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【文化進化論の動作原理】「暴虐な唯一神」概念から近代哲学が派生する歴史的道筋について。

昨年末から「ゴビノー伯爵の人種エントロピー論」をあえて振り回して現代にどれだけ通用するか試してきた訳ですが…

そもそもこの理論の大前提「人種は他人種と完全に没交渉の時、エントロピーが最大となる」前提自体が怪しくなってきました。そもそも彼の考えた「人種」の概念そのものが複数の部族の習合によって出現する展開が明らかとなってきたからです。

なので以降は「人種」を「民族」と言い換え、その全体像をラプラス分布(両側指数分布)的に捉え直したいと思います。

$$
f(x;μ,b)=\frac{1}{2b}e^{-\frac{|x-μ|}{b}}
$$

特に平均μ=0,尺度母数b=1の時、

$$
f(x;0,1)=\frac{1}{2}e^{-x}
$$

  • 「民族」イメージ自体はあくまで中央極限定理的に実存すると考える。

  • とりあえずそれは「過去=形成過程」方向と「未来=拡張過程」方向に対称分布すると考える。

  • とりあえず時間的にせよ空間的にせよ中心から離れた事象ほどその解像度や重要性は急速に(指数分布的に)減衰するものと考える。

さらには、こうした全体像の把握には、むしろ「ラッサールの財産私有制段階発展説」が向いている様です。

  • まず最初に「神中心主義=神のみが領土と領民を全人格的に代表する祭政一致体制(Theocracy)」が実存した(古代)。

  • やがて(欧州においては教皇庁の領主化を契機として)「領主が領土と領民を全人格的に代表する封建制(Feudalism)」へと推移した(中世)。

  • 最後に「十分な火力と機動力を備えた常備軍を中央集権的官僚制が徴税によって賄う主権国家体制(Civitas Sui Iuris)」が登場し、法実証主義(Legal Positivism)に基づいて国民の信仰の自由や私有財産の保護を担保する様になった(近世以降)。

かくして話は「最初の一歩」すなわち古代民族(宗族)の概念形成過程に…

ここに乱入。

ただしそ全体像が父親が娘に授ける「ユダヤ人とは何か対外的に説明するノウハウ集」、として構成されている「ユダヤ人の歴史」には、もちろんこの事についての言い訳もちゃんと用意されています。

  • 「至高神ヤハウェの配偶神アシェラ」への言及がある遺物を残したのは、おそらくヘブライ京都そのものではなく、その宗俗を模倣した周辺部族、すなわちいわゆるサマリア人であると推察される。

  • 「至高神ヤハウェの配偶神としての天空の女神信仰」は古代エジプト王朝時代、ナイル川上流を守る最前線基地が置かれていたエレファンティネ島に駐屯するヘブライ人傭兵隊に現れた。おそらく現地多神教の影響を受けた結果であり、エルサレム本国から繰り返し非難されている。

宗教問題も絡んでくるので、ここではあえてこの考え方の是非について深くは問わないものとします。

まぁ宗教的信念が絡んでくる話なので踏み込み過ぎない様に注意が必要。

ちなみに「三位一体」説はキリスト教にのみ存在し、ユダヤ教とイスラム教には存在しません。

実際、バビロニアにおけるマルドゥク信仰にも「失われた聖櫃」に該当するエピソードが存在したりします。

  • 紀元前1160年、バビロン第3王朝(カッシート朝紀元前16世紀~紀元前15世紀初頭)はアッシリアに敗れた衰退期にエラム王シュトルク・ナフンテの攻撃を受けてバビロンを失陥。この時にバビロンに祀られていたマルドゥク神像を始め、ハンムラビ法典等多くの財宝がスサに持ち去られた(この時持ち去られたハンムラビ法典碑が20世紀に入ってスサで発見される事になる。)。

  • バビロン第4王朝(イシン第2王朝紀元前12世紀)において最も著名な王ネブカドネザル1世(在位紀元前1121年頃~紀元前1100年頃)がカッシート朝滅亡時にエラムによって奪われたバビロンの都市神マルドゥク神の神像をエラムから取り戻して、マルドゥク神祭祀を復活。これはバビロニアにおいて政治的にも宗教的にも重大な意味をもっていたらしく、ネブカドネザル1世の勝利を扱った文学作品が多数残されている。

ここでゴビノー人種エントロピー論的に重要なのが①古代メソぽタニア文明には「メー=文明の恵み」なる概念が実在し都市国家単位に実存した。②それぞれの都市国家の支配民族は時代によって推移したが、かかる「文化、政治、経済それぞれの概念が未文化のまま埋め込まれた社会構造そのもの」はそのまま継承されるのが通例だった事。

北欧神話における「(討伐され、その遺体が世界創造の材料に使われた)巨人ユミル」に該当。

『スノッリのエッダ』第一部『ギュルヴィたぶらかし』の語るところでは、ギンヌンガガプの、ムスペルヘイムの熱で溶かされたニヴルヘイムの霜から、原初の牝牛アウズンブラとともに生まれ、この牝牛の乳を飲んで多くの子孫を産み、これが霜の巨人族となった。

あるとき、最初に生まれた神ブーリの息子ボル(ブル)が、ユミルの一族である霜の巨人ボルソルンの娘ベストラと結婚し、オーディン、ヴィリ、ヴェーの三神が生まれた。巨人達は非常に乱暴で神々と常に対立していたが、巨人の王となっていたユミルはこの三神に倒された。この時、ユミルから流れ出た血により、ベルゲルミルとその妻以外の巨人は死んでしまった。

三神はユミルを解体し、血から海や川を、身体から大地を、骨から山を、歯と骨から岩石を、髪の毛から草花を、まつ毛からミズガルズを囲う防壁を、頭蓋骨から天を造り、ノルズリ、スズリ、アウストリ、ヴェストリに支えさせ、脳髄から雲を造り、残りの腐った体に湧いた蛆に人型と知性を与えて妖精に変えた。

「ユミル(Ymir)」の名は、インド神話に登場するヤマ(閻魔大王)と同語源であり、H.R.エリス・ディヴィッドソンはそれを踏まえて彼の名を「混成物」「両性具有」と解釈し「1人で男性と女性を生み出し得る存在と考えることができ、さらには人間と巨人の始祖ともみることができる」とした。

上掲Wikipedia「ユミル(Ymir)」

「原初の牝牛」の概念は世界中の神話に登場します。ある意味「Cash Cow」概念の大源流とも?

こうした起源譚をめぐる論争、かつては「バーバラ・ウォーカー流ラディカル・フェミニズム」の担当範囲でありました。

まぁ現存する似非フェミニズムが、どれだけ本来の形から縮退した残骸に過ぎないか示す証拠の様なもの?

こうして全体像を振り返ると日本民族成立過程において古事記(712年)や日本書紀(720年)や古風土記(713年~?)といった「全国各地の在地有力者の氏族起源譚の統合事業」が果たした役割はとてつもなく大きかったといえましょう。まさしく「民族叙事詩なくして民族なし」の世界…

とはいえ、自明の場合としてもちろんそれが完全な形で後世に継承される事はなく、そこに数々の解釈の余地が生じる訳です。

古代ギリシャ哲学から出発し、イスラム圏でスンニ派中世思想として完成した「ガザーリーの流出論」は近世欧州にも多大な影響を与えました。実は冒頭で述べた「ラプラス分布で捉えられる民族概念」の大源流の一つとも捉えられます。

かくし以下の様な欧州近世哲学が産み落とされる展開を迎えます。

  • 「人間の感覚では悪としか捉えられない存在もまた何らかの形で神の計画の一部である」と考えたライプニッツの神義論(theodizee)。

  • アウグスティヌス(354年〜430年)の戒則を、デカルト派の理性主義(理性による真理の追究)と結合させたマルブランシュの機会原因論。

しかしリスボン巨大地震(1755年)を契機に「最善の可能世界(le meilleur des mondes possibles)仮説」が劣勢となり「神がおこなったのは宇宙とその自然法則の創造だけであり、それ以降この宇宙は自己発展してきた」と考える理神論(Deism)が台頭してきて近代思想が準備されるのです。

そして…

そんな感じで以下続報…

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