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雲の上にはお天道様が〜私が#医療系事務職員応援隊になったわけ12_お家に帰りたい

こんにちは♪
#医療系事務職員応援隊の長幸美です
二つ目の病院でのことです。なんちゃって2次救急の病院で、外科透析や脳外科など救急搬送を受け入れていました。そこでは、家に帰りたくても帰れなくなった方がたくさんいらっしゃいました。
今日はそのことを少しお話ししようと思います。

救急搬送

救急搬送の患者さん、これまで病院にかかることもなくご自宅でお過ごしになって来られた方も少なくありません。
これまでは自宅で介護をされてこられた方も、入院し、ホッとされたのか、自宅への退院を躊躇される方も少なくありませんでした。

1週間要介護者がいない状況になると、それまで、どうやって生活をしてきたのかわからない・・・そんな状況になることは、いま、身をもって体験しています。
それでも、当時、私は医事課職員でありながら、退院調整をしていて、そのような患者さんのご家族と何度も面談をして患者さんの退院先の検討をしていました。

ここはどこや? なんで助けたんや!

あるとき、自宅で意識がなくなり、救急搬送された方がありました。
毎日連絡をしている遠方在住の家族が、連絡が取れないことを心配し、町内の民生委員に連絡をして室内で倒れているところを発見されたのです。
幸いにも発見が早かったので、命に別状はありませんでしたが、目を覚ました時の第一声が、「何でここにおるんや、なんで助けたんや!」という言葉でした。

糖尿病末期の患者さんで、透析の導入で入院し導入をした患者サンでもありましたし、ご家族さまとも面談していて、外来透析に移行したばかりの患者さんでした。2カ月半程度かかり、やっと自宅に戻ることが出来た患者さんでしたので、私自身衝撃でした。

別の症例では、子供さんは無くて(生涯独身)、ご兄弟さまが、入院後の体調を心配され、施設への退院を希望される方もありました。家に帰っても一人きり、これまで兄弟が交代で世話をされていましたが、入院して1週間も家にいない日が続くと、家族の受けれは難しくなります。これは同居していても、別居していても同様でした。

どの患者さんも、日本の高度成長期に家庭を顧みず社会の発展・経済の発展に尽くしてきた段階の世代の方でした。
その方々が、救急搬送された後、1週間、10日と経つにつれ、元気がなくなり、「死なせてほしい」と嘆願されるさまは本当に切ないものでした。
死ぬのも楽じゃないなあ・・・患者さんたちはそうおっしゃることがありました。

おうちに帰りたい!

あるがん末期の患者さんです。がん性疼痛が激しくレスキューも最大限使用している方でした。その方の口癖は、「おうちに帰りたい!」。

当時はまだ、訪問看護ステーションは立ち上げてはいませんでした。
もともとターミナルの方は患者さんの状態を見て、1日でも1時間でも患者さんのご希望をかなえてあげたい、と担当医も病棟の看護師も訪問看護師も考えて寄り添ってきました。その当時は外泊時の訪問看護は保険請求できません。
この患者さんも、「おうちに帰りたい!」と看護師に漏らしておいででした。ご家族は遠方にお住まいで、ご自宅はおひとりでのご生活。奥様は認知症でグループホームに入所され、お子様は北九州と飯塚にお住まいでした。それぞれに家庭もお子様もいらっしゃいましたので、お父様に24時間付き添うことはできません。がん末期で、入院中は麻薬もこれ以上使用すると危険、というところまで使用されている方でした。もう肺にも転移していましたので、いつ急変するかもわかりません。そんな中で、一泊二日なら・・・と主治医も渋々許可したような状況でした。もともと銀行員の患者様は自分の死期が近いことを察知しておられました。このため、家に帰り、整理したいと思われたのでしょう。主治医と訪問看護師、病棟看護師が話し合い、訪問看護師が付き添うカタチで、外泊の許可が出ました。その日は娘さまが外泊に付き添われていました。

ところが、自宅に帰り、奥様のグループホームへお見舞いに行かれ、ゆっくりとくつろがれている中で、これまで最大限のレスキュー(麻薬)を使用しても痛みのコントロールができなかった患者さんが、とても穏やかに、レスキュー(麻薬)を使用しなくても、痛みがない・・・という状況になりました。もともと一泊だったので、その日は娘さまがお泊りになったのですが、翌日、お約束の時間になっても、戻って来られません。
訪問看護師が急ぎ訪問したところ、ご本人様が、どうしても帰りたくない・・・と仰るのです。娘さまも子供さんのこともあり、大変お困りになり、何とか病院に連れて帰ってほしいと切望されました。もちろんご本人様は、絶対帰らないといわれます。

この時の娘さまの気持ち・・・今何となくわかるのですが、もし、夜中に病状の急変があった場合どうしていいかわからないこと、家庭があるために、昼間しか付き添いができないこと、夜中のことが心配だということをお聞きしました。ご本人様はすでにおうちに帰られていることから、病院には戻らないとかたくなです。訪問看護師は主治医に連絡を入れ、その場でカンファレンスが行われました。訪問看護師からの提案で、1日に2回訪問看護に入り、24時間体制で支援すること。亡くなるその時に立ち会わなくても、それまでの過程が大事であること、ご本人様のご希望に沿ったご支援をしませんか・・・と、ギリギリになりどうしても大変な時は、最後はいつでも医療機関で受け入れることをお約束し、退院が決まりました。

在宅の看取り

私にとっても、単独世帯の看取りはその方が初めての経験でした。在宅の看取りが推奨される前の出来事です。訪問看護師は今後患者さんの体の変化を説明するとともに、挿絵入りの文書を作りました。今の状態を説明するとともに、今後起こるであろう変化を状況の説明とともに対処法をお伝えしました。少しずつ体は最期の時を迎えるために変化していくこと・・・説明して1日1日を過ごしていく中で、訪問看護師は、はじめ不安いっぱいだった娘さまの中に、現状を受入れ何か「覚悟」のようなものを感じたといいます。退院されて10日目くらいだったでしょうか、呼吸状態に変化が現れ、その日は息子様も一緒に付き添われ、静かに最期の時を過ごされたということです。呼吸が止まり、しばらくご家族のみで時間を過ごされ、病院に電話が入ったのは、明け方6時近かったと記憶しています。
連絡を受け訪問した訪問看護師は、悲しみの中にも、やり切った安ど感を感じたと、話してくれました。

自宅看取りを支えてくれるのは・・・?

一番大きな役割を果たすのは、訪問看護師ではないかと思います。
この事例の後も、年間複数例の在宅看取りを経験しましたが、ファーストコールは訪問看護師が受けるため、医師に直接連絡が入ることは、稀です。
この事例でも、医師は通常の勤務時間に訪問し、死亡診断書を作成することになりました。
状態の急変があれば話は別かもしれませんが、ある程度予測することができ、訪問看護師との連携がしっかりと取れている状況があれば、ほとんどの事例で医師が前面に出ることはないのではないかと思います。
私が勤務していた医療機関2ヵ所とも、在宅看取りを積極的に実施していましたが、夜中に医師が起こされて訪問する事例は、数える程度しかありませんでした。それよりも、最期の時を迎える準備段階をしっかりと説明しサポートすることが出来ると、最後の最後に救急車を呼び搬送してしまうということもないんだな、と思いました。

終の棲家

それと同時に、高度成長期には身を粉にして働いていた方の晩年がなんと悲しい切ないものなのか・・・ということもとても強く感じていました。なんとなくモヤモヤとするのです。それまで一緒に生活していた家族からも「退院させないで」と頼まれる状況は、あまりにも悲しい・・・
そんな頑張ってきた方が、晩年を楽しく暮らせる場、自分自身を生かせる場を提供できないか・・・と思い、地域コーディネーターの資格をとったり、様々な勉強会に出たりしていましたが、そうするうちに、介護事業に興味が出てきました。


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