在宅介護15〜終活
こんにちは、#医療系事務職員応援隊 の長幸美です。
そろそろ紫陽花も色づき始めました。梅雨も間近ですね。
皆さんは「終活」というとどのようにお考えになるでしょうか?
数年前から「ACP」という言葉が医療機関の中でも出始め、「人生会議をしましょう!」というような広告を目にするようにもなってきましたが、実際のところ、どんな風にされているのでしょうか?
我が家も、認知症の父が嚥下がうまく出来なくなってきて、誤嚥性肺炎を起こすようになり、胃ろうにするか、中心静脈栄養にするか、それとも自然に任せ様子を見ていくか、さあどうしますか?と医師から言われ・・・
違和感とともになんとも言えない感情がふつふつと・・・
「もう一度確認しますが、それでいいんですね」と聞かれるたびに、なんだかなあと思ってしまう私がいます。
生きていてほしい
そう思うのは当たり前のことだと思います。
しかし、88年も生きてきたのです。本人が「やりたいことがある!」と言えば別ですが、老衰と思われる経過をたどる中で、延命のための措置を、幾度も「このままでいいんですね」といわれると、その選択自体が悪いことのように感じてしまい、ざわざわしてきます。
父は、祖父が八幡製鉄所の職工をしていたため、今の八幡東区で生まれました。戦時中に本家に疎開し、戦後祖父が仕事を辞めたタイミングで、今ダムの底になったところに引っ越してきたそうです。
8人兄弟の下から2番目、兄弟姉妹が多かったためか、「おなか一杯食べる」ということを大事にしていました。子供のころ子供会で大なべでカレーを作ったり、人が集まると焼肉でわいわい、また、法事やお盆、お正月には、20人以上が集まり、にぎやかだった記憶があります。
私も、子供のころは、おやつに畑になっているトマトや胡瓜をもいで食べたり、八朔や夏みかんなどをもいできて食べたりしていましたね。この時季だったら、枇杷や野イチゴをとって食べたり、筍を掘りに、山へ行って、食べる分をとってきて・・・泥んこになっていました。
いまも、近所の山道を歩いているとホッとするのは、そのころの記憶があるからでしょうか?
さて、日本の文化の中に、「死」という言葉に対し、避ける風習があるように思います。負のイメージが強いというのでしょうか・・・。
同じように「障害」に対しても・・・。
自分自身で理解できないことだからか、経験できないことへの恐怖からなのか?隠すようなところもありますよね。
年を取っていくと、これまでできていたことが一つずつできなくなってきて、自分自身でなぜできないのか、その出来なくなったことを認めたくないという葛藤もあるかもしれません。それと同時に、悲しさと情けないという思い、これからどうなっていくのかという不安とが折り重なっていて、家族も含めてそれを隠していくところもありそうに思います。
もしも・・・の時に自分自身がどうしたいのか・・・このことを日ごろから話していくことが大事な「ACP」だと思うのですが、それ以前に、一つ一つできなくなっていったときにどうするのか、そういったことを家族で話し合うことが必要なのではないか?
大家族で暮らしていると、子供の時から、だんだんできなくなっていく様、それを支える大人たちの様子を見て学んでいくことになるのでしょうが、核家族の現代ではなかなかそうはいかないようです。
地域包括ケアシステムの構築はまちづくりといわれていますが、このような大家族の役割を地域で・・・向こう三軒両隣の小さなコミュニティの中で、希薄になってきた地域の中で生活し続けていくためには、「まちづくり」として意識的に考えていく必要が出てきているのかなあ・・・
父のことで医療機関や介護事業所とプライベートにかかわりを持つことが増えてきましたが、父がどう臨んでいたのか、残された時間をどう過ごしていきたいか、なんて聞かれたことが無いのが現状です。そうそう、最初の小規模多機能では、かなり母にも寄り添い、父の変化とともにどうしたいかなど、話をしてくれていましたが、それ以外は、ほとんどそのようなことを聞かれることはありません。
ウチの施設は、看取りまでやりますので、いいですね?
ウチの施設に入るなら、〇〇クリニックが主治医になります。いいですね?
何かあった時は○○病院と連携していますから、そちらに入院してもラうことになりますが、いいですね?
急変した場合は専門医がいませんので、処置ができないかもしれませんが、いいですね?
施設や病院から電話があると、このような内容が多く、「わかりました、お願いします。」と答えるしかないことが多く、おそらくカルテの中には、「キーパーソンである長女に説明し了承を得た」と書かれているのだろうな、と思うと、なんとも言えない感情がわいてきます。
そのうちに、「誤嚥性肺炎を起こすため、絶食です。胃ろうか中心静脈栄養を入れない限り、あと3~6カ月だと思いますが、今のままでいいんですね」という言葉が追加されるようになりました。
あれだけ食いしん坊だった父が「食べられない」というのはつらいだろうな・・・けれど、昨年の今頃はすでに「食べる」という行為も、「おいしい」ということも忘れかけていたことを考えると、本当はどう感じているんだろうかと思います。
「終活」という言葉が世間の中で、頻繁に聴かれるようになりました。
親の終活・・・とともに、自分自身の「終いかた」を考えていかないといけないなあと思う今日この頃です。