この投稿の続きみたいなもの。
なお人間社会において「教養の不足」がどの様に生存率を引き下げるかというと…
ここに登場した「米国社会学におけるブラフォイの共生社会学ブーム」を触媒として考えると、米国リベラルの間でどういう形でマルクス主義の反資本主義的理念とフェミニズムが融合を果たしたか浮かび上がってきます。
ああ、まさにフェミニズムにおける「インターセクショナリティ」概念や「複合差別」概念と重なってくるのですね。
まさしく元来なら第三世代フェミニズムが辿った様に「多変数解析による数値最適化アプローチ」に発展的に吸収されていく流れという次第。
ここで興味深いのが以下の時代区分。
21世紀に入って失速気味の「ブラフォイの共生社会学(publicsociology)」は1960年代から1970年代のアメリカ社会に取材した内容である事。
一方、現在主流となりつつある「多変数解析による数値最適化」アプローチが現れたのは、ベル・フックスらによるブラック・フェミニズム(女性解放問題は少なくとも「男性・女性」「富裕層・貧困層」「白人・黒人」の三評価軸から構成されているとして多変数解析の概念を導入)にせよ、人工ニューロンモデルにおける局所最適化問題と組合せ爆発問題が解決され機械学習アルゴリズムが成立したのも(2024年度ノーベル物理学賞対象)、コンピューター技術発展の恩恵を受けて人工タンパク合成に成功したのも(2024年度ノーベル化学賞対象)のも1980年代以降。
21世紀に入り「(インターネット経由などで収集される)Big Data」が情報高額の主要観察対象となると、それまで「実存する人間関係そのもの」を主要観察対象として組み上げてきた社会学は大打撃を被ります。例えばネットに接する個人は複数アカウントを使い分け、それぞれの投稿内容から「(観察結果から逆算される)ネット人格」が構築されていく訳ですが、まずこの辺りの説明専用の独自理論構築が必要となってくる訳ですね。しかもそれが「実存する人間関係そのもの」と完全に無関係でもないというややこしさ…
まずこの様な環境激変を「社会学のパラダイムシフト」と認識する意識が薄いのが問題なのでは? そんな感じで以下続報…