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Boogaloo Sam - EBの歴史

Popping・ブガルーのOGであり、
Poppingを世界的に広めたグループ、
Electric Boogaloosを創設した
Boogaloo Samのインタビューの書き起こしです。
2012年に彼が中国に行った際のものになります。

▽該当動画(~6:10)

▽このノートで主に学べること
Electronic Boogaloosの歴史

※話す内容の順番を入れ替えている場合がございます。
あらかじめご了承ください。

※プロの翻訳家ではないため、
分かりにくい表現があることもございます。ご容赦ください。

ーーーーーーー〈インタビュー〉ーーーーーーー

≪踊る時に大切なこと≫

踊るうえで大切なことは、
真実の歴史や知識を学ぶこと、
よく調べないままに他人に知識を押し付けないこと、
基礎をしっかりと学んで、自分らしく振る舞うこと。
他の誰かみたいになる必要はないよ。

≪Electric Boogaloosの歴史≫

Electric Boogaloosは、NateとJoelがグループに
”Electric Boogaloo Lockers”という名前を
つけたところから始まった。

その後に僕が加入したから、当初は3人だけだったんだ。
より大きなグループにするために、
他のダンサーを探そうということになった。

そこでもう3人※とチームを組んで、
彼らにPoppingのことを教えたんだ。
※Ticking Will、Twist-O-Flex Don、Toyman Skeetの3人

例えばブガルーという名前の由来や、
ブガルーが感情と密接につながっていること、
昔のダンスから来ていることなんかを教えた。

そして、この頃は自分のスタイルを
より昇華できるよう努めている時期でもあった。
後から参加したメンバーも同じように、
スタイルを模索していたよ。

その頃のアニメを参考にしたりして、
色々な種類の動きを合わせて試していたんだ。

そこでTicking Willが考案したのがティッキングだった。
Willは時計の秒針の動きからアイデアを得た。
言ったように、僕たちは様々なものを見てダンスに繋げていたんだ。
加えて、Ticking Willはムーンウォーク、
バックスライドを考えた人でもある。

Twist-o-Flex Donは
全てのフレックスを考案した。
Twist-o-Flex, Neck-o-Flex, Master Flexの全てをね。

Toyman Skeetはトイマンスタイルを考えた。

17歳くらいの時に、
近所のLockが上手い奴もメンバーになったよ。

当初からいたNateとJoelは、実を言うと
僕たちのやるような動きが出来なかった。
だから、ロボットみたいな動きをもっと発展させていった。

つまり、グループとしては
Electric Boogaloo Lockersと別に
Electric Robotがいるような形だった。

≪弟のPoppin Peteが踊るようになった経緯≫

ある日Pete※に電話して、ダンスのことを話した。
※Poppin Pete

Peteとは腹違いの兄弟だ。同じ父親だけど、母親は違う。
その時にファンクのことや、
どうやって踊るかを説明したんだ。
電話越しにPeteが一生懸命踊ろうとしているのが音で分かったよ。

数年後、父がLong Beachに引っ越した時に、
僕、Peteと継母も同じく引っ越したんだ。
その頃のElectric Boogaloo Lockersは
あまり外に行かないタイプだったから、
一旦グループを離れた。

それで、Peteがダンスを学びたいと言ってきたから
Poppingの基礎などを教えていったんだ。
Peteは上手く習得していったよ。

そうして僕がPeteに”Poppin Pete"という名前をつけた。
2人で各地に赴いて、踊りを披露していくと、
僕たちは有名になっていったんだ。

ーーーーーーー〈続く〉ーーーーーーーー

最後まで読んで頂きありがとうございます。
もし翻訳希望のダンサーがいましたら、コメントにお願いいたします。
優先的に対応いたします。

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さて、次回は
Machine Gone Funk、Rock Steady Crewに所属する
あのダンサーのインタビューです。
どうぞお楽しみに!

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