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「#デジタルで変わったこと」に応募してみました1/1。未来を明るいと感じるか暗いと感じるかなんて全て気の持ちよう?

以下の投稿についてのプロダクション・ノート的まとめ。

あまりに微妙なデジタルとアナログの境界線

これぞ「餅は餅屋」。ChatGPTに「デジタルとアナログの違いは何ですか?」と質問したら、完璧に近い模範解答が帰ってきました。

アナログとデジタルは、情報の処理や表現の方法に関する2つの異なるアプローチです。これらは特に通信、音声、映像、データの記録や伝送などの分野でよく使われますが、それぞれの違いは多岐にわたります。

1. 情報の表現方法

アナログ:
アナログは、連続的な値で情報を表現します。これは、無限の細かさで変化する波形のように、常に滑らかで連続的なデータを表します。たとえば、アナログ時計は、針が連続的に動き続けることで時間を示します。また、アナログの音声信号は、音波の形をそのまま電圧の変化として伝えます。

デジタル:
デジタルは、離散的な値で情報を表現します。これは、情報を0と1のビットの組み合わせで表現し、時間や音のような連続的なデータも分割して扱います。デジタル時計は、数値で特定の時刻を表示し、音声信号はデジタル化されて、一定の時間間隔ごとにサンプルされたデータの集まりとして表現されます。

2. 精度と劣化

アナログ:
アナログ信号は連続的なため、理論的には非常に高い精度で情報を表現できます。しかし、アナログ信号はノイズに弱く、伝送や再生を繰り返すと劣化しやすいという問題があります。たとえば、レコードの音声は時間とともに劣化し、雑音が増えることがあります。

デジタル:
デジタル信号は、0と1の離散的な値で情報を扱うため、ある程度の精度でしか情報を表現できません(例:サンプリングレートに依存します)。しかし、ノイズに対して強く、劣化しにくいという特徴があります。デジタルデータは、コピーや伝送を繰り返しても、原本と全く同じ品質を保つことができます。たとえば、CDやデジタル音楽ファイルは何度再生しても品質は変わりません。

3. 処理の方法

アナログ:
アナログの処理は、物理的な波や変動をそのまま利用します。たとえば、ラジオの音声信号は、その波形自体を増幅してスピーカーに伝えます。アナログ処理では、特定のフィルターや増幅器が必要ですが、全体として情報は滑らかに変化し続けます。

デジタル:
デジタル処理は、データをビット単位で操作し、コンピュータやデジタルデバイスがそのデータを解釈・変換します。デジタル信号処理(DSP)技術を用いることで、音声、映像、その他のデータを圧縮したり、効果を加えたりすることが可能です。デジタルでは、情報をアルゴリズムに従って処理でき、柔軟性が高いです。

4. 応用例

アナログの例:
• レコードプレーヤー
• アナログ時計
• VHSビデオテープ
• フィルムカメラ

デジタルの例:
• CDやMP3プレーヤー
• デジタル時計
• Blu-rayやDVD
• デジタルカメラやスマートフォンのカメラ

5. 長所と短所

アナログの長所
• 連続したデータを扱うため、自然な表現が可能。
• 一部の音響機器では「温かみのある音」として好まれることがある。

アナログの短所
• ノイズに弱く、データの劣化が起こりやすい。
• 情報のコピーや伝送が難しく、精度を保ちにくい。

デジタルの長所
• ノイズや劣化に強く、データの品質を保ちやすい。
• 情報を圧縮したり、簡単にコピー・加工できる。
• データの処理や伝送が容易で、柔軟性が高い。

デジタルの短所
• 連続的な情報を離散的なデータに変換するため、サンプリングによる情報の一部が失われる可能性がある。
• 一部のデジタル表現は、特に音楽や映像で「冷たい」と感じられることがある。

結論

アナログは、連続的な自然現象や情報をそのまま取り扱うのに適しており、デジタルはその情報を離散化して、ノイズや劣化に強い形で扱う技術です。それぞれに長所と短所があり、アナログとデジタルは用途に応じて使い分けられていますが、現代ではデジタル技術が圧倒的に普及しています。

ChatGPTに質問「デジタルとアナログの違いは何ですか?」

先人達の努力によって「10進数デジタル」の可能性は完全に枝刈りされてしまった模様。

10進数をそのままデジタル化できない理由は、コンピュータが2進数(二進法)を基本的な数の表現方法として使用しているためです。以下に理由を簡潔に説明します。

1. ハードウェアの構造
コンピュータの回路やメモリは、電気的な信号がオン(1)かオフ(0)の2つの状態を持つトランジスタやスイッチを基本として動作しています。このため、自然に2進数を使う方が効率的です。10進数をそのまま扱うためには、ハードウェアレベルで特別な設計が必要となり、複雑さが増します。

2. 数値表現の効率性
2進数は、コンピュータのメモリ効率を高める役割を果たしています。2進数では、すべての数を0と1の組み合わせで表現できるため、簡単に演算処理が可能です。もし10進数をそのままデジタル化しようとすると、複雑な変換が必要で、処理速度が低下します。

3. 10進数のデジタル化の実際
ただし、10進数を使うコンピュータ技術もあります。例えば、BCD(Binary-Coded Decimal、2進化10進表現)のような方式では、10進数の各桁を4ビットの2進数で表現することにより、10進数を間接的にデジタル化することができます。しかし、この方法は効率が悪く、主流にはなっていません。

まとめ
10進数をそのままデジタル化することは可能ですが、コンピュータのハードウェアと処理効率の観点から、2進数を使用する方が合理的です。そのため、10進数をデジタル化する際には、まず2進数に変換されて処理されます。

ChatGPTに質問「10進数はそのままデジタル化出来ないのですか?」

どういう分野に残ったかというと…

2進化10進数(BCD: Binary-Coded Decimal)は、特定のアプリケーションや分野で有効に使われています。主に、人間が扱う10進数表示とコンピュータ内部での処理をスムーズに結びつけるための方式として利用されることが多いです。以下に代表的な分野を挙げます。

1. 金融・会計システム
BCDは、正確な小数点処理が求められる金融や会計の分野でよく使われます。コンピュータ内部で2進数による浮動小数点計算を行うと、四捨五入などの誤差が生じる可能性があります。これが会計データでは重大な問題となるため、BCDを使用して各桁を直接表現することで、10進数での正確な計算が可能になります。
2. デジタル時計・電卓
デジタル時計や電卓など、数字を直接表示する必要があるデバイスでは、BCDが広く使われています。例えば、時刻や数値を表示するために、各数字の桁を2進数に変換して扱うのではなく、BCDを使うことで簡単に10進数の表示が可能になります。
3. 組み込みシステム
工業用機械や計測機器などの組み込みシステムでは、BCDが使われることがあります。これらのシステムでは、人間が数値を読むことが重視され、10進数表現が重要です。BCDを用いることで、複雑な変換処理を避け、効率よく10進数を取り扱うことができます。
4. 古いシステムやレガシーコンピュータ
古いコンピュータシステムや初期のデジタルコンピュータは、BCDを使ってデータを表現していました。これらのシステムでは、10進数を直接扱う必要があり、効率よりも計算精度や表示の容易さが優先されていたためです。
5. ASICやFPGAの設計
ハードウェア設計、特にASIC(特定用途向け集積回路)やFPGA(フィールドプログラマブルゲートアレイ)などで、BCDが利用されることがあります。これは、電卓や数値を扱う特殊用途の回路設計において、BCDを使うことで効率的に10進数表現をサポートできるからです。
まとめ
BCDは、10進数の正確な処理や表示が重要な分野で利用されています。特に金融・会計システムやデジタル時計、電卓、組み込みシステム、そして一部のハードウェア設計など、数値の正確な表示や計算が必要な状況で有効に活用されています。

ChatGPT「2進化10進数(BCD)はどの様な分野で使われていますか?」

「それは最初からさ定まっていた未来ではなかった」という話ですね。

第二次世界大戦が終わってもノーバート・ウィーナー(Norbert Wiener, 1894年~1964年)「サイバネティクス(1948年初版,1961年増補)」が「コンピューターと通信は(人類の伝統に従った)十進法でなく(機械が扱うのに最適された)二進法で動作すべき」と念を押しています。十進法でもデジタルには違いありませんが前者が標準化してたらCPUのクロックアップ競争に支障が出ていた可能性が高かったといえましょう。

上掲「より速く、大量に、最小限の誤差で」

そういえば大昔の私は「FM放送=デジタル、AM放送=アナログ」みたいな勘違いもしてたのです。なんとなく「音質の差」とか「チャンネルの合わせ方」からそういうイメージを抱いていたのですね。

もちろん実際には「符号化(ADコンバート)」と「復号(DAコンバート)」こそデジタルの本質なので「ラジオ放送を使ったコンピューター・プログラム配信」が試みられた事もあります。

また今ではペットにiCチップというと迷子や盗難対策というイメージが定着してますが、1970年代のマイコン漫画では「動物の額にICチップの足をブスッと刺して制御下に置く(頭蓋骨を貫通するほど足が長い特別製?)」なんて描写が普通に出てきました。

ペースメーカーからの連想?

とはいえ「発振器から伸ばしたリード線経由で心臓に一定のリズムで電気刺激を伝える」過程そのものにはデジタル性(符号化と復号の過程)はありません。この辺り電子楽器やエフェクターでも出てくる話…

まさにこの圧電素子こそが水晶時計などあらゆるデジタル機器の心臓部となった展開こそが重要です。

上掲「より速く、大量に、最小限の誤差で」

この微妙な表現には、そういう含みも持たせてあったんですね。そして当時の混沌とした雰囲気が生んだ最大級の「キリマンジャロ山頂の豹のミイラ」が「デジタル麻雀」概念。

麻雀においてデジタルとは、論理的に明らかであったり、統計的に調べ上げられた有利・不利を最も重視して打牌していく戦法のこと。抽象的な人間の感覚を重視したオカルトの対極に位置する戦術である。

概要
昭和の麻雀では、ある程度の論理的な有利・不利を把握しながらも、「流れ」「運」といった、そこに至るまでの経緯や経験、「勘」をもとに今現在の「ツキ」や「勢い」を重視し、それを実際の打牌に反映させる(今ではアナログとなった)オカルト的な理由によって語られることが多かった。

これに対して1990年、天野晴夫が「リーチ麻雀論改革派」(南雲社)において麻雀戦術論からの抽象の排除を提唱した。天野の戦術論は「より普遍性の高い有為なセオリーを積み重ね、常に冷静な洞察、状況把握、決断がなされる状態を保持し続け、誤打・暴牌を皆無に近づける」(「リーチ麻雀論改革派」250頁より引用)、「得られる限りの情報から、自身の現状がいかなる位置づけにあるのか、(中略)つねに的確な状況判断と、それに即した対応をおこたらない」(「天野晴夫のマージャンクイズゼミナール」198頁より引用)という言葉に集約される。天野は抽象的な要因を考慮することは的確な情報判断を鈍らせる原因にこそなれ、麻雀の上達には繋がらないと主張した。

2004年、とつげき東北が「科学する麻雀」(講談社現代新書)において、数理的・統計的な手法を採りいれた新たな麻雀論を提唱した。そこでは天野とは異なる観点から、抽象が否定され、「より普遍性の高い有為なセオリー」が提唱されている。

真偽
麻雀というゲームの性質上、こうした立場に対しては、否定的な見方と肯定的な見方とが鋭く対立している。アメリカのカジノでは長年詳細に各種のギャンブルにおいてデータが取られており、そのデータによるととつげき東北が主張するようにやはり「前の局(ターン)の結果は次の局に影響を及ぼさない」という結果が出ている。多くのギャンブルの中で麻雀だけが例外だとは考えにくい。

しかしそれでも、多くの人が麻雀における「流れ」を直感的に感じるのは事実である。これはクラスター錯覚(en:clustering illusion)と呼ばれる錯覚の一種である。

上掲「デジタル(麻雀)」

クラスター錯覚(英: Clustering illusion)もしくはクラスターの錯覚とは、サンプル数の少ない場合のランダム分布において必然的に生じるストリーク(線や筋)やクラスター(群れや塊)を、ランダムなものではないと誤判断することである。サンプル数の少ないランダムデータもしくはセミ・ランダムデータにおけるバラつきの程度について、人はそれを過小視しがちな傾向を持っている。それが原因となってクラスター錯覚は引き起こされる。

上掲Wikipedia「クラスター錯覚」

Big Data到来にはある意味、こうした誤謬を押し流す効果もあったのでは?

「暗い(怖い)内容を明るく歌う伝統」について

主文で触れているドナルド・フェーゲン「IGY」の歌詞、実は結構暗くて怖いディストピアめいた内容だったりします。

(more leisure for artists everywhere)
A just machine to make big decisions
Programmed by fellows with compassion and vision
We'll be clean when their work is done
We'll be eternally free yes and eternally young

(世界のどこでも 芸術家の余暇が充実するよ)
大きな決断を下すのはただの1台の機械
プログラムをしてるのは
思いやりとビジョンを持った仲間たち
彼らの仕事が終わったら 僕たちはきれいになって
永遠に自由に  そうさ 永遠に若くいられるんだ

上掲「I.G.Y. / アイ・ジー・ワイ(素敵な世界)(Donald Fagen / ドナルド・フェイゲン)1982」

ヒッピー運動挫折を背景に当時大ヒットしたゼーガーとエバンズ「西暦2525(In The Year 2525, 1969年)」辺りからの流れですね。

私はニューロマ系だったので、こっちのバージョンを最初に知りました。

こういう「暗い(怖い)内容を明るく歌う伝統」では真っ先に名前が上がるのはGilbert O'Sullivan「Alone Again(1972年)」でしょうか。

これがどういう曲か知ってると中島みゆき「タクシー・ドライバー(1979年)」の印象もだいぶ変わりますね。もちろん状況再構成に必要な情報の多くは闇の中…

ただ当時は「自殺を暗喩する曲」って意外と多かったりするのですね。ヴァージンVS「コスミック・サイクラー(1982年)」とか、久保田利伸「流星のサドル(1986年)」とか…

極め付けは友人の自殺が作曲の契機になったといわれているNew Order 「Blue Monday(1982年)」。音楽スタイルとしては後半にギターソロが入る「シンセサイザー・ロック」のほぼ最終系。

こういう密かに暗い怨念が込められた曲でも、ポップチューンされてたらそういう曲として消費してしまう「世間の包容力」の方が恐ろしい? なまじそういう結論を知ってるからこそこういう結論という次第。

どうやら私なりの結論は「他の選択肢なかった一本道なのだから、もうそう考えた方が楽」という感じみたいですね。

上掲「より速く、大量に、最小限の誤差で」

そんな感じで以下続報…

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