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雲の上にはお天道様が!〜私が「#医療系事務職員応援隊」になったわけ⑨地域の中の立ち位置を考える

皆さん、こんにちは☀️
「#医療系事務職員応援隊」の長幸美です。

さて、前回三つ目の転機が訪れたところまでお話ししました。課題が多く、実は、一ヶ月で辞めようと思ったわけです。

◾️転機④ 〜病院の改革〜
入職一ヶ月目の最終日、私は事務長を呼び出し、一ヶ月観察して気付いた課題を30項目ほど殴り書きした用紙を突き付け、このままでは病院の将来はなく、事務から改革していかないといけないと思うこと、事務長はどう考えているのか?と、詰め寄りました。

私もまだまだ若かったんですね。
事務長は「変えたいと思って採用した」と言われ、その後の事を話し合いまして・・・計画しました。
とってもざっくりとですが、
①主任クラスの人を入れてほしいこと
②当面は入院医事から手を入れること
③クラークを看護部管理から医事管理にして人員の配置を見直すこと
④施設基準の管理を総務課から医事に渡してほしいこと
⑤問題行動は是正する
などなどです。

この時点で、私も腹を括り、前職での経験をフルに活かせば、なんとかなると踏んでいました。職員の業務量を把握し、スキルをはかり、是正していくことは前職でも経験済みで、ある程度目算は立っていました。
実際に、残業時間を月20時間以内にすること、査定金額の桁を一桁減らすこと、施設基準を類上げすることなどは比較的早期に対応できました。

◾️転機⑤ 〜地域医療コーディネーター〜
私が転職した医療機関は、200床の一般病床で、すぐ近くには大学病院もあります。当時、医療の世界では、地域連携が前方連携から後方連携に移行してきた頃でした。

病院自体は、透析は外科の先生が血管トラブルも対応され、他の透析施設からトラブル対応を依頼されたり、脳外科も機能外科など神経難病の対応もされるなど、私自身初めてのことばかりでした。在宅も力を入れて、当時がんセンターから末期の患者さんの看取りを依頼されるなど、ニッチな対応も力を入れておられました。

しかしながら、先生方は大学病院と同じような立ち位置を望まれ、最新の医療提供をしたい・・・と思われていたのです。志は素晴らしいのですが、人的にも物理的にも、大学と同じような医療提供はできません。
医師や看護師をはじめ、各部門の人員も配置ギリギリで、余裕もない状況です。仕事の内容を整理し、適切な人員配置を検討する必要もありました。
さらに、難病の基幹病院でもあったため、大学や県の支援センターとの連携も欠かせないものがありました。末期の患者さんの受入れをして在宅医療につないでいくため、介護支援事業所や訪問看護ステーションとの連携も欠かせません。
しかしながら、地域医療連携室などの機能がなく、医事課職員や事務長がその役割を担っていたのです。

前方連携は前に勤務していた医療機関で経験がありました。しかし後方連携は経験がなかったのです。ちょうど2年目に入った時に、大学病院と地域の慢性期の病院が共同で「地域医療コーディネーター養成講座」を開講するということで、許可をもらい講座に参加しました。その時のつながりで「情報収集シート」と連携業務に必要なマニュアルを作成し、だれもが窓口になって一時対応ができる仕組みを作り、定期的に各医療機関や介護支援事業所、難病センター、救急隊とも情報交換ができる仕組みを作っていきました。
数年後に念願の社会福祉士を採用し、連携室を立ち上げたのですが、それまでは本当にいろいろな方に助けてもらいながら、見よう見まねで連携を進めていきました。その時のつながりが今の私を支えてくれています。

地域医療コーディネーターを受講することにより、患者さんは地域の中で生活をしている、という当たり前のことに気付き、言い方はおかしいかもしれませんが、生活と治療の両立をするということに改めて気づいたのです。体調は日々変化していきます。良い状態を維持して、生活を豊かにすることを、どうサポート・支援できるか・・・視点が変わったとでも言いましょうか? また、疾患を知ることで、対応時に気付くこともあります。連携先の医療機関に伝えることも違ってくるでしょう。特に介護事業者の方々との連携も変わってきます。
このことに気付いたことは、大きかったと思います。

そして、地域でコーディネートしていく上では、自院の医療機能とそれを実施する専門職について知らないと出来ません。また、患者さんの病気を知らないと

皆さん、何かお気づきになりませんか?
「無知の知」です。
私は13年間の経験から、大きく勘違いしていました。
地域のことも、連携のことも私は何も理解していなかった。自分自身を知ること、そして何よりも、相手のことを知ること、これがどれだけ大事なことか、連携を通して、地域の方々と繋がることで、気付いたのです。

西遊記の有名なエピソードの中で、如意棒や筋斗雲を手に入れた孫悟空は天界まで飛んでいき、大暴れをし、それを見かねたお釈迦様は孫悟空に「私の手のひらから出ることができれば天界の主にしてやろう。その代わりできなければ修行のやり直しだ」といわれました。孫悟空は筋斗雲で飛び回りますが、どれだけとんでも、お釈迦様の手のひらから出ることができず、お釈迦さまは自分の指を山に変えて押さえつけ、三蔵法師が現れるまでの500年間山の下に閉じ込められていたといわれています。
大人になり、読み返してみて、自分がなんでもできると思い込めば、視野は狭くなり・・・孫悟空のように思いあがってはいけない・・・と思うようになりました。

■地域の中で何をするか?
地域コーディネーターの研修を受けるうちに、病院の立ち位置を考えることに繋がっていきました。それと同時に、患者さんの要望も意識することになってきたのです。
地域包括ケアシステム・・・明確に考えていたわけではありません。
ぼんやりと、地域の中で暮らしている人を、安心して暮らせる・・・ということを考えたときに、何をすればいいのだろう?
この地域の医療機関を見たときに、冷静に考えると、うちの病院に求められている役割ってなんだろう?
それは地域の診療所の後方支援なのではないだろうか?
それは超急性期の医療機関の後方支援ではないだろうか?
そのために必要な医療機能は? どんな人員が必要なのだろう?
入院患者さんが安心して退院するために、何が必要なのだろう?

今考えてみると、地域医療構想・地域包括ケアシステムそのものなのです。
そして、それを支えていくために、介護事業所はもちろん、一般企業との連携も・・・具体的に言うとタクシー会社との連携、地域の自治会や民生委員との連携を考え始めたのです。
今考えてみると、かなり画期的だったと思います。
しかし、当時は「何を言っているんだ!」という感じで診られていました。

さて・・・続きは次回に!

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