを両方学んだんだ。
≪昔からコンテストはたくさんあった?≫
コンテストはあったよ。今のとは少し違うけどね。
自分の踊りたいジャンルで踊れるコンテストだった。
それに、タレントショーもあったよ。
歌っても何をしてもいい。
ただ、こういった大きなコンテストは少なくて、
ほとんどは家でのパーティーで踊るのが主流だった。
ただ楽しんで踊っていたよ。
≪新しい世代のPopperについて≫
たくさん刺激を受けるな。
モチベーションの原動力になる。
特に小さい子供が踊っているところを見ると感化されるよ。
今は時間をかけずに物事を学べるよね。
YouTubeやカメラ、ダンススクールがあるからね。
昔は上手くなるのに時間がかかったけど、
その分よりクリエイティブだったと思う。
十分に映像が無かったから、
一生懸命記憶をたどったり想像で補ったりしていたんだ。
そして、僕はまだまだ学ぶ側の人間だ。
今でも学んで、主体的に動いている。
ある程度習得したからって、偉ぶるような態度は間違っている。
ダンスを学ぶことに限界なんて無いからね。
≪新しい世代のPopperに向けて≫
とにかく基礎、歴史を学んでいこう。
そして、色々な人から出来るだけたくさん学んでほしい。1人だけじゃなくてね。
それに、ダンスを真面目に考えすぎるなよ。
楽しむことも覚えてほしい。
バトルが全てじゃ無いんだ。
バトルで勝つための練習はしてほしくない。
それは悪いことではないんだけど、
君らにはただ踊りを楽しんで、愛してほしいんだ。
ーーーーーーーー〈終わり〉ーーーーーーーーー
最後まで読んで頂きありがとうございます。
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さて、次回のインタビューは、
ロボットダンスで有名なあのダンサーです。
あのダンサーのインタビューです。
どうぞお楽しみに!
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