以下の投稿についてのプロダクション・ノート的まとめ。
あまりに微妙なデジタルとアナログの境界線
これぞ「餅は餅屋」。ChatGPTに「デジタルとアナログの違いは何ですか?」と質問したら、完璧に近い模範解答が帰ってきました。
先人達の努力によって「10進数デジタル」の可能性は完全に枝刈りされてしまった模様。
どういう分野に残ったかというと…
「それは最初からさ定まっていた未来ではなかった」という話ですね。
そういえば大昔の私は「FM放送=デジタル、AM放送=アナログ」みたいな勘違いもしてたのです。なんとなく「音質の差」とか「チャンネルの合わせ方」からそういうイメージを抱いていたのですね。
もちろん実際には「符号化(ADコンバート)」と「復号(DAコンバート)」こそデジタルの本質なので「ラジオ放送を使ったコンピューター・プログラム配信」が試みられた事もあります。
また今ではペットにiCチップというと迷子や盗難対策というイメージが定着してますが、1970年代のマイコン漫画では「動物の額にICチップの足をブスッと刺して制御下に置く(頭蓋骨を貫通するほど足が長い特別製?)」なんて描写が普通に出てきました。
ペースメーカーからの連想?
とはいえ「発振器から伸ばしたリード線経由で心臓に一定のリズムで電気刺激を伝える」過程そのものにはデジタル性(符号化と復号の過程)はありません。この辺り電子楽器やエフェクターでも出てくる話…
この微妙な表現には、そういう含みも持たせてあったんですね。そして当時の混沌とした雰囲気が生んだ最大級の「キリマンジャロ山頂の豹のミイラ」が「デジタル麻雀」概念。
Big Data到来にはある意味、こうした誤謬を押し流す効果もあったのでは?
「暗い(怖い)内容を明るく歌う伝統」について
主文で触れているドナルド・フェーゲン「IGY」の歌詞、実は結構暗くて怖いディストピアめいた内容だったりします。
ヒッピー運動挫折を背景に当時大ヒットしたゼーガーとエバンズ「西暦2525(In The Year 2525, 1969年)」辺りからの流れですね。
私はニューロマ系だったので、こっちのバージョンを最初に知りました。
こういう「暗い(怖い)内容を明るく歌う伝統」では真っ先に名前が上がるのはGilbert O'Sullivan「Alone Again(1972年)」でしょうか。
これがどういう曲か知ってると中島みゆき「タクシー・ドライバー(1979年)」の印象もだいぶ変わりますね。もちろん状況再構成に必要な情報の多くは闇の中…
ただ当時は「自殺を暗喩する曲」って意外と多かったりするのですね。ヴァージンVS「コスミック・サイクラー(1982年)」とか、久保田利伸「流星のサドル(1986年)」とか…
極め付けは友人の自殺が作曲の契機になったといわれているNew Order 「Blue Monday(1982年)」。音楽スタイルとしては後半にギターソロが入る「シンセサイザー・ロック」のほぼ最終系。
こういう密かに暗い怨念が込められた曲でも、ポップチューンされてたらそういう曲として消費してしまう「世間の包容力」の方が恐ろしい? なまじそういう結論を知ってるからこそこういう結論という次第。
そんな感じで以下続報…