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新時代建設の基礎

 先日私はソ連の家族政策に関する論文を通じて共産主義を観察してみた。実際に共産主義を国家全体の指針として国家運営をするとどうなるのかということは実例を見るのがやはり一番である。

しかし今回は、より思想的あるいは哲学的な視点から近代に広まる思想を分析したい。

2つの道徳

 19世紀のドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェは、道徳には「君主道徳」(Herren-Moral)と「奴隷道徳」(Sklaven-Moral)の2種類があると論じた。ニーチェの道徳論によれば、君主道徳とは、名誉や富、権力を重んじ、行為の良し悪しをその結果で判断する、精神的にも社会的にも強い人達の道徳観である。一方で、奴隷道徳とは、優しさ、共感、同情に価値を置き、行動をその意図によって善悪を判断する、弱者や虐げられた人達の道徳であるというわけだ。

 ニーチェは、君主道徳は道徳の本来の自然な姿として捉えたのに対して、奴隷道徳は君主道徳に対する反動であり、恨めしいあるいは羨ましいという気持ちによって突き動かされると考えていたようだ。そして、強大なるローマ帝国に支配されたユダヤ人社会とそこから生まれたキリスト教的道徳観を念頭に、奴隷道徳は、主人の価値観や「徳」を損ない、凡庸さや退廃を促進するから、文明の発展や繁栄に有害であると唱えたのである。

 しかし、この仮説は、キリスト教的道徳観を説明するためには多少は役に立ったかもしれないが、普遍的なものではないと思われる。というのも、たとえばイスラム教的道徳観は君主道徳と奴隷道徳のいずれにも分別しがたく、むしろ両方の要素を含んでいるからである。そのようなイスラム教的道徳観は、存在そのものがニーチェの理論に挑戦し、根底から覆すものであると言える。したがって、この記事ではまず、イスラム教的道徳観が強者と弱者の「権力闘争」に由来するものではないことを示し、文明の衰退や退廃につながるものでもないことを示すことによって、奴隷道徳の概念を恒久的に封印することを目指す。ちなみに、ニーチェは1886年初版の著書「善悪の彼岸(邦題)」で君主道徳と奴隷道徳を論じたのであるが、後になって思い出したようにイスラムについて申し訳程度に書いた。ニーチェにしては好意的に語ったところまでは良かったのだが、その出版は遅れたし、あろうことか彼はこの本に「アンチクリスト」と名付けて更なるキリスト教批判を繰り広げるのであった。ダッジャールの概念も知らなかったのだろうか。

想定されなかった道徳観

 イスラム教的道徳観が、君主道徳ではないことは説明するまでもなかろう。イスラム教的道徳観は、富や権力の獲得を目指すビジネス・セミナーのような価値観を示すものではないことは明らかである。そこで、イスラムがキリスト教を継承するものであるにもかかわらず、ニーチェが非難したキリスト教的道徳観とは違って、イスラム教的道徳観は奴隷道徳でもないことを示すことが重要になってくる。

 イスラム教的道徳観は強弱や、貴賤という単純な二項対立ではなく、人間の本質と神との関係に対する複合的で繊細な理解に基づくものである。イスラム教的道徳観は時と場合に応じて、強さと思いやりの両方の資質を均衡させることを求めている。その神はアル・アジズ(力ある者)でありながらにして、アル・ラフマーン(慈悲深い者)である。イスラム教的道徳観を持つ者は当然ながら、そのような神を崇めるとともに、その啓示を信じることを通じて、力と慈悲の両立を実現している神を模範として生活するわけである。言い換えるなら、人間は地上において神の副官(カリファ)として権威と責任を負わされ、神のしもべ(アブド)として神の意志と命令に従わなければならないということである。

 つまり、イスラム教的道徳観は、人間の意志や欲望に基づくものではなく、むしろ神とその啓示を信じることに基づくものなのである。イスラム教的道徳観は、この世とあの世の創造者である唯一神を信じ、道徳的価値観の究極の源にするのであって、人間同士の諍いを根拠にするのではない。神の意志と目的に従って生きるという価値観とその方法が、預言者を通じて啓示された書物こそがクルアーンなのである。だからこそ、少なくともイスラム教的道徳観の考え方からすれば、イスラム教的道徳観は時代や場所によって変化するものではなくあらゆる状況に適用できる神の命令であり普遍的な真理であると言える。言い換えるならば、イスラム教的道徳観は人間の発明でもなければ、社会的に構築されたものでもないのである。

 社会的に構築されたものではないイスラム教的道徳観は、私利私欲や恨みではなく、神への愛と従順、罰への恐れなどによって突き動かされるものである。その点においてイスラム教的道徳観は、ニーチェが彼の知る道徳律を二分して提唱した君主道徳と奴隷道徳のいずれに押し込めることもできない。

 さて、イスラム教的道徳観が本質的に奴隷道徳ではないとして、次に機能的に奴隷道徳でないのかどうかも確認しておきたい。ニーチェによれば奴隷道徳は、文明の発展や繁栄に有害であるはずなのだ。

 しかし、イスラム教的道徳観は、弱さや憤りの表れではなく、むしろ強さと創造性の源である。例えば、クルアーンは

正直な者達と共に居なさい

クルアーン 9:119

と命じているのであるが、これは真実を探究し虚偽を忌まう社会的条件を醸成すると言える。その結果、イスラム世界では科学や哲学が発達した歴史がある。また、集団による礼拝の意義を強調する道徳観は、そのための施設であるモスクの建設を推し進め、結果として建築やそれに必要な数学や芸術が発達した。すなわち総じて探究心や好奇心を育む道徳観なのである。イブン・バットゥータ、イブン・ハルドゥーン、アル・ガザーリー、イブン・ルシュド、イブン・シーナなどのイスラム教徒は知の巨匠として有名であり、世界的な影響を及ぼした。唯一の神のみを崇める道徳観は、人物画から離れた抽象芸術を発展させ、美しく複雑な模様、書道、陶磁器、織物、絨毯、絵画、建築を創造した。

 これらの例は、文明の衰退や退廃の原因であるというニーチェの悲観的で偏見に満ちた奴隷道徳よりも、むしろ文明の発展と繁栄の触媒であるという、より活気と感謝に満ちた道徳であるというほうがイスラム教的道徳観を、正しく説明できることを示唆している。このようにして、イスラム教的道徳観の存在を認め、理解することを通じて、君主道徳と奴隷道徳の概念には普遍性がないことがわかる。しかし、イスラム教的道徳観の高尚さは、君主道徳と奴隷道徳の概念がいとも簡単に打破された事実が示唆する多くのことの一つに過ぎない。それは、世界の数多くの人にとって既知の事実であり、いわゆる車輪の再発明である。

2つではなかった道徳が意味すること

 それ以上に注目すべきは、ニーチェがこの概念を通じてキリスト教的道徳観に対して行った批判も単なる中傷の類でしかなかったという事実だ。なぜならばこの時代にキリスト教的道徳観が受けた数々の悪質な中傷は近代化の流れの中で十分な検証を経ずに科学的な事実として受け入れられ、学問が大きく歪められる結果になったからだ。我々現代人はこれらの誤った前提をもとに発展した理論を特定し、除去し、学問を再構築しなければならないという重荷を背負っているのである。言い換えるならば、宗教と世俗という虚偽の二項対立を廃し、より平和で豊かな世界を促進するためには、異なる道徳体系とその起源、動機、結果、利益について、改めて研究が必要であるということだ。

 時代的背景を再確認しよう。ニーチェはキリスト教に批判的であったが、キリスト教の運動の一つとしてみなしていた民主主義にも批判を浴びせるなど、当時の道徳的、あるいは知的伝統といえるあらゆるものに抵抗を示した。そしてキリスト教を弱く、受動的で恨みがましいなどと捉え、奴隷道徳と中傷した。その上で君主道徳を古代ギリシャやローマと結びつけて賞賛し、奴隷道徳と対比した。

 ニーチェは道徳的価値や概念の起源と影響を新しい偏見から論じた。彼は、道徳的価値とは客観的・普遍的なものではなく、異なる集団の関心や視点を反映した歴史的・文化的産物であると主張した。また、道徳的価値は理性や真理に基づくものではなく、むしろ権力や意志に基づくものであると主張した。皮肉なことに、前述の通り彼自身の視点が偏狭であったために、自分の視点に依存した解釈に過ぎないものを真理であるかのように主張する結果になったのだ。いずれにせよ彼はこの考え方を「観点主義」と呼んだ。近年の流行では間主観性などというのであろう。

君主道徳と奴隷道徳から発展した社会学的理論は、例えば「紛争理論」や「批判理論」があるだろう。なお、これらの概念はマルクス主義に関連するものではあるが、ニーチェがマルクスに直接影響を与えたわけではないというのが通説である。実際に会ったり、著作を引用したりというような記録はないとされている。

 ニーチェという人は不思議なことに、マルクス主義と関連付けられたり、ナチズムと関連づけられたりする。しかし本人は共産主義者でもナチでもなかった。いわゆる反ユダヤ主義のようなものへの彼の批判はよく知られていることだから改めてここでは論じない。マルクス主義についても、ニーチェはよく唱えられるような平等思想についてはルソーに対する批判の形式で、手厳しく批判した。曰く、

Den Gleichen Gleiches, den Ungleichen Ungleiches - das wäre die wahre Rede der Gerechtigkeit: und, was daraus folgt, Ungleiches niemals gleich machen.

Götzen-Dämmerung

すなわち「平等なるものには平等を、不平等なるものには不平等を」と唱え、「不平等なるものを平等にしてはならぬ」と言い切ったのである。

 いずれにせよ、ニーチェもマルクスも、19世紀のドイツの有名な哲学者の影響を受けていることは間違いないだろう。例えば、ヘーゲル、フォイエルバッハ、シュティルナーなどだ。そして、産業革命、資本主義、民主主義などの社会情勢に反応している点もやや共通している。さらに、ニーチェは、フーコーなどの後のマルクス主義思想家たちに影響を与えた。これらの思想家は、道徳、文化、権力に対するニーチェの批判を、彼ら自身の分析に取り込んだ。マルクス自身は宗教をブルジョアジーによる労働者階級の搾取と抑圧を正当化し維持する道具とみなして批判していた。ニーチェがマルクスに直接影響を与えたわけではないというのが通説であるにも関わらず起きたこのような奇妙な統合は、このような原因となったかも知れない。

2つの道徳の発展

ヘルベルト・マルクーゼはその著書「エロスと文明」でこのように切り出す。

ニーチェの哲学だけが、存在論的証明の伝統を乗り越えているのであるが、ロゴスが「力への意志」に対する抑圧と倒錯であるという彼の告発は、非常に曖昧であるため、よく理解されないことが多かった。

Marcuse, H. (1955) “PHILOSOPHICAL INTERLUDE,” in Eros and civilization: A philosphical inquriry into Freud. Boston: Beacon Press, p. 119.

ロゴスという単語はよくキリスト教においてイエスの本質であると言われるから、ここでは枕詞のように使われたのであろうと読み取れる。そして抑圧という言葉が奴隷に対する枕詞である。そしてニーチェが受けたであろう批判を避けたいのか、彼の表現が曖昧だから誤解されたのだと言って防御線を張っている。そして歴史上ロゴスは「力への意志」を抑圧するというより解き放ったのであって、その意志の方向性こそが人を労働の奴隷かつ満足感の敵たらしめる「労働の疎外」という抑圧であったなどと述べている。マルクーゼはここでニーチェの奴隷道徳論とマルクスの疎外論の統合を試みているのである。これは人の本質を再定義してその本質が発現しないことを自己表現させない抑圧であるとみなすもので、近年でもよく利用される大変興味深い手法である。マルクーゼはニーチェの提唱した奴隷道徳をキリスト教的道徳感と名指ししてこうも続ける。

キリスト教的道徳観による征服によって、生命の本能は捻じ曲げられて締め付けられることになった。良心の呵責は「神に対する負い目」に結びつけられた。(中略)「精神の負傷」は、たとえ癒えるとしても、傷跡を残すのだ。過去が現在の支配者になり、生は死に捧げるものになる。

Marcuse, H. (1955) “PHILOSOPHICAL INTERLUDE” (1955) in Eros and civilization: A philosophical inquiry into Freud. Boston: Beacon Press, p. 120.

 かくして、マルクーゼはキリスト教的道徳観に基づく社会が創り上げてきた西洋の過去を否定して、過去と現在の断絶を正当化できたつもりになったのである。さすが新左翼の祖と言われるだけのことはある。

広まる誤解

 ニーチェが奴隷道徳の根源とした恨めしいあるいは羨ましいという気持ちの総体としての憎悪は君主道徳への反発だということだった。しかし近代主義者は宗教と世俗という二項対立を想定し世俗を崇め奉るのだから、いくら支配者への反発という要素があるという奴隷道徳であっても、それはすなわちキリスト教的道徳観なのだから、そのまま受け入れるわけには行かないのである。そこで20世紀になってマルクスやフロイトなどの思想家の考え方をもとに君主道徳でも奴隷道徳でもない思想を提唱しようという機運が高まる。その中でいわゆるフランクフルト学派が展開したのが、批判理論である。批判理論は、それ自身が思想であることを棚に上げて思想が人類解放の障害であるなどとして、思想を暴露し、挑戦することを通じて対抗しようと主張する。つまり批判理論は、奴隷道徳の根源である憎悪に対するニーチェの批評を継承し拡大するものであるとも言える。批判理論的に捉えるなら、奴隷道徳があるからこそ君主道徳が再生産され永続していくのであるとも言えるかも知れない。もちろん、奴隷道徳は本来キリスト教的道徳観を中傷して呼んだものなのだから不当な稼ぎ方を擁護するはずもないのである。しかし、もはや宗教への敵対は手段ではなく目的と化しているのであるからこのような矛盾は彼らにとっては枝葉末節である。

 反対に君主道徳を20世紀以降の世界でマルクス主義的に見ると、この文脈における「君主」とは、資本主義の中でボロ儲けする資産家、憎きブルジョワジーに見えてくる。人を人とも思わず搾取する資産家たちというのは労働者の立場からも想像しやすいだろう。近代人たるもの、職場に行けば嫌な上司の一人や二人くらい居るものだ。

 そんなわけで、批判理論は君主道徳と奴隷道徳の両方に対して批判を繰り出すことになる。さて、宗教でもない、資本主義でもない、第三の道とは何か。言うまでもなく共産主義である。この道はまさしく、人間の解放の道である。しかし、この解放は道具的理性をはじめとするあらゆる理性からの解放である。ニーチェの偏狭な誤解すら誤解して、ついには理論の荒野を生み出したのだ。もはやいかなる身勝手も非難される筋合いはなく、人類に科せられた唯一の制約は他人の身勝手を全力で肯定することだけになったのだ。ああ、なんと自由なことか、神は死んだのだ。神は死んだままなのだ。何を隠そう、彼らが殺したのだ。殺人鬼の代表格である彼らをどうしてくれようか。

 いや、死んだのは神ではない。死んだのは狂気の男ニーチェと、その申し子達の精神である。

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