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【第三世代フェミニストの弾薬庫】フェミニズム界隈には20世紀から21世紀にかけて何があったのか?②「ブラフォイの共生社会学」の成功と挫折。

この投稿の続きみたいなもの。

なお人間社会において「教養の不足」がどの様に生存率を引き下げるかというと…

ここに登場した「米国社会学におけるブラフォイの共生社会学ブーム」を触媒として考えると、米国リベラルの間でどういう形でマルクス主義の反資本主義的理念とフェミニズムが融合を果たしたか浮かび上がってきます。

ブラフォイ(Robert Blauner)はアメリカの社会学者で、主に共生社会学(co-existence sociology)や人種・エスニシティの研究で知られています。彼は1960年代にアメリカにおける人種間の不平等に焦点を当て、白人優越主義とそれに対する黒人や他の少数民族の立場を分析しました。ブラフォイの理論には、特に人種やエスニシティにおける「内的植民地化」という概念が大きな特徴として挙げられます。これに基づき、彼の共生社会学の特徴とその限界を整理します。

ブラフォイの共生社会学の特徴

1. 内的植民地化(Internal Colonialism):
ブラフォイの最も注目される理論の一つは、アメリカ国内における少数民族が、植民地支配を受けている植民者のような状況に置かれているという「内的植民地化」の概念です。これは、少数民族が経済的、政治的、社会的に抑圧され、搾取されている状況を示しています。この視点から、彼は黒人やその他のマイノリティが社会的・経済的に二級市民として扱われ、構造的な差別と搾取が継続していると主張しました。

2. 人種と階級の結びつき:
ブラフォイは、人種的抑圧が単なる偏見や差別ではなく、経済的階級と深く結びついていると考えました。彼は、白人の経済的優位が人種差別を支えているとし、資本主義経済の構造が、黒人や他の少数民族を労働市場において下層階級に位置づけ、そこからの脱却を困難にしていると分析しています。

3. 共生という視点:
ブラフォイは、異なる人種・エスニシティが相互に共存する社会の可能性を模索しました。彼は、人種間の対立や不平等を緩和するための社会的な変革が必要であり、真の共生社会を実現するためには、単に法律や制度の改革に留まらず、社会構造そのものを変える必要があると考えました。

ブラフォイ理論の限界

1. 歴史的文脈の制限:
ブラフォイの理論は、主に1960年代から1970年代のアメリカの状況に基づいており、その後の社会的変化、例えば人種間の関係や少数民族の社会的地位の変化を十分に反映していない部分があります。現代のグローバリゼーションや移民の増加、社会的アイデンティティの多様化といった新しい課題には、彼の理論は必ずしも適応できません。

2. 内的植民地化の適用範囲:
「内的植民地化」という概念は、経済的搾取や植民地主義の文脈を少数民族の状況に適用するものであるため、批判的に見ると、アメリカ国内の多様なマイノリティの経験を一律に説明するには不十分かもしれません。例えば、アジア系アメリカ人やラテン系アメリカ人など、異なる歴史的背景を持つグループにこの概念を適用することには限界があります。

3. 資本主義批判への依存:
ブラフォイは、資本主義の経済構造が人種差別を強化していると強く主張しましたが、そのため彼の理論は、資本主義に代わる具体的な社会経済システムや改革案に関しては曖昧です。このため、現実的な社会変革の道筋を示す点ではやや不十分とされることがあります。

結論

ブラフォイの共生社会学は、アメリカにおける人種的不平等を構造的に分析し、内的植民地化という新しい視点を提供しましたが、その理論は時代背景や特定の歴史的文脈に依存している部分があり、現代社会における多様な人種・エスニシティ問題をすべて包括的に説明するには限界があります。それでも、彼の理論は今日の人種差別や経済的不平等を理解する上で、重要な視座を提供しています。

ChatGPTに質問「ブラフォイの共生社会学の特徴と限界について教えてください」

ああ、まさにフェミニズムにおける「インターセクショナリティ」概念や「複合差別」概念と重なってくるのですね。

インターセクショナリティと複合差別は、個人が複数の社会的・構造的な不平等に同時に直面する現象を説明するための概念です。それぞれの特徴と限界を以下で説明します。

インターセクショナリティ(Intersectionality)の特徴

インターセクショナリティは、個人が複数の社会的カテゴリー(人種、性別、階級、性的指向、障害など)に基づく抑圧や特権の重なりを経験することを説明するための概念です。1980年代にアメリカの法学者キンバリー・クレンショーによって提唱され、特にブラック・フェミニズム運動において広まりました。

複数のアイデンティティの交差
インターセクショナリティは、個人のアイデンティティが単一のカテゴリーによって決まるものではなく、人種、性別、性的指向、階級、宗教、障害など、さまざまな社会的カテゴリーが交差しているという考え方です。この交差により、異なる抑圧や差別が個人に影響を与えるため、単一のカテゴリーに基づく理解だけでは不十分とされます。

差別の重層性
インターセクショナリティは、差別が単純な二項対立(たとえば、男性 vs 女性、白人 vs 非白人)として捉えられることの限界を指摘します。例えば、黒人女性が経験する差別は、黒人男性や白人女性が経験するものとは異なり、性別と人種の二重の抑圧が交差する特別な体験であると強調します。

構造的な不平等の理解
この概念は、個人の差別や不平等が単に個人の行動や態度から生じるのではなく、構造的な不平等(法律、政策、文化的慣習など)から生じていることを強調します。そのため、社会的制度がどのように特定の集団に不利に働くかを理解するために使われます。

複合差別の特徴

複合差別は、複数の差別が同時に個人に影響を与える現象を指します。これは特に、複数の差別要因が相乗効果を持って個人に対する差別を強化する状況を説明するために使われます。

異なる差別要因の同時影響
複合差別は、たとえば性別差別と人種差別、または障害に基づく差別と性的指向に基づく差別など、異なる差別要因が同時に一人の個人に影響を与えるケースを指します。この点ではインターセクショナリティと共通しますが、より具体的に「差別」という枠組みで問題を扱います。

差別の相互作用
複合差別は、差別要因が単に重なり合うだけでなく、相互に作用し合い、新たな形態の差別や不平等を生み出すことを指摘します。例えば、高齢の女性が職場で経験する差別は、若い女性が経験するものとも異なり、年齢と性別の相互作用による特別な形の抑圧を生じます。

法的・政策的アプローチの必要性
複合差別の概念は、法律や政策が単一の差別要因に焦点を当てすぎている場合、その効果が限られてしまうことを強調します。複数の差別要因が同時に存在する現実に即した法的保護や制度改革が求められます。

インターセクショナリティと複合差別の限界

複雑性のための理解の困難さ
インターセクショナリティも複合差別も、差別がどのように複雑に交差しているかを理解するために重要な概念ですが、複雑すぎて具体的な解決策を見つけることが困難になる場合があります。差別の構造が複数重なり合うため、どの要因がどのように作用しているのかを具体的に特定するのが難しいことがあります。

行動の優先順位の難しさ
複数の差別要因に対処する必要があるため、政策やアクティビズムにおいてどの問題に優先的に対応すべきかが不明確になることがあります。たとえば、人種差別を優先して解消すべきか、性別差別を優先して解消すべきかといった判断が難しくなるケースがあり、実践的な行動においてジレンマが生じます。

統計的対応の難しさ
インターセクショナリティや複合差別を明確にするためには、データが必要ですが、複数の差別要因を同時に測定・分析することが難しいため、十分なエビデンスに基づいた対応が取れないことがあります。法制度や社会的取り組みも、単一の差別要因に基づくことが多いため、複合的な差別を十分に反映できないことが課題です。

単一の解決策が困難
インターセクショナリティや複合差別が指摘するような重層的な問題は、単純な政策や法改正だけで解決できるものではありません。社会的な変革が必要であり、長期的かつ多層的なアプローチが求められますが、そうした複雑な問題に対して迅速かつ効果的な解決策を講じるのが難しいという限界があります。

結論
インターセクショナリティと複合差別は、現代社会における差別や抑圧の複雑な構造を理解する上で重要な概念です。それぞれが異なる視点から多層的な差別を説明し、社会的な不平等の根本的な解決策を探るための出発点となっています。しかし、現実世界での適用や解決策を見つける際には、複雑性や実践的な困難さといった限界も伴います。それでも、これらの概念は、社会的公正を目指す取り組みをより包括的にするための重要な理論的枠組みを提供しています。

ChatGPTへの質問「インターセクショナリティ概念と複合差別概念の特徴と限界について教えてください」

まさしく元来なら第三世代フェミニズムが辿った様に「多変数解析による数値最適化アプローチ」に発展的に吸収されていく流れという次第。

ここで興味深いのが以下の時代区分。

  • 21世紀に入って失速気味の「ブラフォイの共生社会学(publicsociology)」は1960年代から1970年代のアメリカ社会に取材した内容である事。

  • 一方、現在主流となりつつある「多変数解析による数値最適化」アプローチが現れたのは、ベル・フックスらによるブラック・フェミニズム(女性解放問題は少なくとも「男性・女性」「富裕層・貧困層」「白人・黒人」の三評価軸から構成されているとして多変数解析の概念を導入)にせよ、人工ニューロンモデルにおける局所最適化問題と組合せ爆発問題が解決され機械学習アルゴリズムが成立したのも(2024年度ノーベル物理学賞対象)、コンピューター技術発展の恩恵を受けて人工タンパク合成に成功したのも(2024年度ノーベル化学賞対象)のも1980年代以降。

21世紀に入り「(インターネット経由などで収集される)Big Data」が情報高額の主要観察対象となると、それまで「実存する人間関係そのもの」を主要観察対象として組み上げてきた社会学は大打撃を被ります。例えばネットに接する個人は複数アカウントを使い分け、それぞれの投稿内容から「(観察結果から逆算される)ネット人格」が構築されていく訳ですが、まずこの辺りの説明専用の独自理論構築が必要となってくる訳ですね。しかもそれが「実存する人間関係そのもの」と完全に無関係でもないというややこしさ…

  • 実は「Youtubeがユーザーにマネタイズ手段を付与した結果、Youtuberなるネット人格が登場した」みたいな流れ、むしろ「社会的立場が社会的人格を構築する」と考えるアメリカ社会学の伝統に立ち返って考える事も出来そうなのだが、現在米国社会学で主流となっている「ブラフォイの共生社会学」などは、その全否定によって成立した経緯がありそう簡単に回帰は出来ない模様。

まずこの様な環境激変を「社会学のパラダイムシフト」と認識する意識が薄いのが問題なのでは? そんな感じで以下続報…


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