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Boogaloo Shrimp - 黒人としてアメリカで生きること

主に1980年代からメディアへの露出も含めて活躍し続ける、
Boogaloo Shrimpのインタビューです。

かの有名なマイケル・ジャクソンと共演も経験している彼は、
世界中のPopperを刺激し、そのスタイルを世に広めました。

▽目次
1.”黒人”として70年代のアメリカで生きること
2.Shrimpという呼び名の由来
3.ダンススタイルの基になったのは…


※話す内容の順番を入れ替え・省略している場合がございます。
あらかじめご了承ください。

※プロの翻訳家ではないため、
分かりにくい表現があることもございます。ご容赦ください。

ーーーーーーー〈インタビュー〉ーーーーーーー

”黒人”として70年代のアメリカで生きること

黒人としてアメリカにいることはつらかったよ。

テレビの影響で、皆が「黒人」とさえ認識せず、
「アフリカから来た人達」とみなしていた。

汚くて、手に縄をかけられているような人種だとね。

だから、その頃のジェームズ・ブラウンに
代表される黒人の音楽は、
ある意味権力に対する反抗運動だったんだ。

小さかった僕は、こんな風に思った。

「この世界は肌の色で判断を下す。
だから黒人の僕は、自分の人となりを
何かしらの方法で見せていかないといけない」

そして、こんな質問が浮かんだ。

「肌の色の裏側にある『自分』というものを
証明するためには、
何をすればいいんだろう?」

まずはスポーツに挑戦した。
だけど上手くいかなかった。(笑い)
その次は陸上。それもダメだった。

ほとんど全てのことに挑戦して、
ついに自分がフィットできる場所を見つけた。
それがダンスだった。

きっかけはサタデー・ナイト・フィーバー※を見たこと。
※1977年製作、ディスコダンスを主題としたヒット映画↓

その映画では、かっこよく決めた男が
踊って群衆から喝采を浴びる。
ただ実は彼は無一文で、ペンキ屋をやっている。
でもそんなの気にせず、堂々と闊歩する。

「King of the Dance」と呼ばれ、
ダンスコンテストに出れば賞金をかっさらう。

つまるところ、彼の求めていたものは
お金じゃ無い。
リスペクトと愛だけだったんだ。

子供だった僕は、

その考え方がとても気に入った。

だからまずは彼の生き方を真似するようになったよ。

その頃から、ダンスを扱うテレビ番組は
ソウル・トレインとアメリカン・バンドスタンドを
見るようになった。

ソウル・トレインには僕みたいな
アフリカ系アメリカ人、
つまり社会的に少数派の人々が出演し踊るんだ。(↓参考動画)

一方、アメリカン・バンドスタンドでは
もう少し広い範囲の音楽も扱っていた。(↓参考動画)

二つの番組を見ながら、
どんな音楽が自分の好みかを見極めた。

音楽に身を任せてみるんだ。

例えばディスコ系の音楽は
エネルギードリンクみたいだ。
音楽が僕を呼んでいるような、
吸い付けられるような感じがするのさ。

Shrimpという呼び名の由来

父は僕のことを、フランケンシュタインをもじって
「シュリンピンシュタイン」って呼んでいた。

ほら、フランケンシュタインって、
動きが昔のロボットみたいだろう。

ボルトを入れて電気を流すと、
生きているみたいに見える奴だ。

父がドアのところに立って、
「シュリンピンシュタインはどこだ?」
って言うと、僕がロボットみたいに動き出す。
そうやって遊んでいた。

時を経て、色々な種類のロボットが出てきたね。

スターウォーズのダースベーダーや、R2-D2。

それを見て、また違うスタイルのロボットに
挑戦するようになっていったよ。

ダンススタイルの基になったのは…

念のために言っておくが、
僕のダンススタイルは何か形あるものを基にしているんじゃない。

特殊効果や特撮を基に創り上げている。

昔の特撮映画である
タイタンの戦いやキング・コング(↓参考動画)、
シンバッドを見たりして
ストップモーションを学んだ。

そういったSFを体で感じて、
僕を刺激してくれた。

その要素一つ一つが、
動きを不思議に見せてくれるんだ。


ーーーーーーーー〈終わり〉ーーーーーーーーー

最後まで読んで頂きありがとうございます。


▽引用元動画

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