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【試論「人工知能概念はいつから存在したといえそうか?」4パス目】裏側に透けて見える「信頼できない語り手(Unreliable narrator)としての人類」なるジレンマ。

さて、以下でざっくりと俯瞰した四段階歴技術革新(Four-stage Innovation)史観ですが…

  • 数秘術師や魔術師の時代(イタリア・ルネサンス期~近世)

  • 大数学者や大物理学者の時代(大航海時代~1848年革命の頃)

  • 統計学者と母集団推定の時代(産業革命時代~現代)

  • 機械学習と意味分布論の時代(第二次世界大戦期~現在)

実はその発想の大元は「韓非子」第49編「五蠹」にあったりします。「史記」によれば、秦始皇帝が読んで著者に会いたくなった諸篇の一つ。

上古之世,人民少而禽獸眾,人民不勝禽獸蟲蛇,有聖人作,搆木為巢以避群害,而民悅之,使王天下,號曰有巢氏。民食果蓏蚌蛤,腥臊惡臭而傷害腹胃,民多疾病,有聖人作,鑽燧取火以化腥臊,而民說之,使王天下,號之曰燧人氏。中古之世,天下大水,而鯀、禹決瀆。近古之世,桀、紂暴亂,而湯、武征伐。

今有搆木鑽燧於夏后氏之世者,必為鯀、禹笑矣。有決瀆於殷、周之世者,必為湯、武笑矣。然則今有美堯、舜、湯、武、禹之道於當今之世者,必為新聖笑矣。是以聖人不期脩古,不法常可,論世之事,因為之備。

韓非子「五蠹」原文

上古の世では、人間が少なくて、鳥獣が多かった。人間は鳥獣虫蛇に勝てない。そこへ聖人が出て来て、木を組んで巣を作り、いろいろの害を避けることを教えた。人々は喜んで、この聖人を天下の王にした。その名を有巣氏という。人間は草木の実、蚌蛤を食べていた。腥く悪臭があり、胃腸をいためるので、人はよく病気になった。そこへ聖人が現われて、木と木をすり合わせて火をおこし、それで腥ものを調理するすべを教えた。人々は喜んで、この聖人を天下の王にした。その名を燧人氏という。中古の世(尭・舜・禹の時代)には、天下に大洪水があったが、鯀(禹の父)と禹(夏の初代の王)が川の堤を切って海に流した。近古の世(殷・周時代)には、桀・紂が暴虐な振舞いをし、殷の湯王・周の武王がこれを征伐した。

今もし夏后氏の世(夏王朝)に、巣を組み、木と木をすり合わせて火をおこす人があったとすれば、必ず鯀・禹に笑われるであろう。殷・周の世に、川の堤を切る人があったとすれば、必ず湯王・武王に笑われるであろう。してみれば当今の世に、尭・舜・湯・武・禹の道を褒めたたえる人があるとすれば、必ず新しい聖人に笑われるであろう。されば聖人は必ずしも古えに循おうとはせず、一定不変の道に法とろうとはしない。当世のことを論じて、それの備えをする。

本田済「韓非子」 全現代語訳

まさしく「葬送のフリーレン」における「ゾルトラーク(人を殺す魔法)」概念そのものですね。

「葬送のフリーレン」1巻

実は「韓非子」のうち、確実に著者韓非(紀元前280年? - 紀元前233年)の著作と考えられる章は意外と少なく「五蠹」はその一つに該当。そもそも実は黄老刑名学から分岐し、申不害や商鞅が形成してきた法家思想自体が中国本土においては度重なる厳しい思想弾圧の末に一旦は完全に撲滅されてしまい関連文献もそのほとんどが散逸しています。その結果、現在「法家思想」呼ばれている思想そのものが、明治維新を経た大日本帝国において旧名家などが秘蔵してきた貴重な原著書から再現され、毛沢東が気に入って(旧中華王朝イデオロギーを打倒する)中華人民共和国イデオロギーとして積極利用されてきたという、複雑怪奇な歴史を抱える展開となったのでした。

金谷治によれば、韓非の著作として確実と考えられるのはまず『史記』に言及されている「五蠹」編と「孤憤」編で、さらに「説難」編・「顕学」編である。その中心思想は政治思想で、法実証主義の傾向が見られる。

上掲Wikipedia「韓非」

『黄帝四経』と『老子』をその思想的根拠・経典とする。『史記』によれば、斉の稷下の学士である慎到・田駢・接予・環淵がその代表的人物である。また、『史記』老子韓非子列伝では、申不害や韓非子を「黄老に本づき刑名をたっとぶ」として、法家の刑名思想(形名思想ともいう、君主が臣下を統御する思想)を黄老に由来するとしている。そのことから黄老刑名の学とも呼ばれる。そのほか、宋銒・尹文・范蠡、『管子』『淮南子』『鶡冠子』なども黄老思想の関連人物・思想書とみなされる。

黄老思想は前漢前期に流行し、曹参・汲黯・田叔らによって伝えられた。とりわけ、文帝の妻の竇太后が黄老の書を好み、子の景帝・孫の武帝の治世初期まで黄老思想にもとづく政治が敷かれた。その間の時代は「文景の治」と呼ばれる黄金時代と重なる。

しかしその後、竇太后の死を契機として黄老思想の支持勢力は衰退し、公孫弘に代表される儒者にとって代わられた。ただし、『老子』はその後も重んじられ続け、劉向や馬融による注釈や『易』との接近を経て、後漢末期から三国時代には初期道教と玄学の経典になった。

『黄帝四経』は早期に散逸していたが、1973年、馬王堆漢墓から出土した馬王堆帛書に、『黄帝四経』にあたると推定される四篇の文章『経法』『十六経』『称』『道原』、および『老子』の異本が記された帛書が発見された。そのような経緯から、黄老思想の詳細な研究は20世紀末から始まった。

上掲Wikipedia「黄老思想」

「機械学習による人類の叡智の継承」なる思想について私が悲観的にならざるを得ないのは、機械学習技術そのものに対する不信感というより、こうした「(学習すべきデータを恣意的に抹殺してきた)愚かな人類の思想弾圧の歴史」の回避には、この様な特別な努力が必要となるからに他なりません。そう、とどのつまり学習元たる人類そのものが、推理小説でいう「信頼できない語り手(Unreliable narrator)」問題を抱えている事が最大の障害として立ちはだかってくるという話ですね。

黄老思想から法家思想が分岐する過程についての主要文献は、以下のようなものがあります。

『黄帝内経』: この古代中国の医学書は、黄老思想の基本的な文献とされています。内経は医学の基本的な原理や哲学的な考え方を含んでおり、黄老思想の根底にある自然の法則やバランスの概念を探求しています。

『老子』: 老子(Laozi)によって著されたとされる中国の古典的な哲学書であり、道家思想の根源とされています。この書は、自然の道に従うことを重視し、非行為主義や無為自然の概念を提唱しています。

『荀子』: 荀子(Xunzi)によって著されたとされる中国の古典的な哲学書であり、法家思想の重要な源泉とされています。荀子は、人間の本性は悪であり、教育や法律によって統制されなければならないという思想を展開しています。

『韓非子』: 韓非(Han Fei)によって著されたとされる中国の古典的な哲学書であり、法家思想の代表的な文献の一つです。この書は、強力な法制度と厳格な統治を重視し、自然法の代わりに法律に基づく統治を提唱しています。

これらの文献は、黄老思想から法家思想への発展や分岐において、重要な影響を与えたとされています。

ChatGPTへの質問「黄老思想から法家思想が分岐する過程について、主要文献を列記する形で教えてください」

韓非が明らかに荀子に影響を受けていると思われるのが、①功利的な人間観、②「後王」思想、③迷信の排撃などであり、荀子の隠括も好んで使う。ただし韓非の思想への荀子の影響については諸家において見解がやや分かれる。

貝塚茂樹は韓非と荀子の間に思想的なつながりは認められなくはないが、商鞅や申不害らからの継承面の方が大きく、荀子の影響が軸となっているとの見解ではない。

金谷治も荀子の弟子という通説を否定はしないが、あまり重視せず、やはり先行する法術思想からの継承面を重視する。

内山俊彦は荀子の性悪説や天人の分、「後王」思想を韓非が受け継いでおり、韓非思想で決定的役割をもっているといい、その思想上の繋がりは明らかだとしている。したがって内山は荀子の弟子であるという説を積極的に支持している。なお「後王」とは「先王」に対応する言葉で、ここでは内山俊彦の解釈に従って「後世の王」という意味であるとする。一般に儒教は周の政治を理想とするから、「先王」の道を重んじ自然と復古主義的な思想傾向になる。これに対し、荀子は「後王」すなわち後世の王も「先王」の政治を継承し尊重すべきであるが、時代の変化とともに政治の形態も変わるということを論じて、ただ「先王」の道を実践するのではなく、「後王」には後世にふさわしい政治行動があるという考え方である。

上掲Wikipedia「韓非」

こういう話も実際には史記「(むやみやたらと短い)循吏列伝」「(むやみやたらと長い)循吏列伝」の記述と突き合わせないと全体像が浮かび上がってこないものですが…

史記の「循吏列伝」と「酷使列伝」は、法の運用に関する異なる観点を提供しています。

循吏列伝:「循吏」は法を守り、正義を重んじる役人を指します。
●この列伝では、循吏として名高い人物の事例が示され、彼らが法の精神を遵守し、公正な統治を行ったことが強調されます。
●彼らは法を厳格に執行し、公平かつ公正に人々を処遇しました。その結果、社会に安定と秩序をもたらしました。

酷使列伝:「酷使」は、役人が民衆や下級役人を虐待し、権力を乱用することを指します。
●この列伝では、酷使として知られる役人の事例が示され、彼らが法を無視し、権力を濫用したことが強調されます。
●彼らは不正な手段を使って政治を行い、法の精神や人民の利益を無視しました。その結果、社会に不安や混乱をもたらしました。

循吏列伝と酷使列伝は、法の運用が社会に与える影響を対照的に示しています。循吏は法の精神を守り、社会の秩序と公正を維持する役割を果たし、一方で酷使は権力を乱用し、社会に混乱と不安をもたらします。これらの列伝は、法治国家の理念を理解し、良い法の運用が社会に与える重要性を強調しています。

ChatGPTへの質問「史記の循吏列伝と酷使列伝の内容を法運用の観点から要約してください」

なんたる優等生的模範回答…とはいえ相手は(史記の著者司馬遷が仕込んだ、そう簡単には「尊法は正しく権力濫用は悪い」といった二元論に落とし込めない)法運用理念の変遷史。厄介な事に数理的にはあくまで「部分的にしかユークリッド尺度が設定出来ない(全体構造はまとめ方によって変わってくる)」多様体構造となる知識体系に基づく話題なので苦戦を余儀なくされる羽目に。

  • 「酷吏伝」単体をいくら読み込んでも到達出来ない考え方、それはその時代の前漢朝がなんとか力尽くで抑え込もうとしていた地方豪族がその後も台頭を続け、武帝時代に編纂された「塩鉄論」の時代には集団交渉の対象に格上げとなっている展開。

  • 地方豪族の台頭はその後も進み、後漢代(紀元後25年~220年)にはむしろ外戚として宮廷を乗っ取る勢いすら見せたが、その結果(対抗馬として強化した)宦官が暴れたりして政治は乱れ放題となり、黄巾の乱(184年~185年)が勃発して「みんな大好き」三国時代(220年~263年)が始まってしまったという次第。

一事が万事こういう有様で、人類そのものがこの話題についてまだまだ決定論的に論じられない段階にある以上、機械学習的アプローチがそれを超えた最適解に到達する望みもまたないという次第なんですね。その一方で、機械学習的方法論は歴史研究に従来の考え方とは全く異なる方向からのアプローチを提供し始めています。

おや? もしかしたら、今まさに機械学習理論的アプローチ登場によって強制的に終焉を迎えつつあるのは「(新王朝が自己正当化の為に旧王朝を貶める繰り返しとしての)王朝交代史観」に端を発する「人類の伝統的歴史観イデオロギー」の方なのでは?

満洲唱歌「待ちぼうけ」に秘められた政治的イデオロギー

なお上掲の「韓非子」第49編「五蠹」引用には北原白秋作詞、山田耕筰作曲の満洲唱歌「待ちぼうけ(1924年)」で有名になった以下の章句が続きます。

宋人有耕田者,田中有株,兔走,觸株折頸而死,因釋其耒而守株,冀復得兔,兔不可復得,而身為宋國笑。今欲以先王之政,治當世之民,皆守株之類也。

韓非子「五蠹」原文

宋(殷の後裔が封ぜられた国)の人が田を耕していた。田の中に切り株がある。そこへ走って来た兎が、切り株にぶつかり、頸を折って死んだ。その人はそこで鍬を捨てて、じっと切り株の番をして、また兎がぶつかるのを待っていた。しかし兎はもう手に入らず、その人は国じゅうの笑いものになった。今、先王の政を以て、当世の民を治めようとするのは、すべて切り株の番をする類いである。

本田済「韓非子」 全現代語訳

歌詞は中国の法家の思想書の一つ『韓非子五蠹篇』の中にある説話「守株待兔(しゅしゅたいと、(くひぜをまもりてうさぎをまつ)」から録られたものである。

ここから守株(しゅしゅ)という成句ができた。本来は、古い習慣に確執し、全く進歩がないこと、また、臨機応変の能力がないことの意味であり、韓非はこの説話を、古の聖人の行ったような徳治を行うべきだという儒家の主張を批判し、「昔の統治方法をそのまま用いるのではなく、時代に合わせて変えるべきだ」という文脈で用いた。

「改新」や「改革」などということばが悪しく取られかねない「滅私奉公」の時代であったため、偶然の幸運を当てにして時間を無為に過ごすな。楽をして金儲けをしようと思うなというふうに教えられた。

またこの歌は、満洲(中国東北部)に在住する日本人たちに、満洲にちなんだ、しかも格調の高い音楽教材をほしいという満洲教育會の依頼によって作られたものである。そのために、説話では作物の種類は示されていない(歴史考証からは粟と思われる)が、この歌では「きび畑」である。

後に内地にも紹介され、戦前の節食、倹約の思想と相まって、人々に愛唱された。

上掲Wikipedia「待ちぼうけ」

これがどれほど現代中国人にとって困った存在かというと…

「宋」は、現在の河南省商丘市にあった国の名。紀元前11世紀、周の初代武王が殷王朝第30代紂王(ちゅうおう)を牧野の戦いで破り殷を滅亡させた後、周公旦により紂王の異母兄の微子啓(びしけい)がこの国に報じられ殷王朝の宗廟を継承した。

「宋人」はいわゆる亡国の民で、征服者である周の人々に頑迷で愚かな民として軽蔑された。先秦の書物には愚か者の例として宋人が登場することが多く、たとえば、苗を育てようと無理に引っ張って枯らしてしまった「助長」(『孟子』公孫丑上)の話や、この「守株」などはその代表的な例。

なお、「宋人」は「そうひと」と読み、「そうじん」とは読まない。漢文訓読の慣例として、国の名の下の「人」は訓読みする習慣があるからだ。

上掲「漢文学びのとびら」
  • その漢民族には元王朝時代(1271年~1368年)、最後まで抵抗を続けた先祖が二級市民「南宋人」に落とされ、代わりに(早々に帰順した)金人や高麗人が「漢人」と呼ばれる立場にあった恥辱の歴史が存在する。

  • どれくらい恥辱かというと、当時は中国を代表する大衆文学の一つ「西遊記」の成立期でもあったが、この時代の「漢人」はあくまで金人や高麗人であり「猪八戒は当初朱八戒と呼ばれていたが、朱元璋が明朝を開闢した折に「朱」が忌名となって現在の名前に改名された」証拠が発見されたのもまた朝鮮半島であったりする。さらには同じくらい有名な大衆文学「三国志演義」や「水滸伝」もまた同時期発祥である事から、これらについても朝鮮半島から同種の「新発見」がなされる可能性があり、中国本土にはいまだにその可能性について戦々恐々としている人がいるという話も。その一方で金台俊「朝鮮小説史(1933年)」は「朝鮮読書階層には大衆文学をポルノ扱いし、遺族が発見してこっそり焼き捨ててきた悪しきムッツリスケベの伝統が存在する(ので実際に追加発見がある可能性は極めて低い)」と嘆いている。割とダブルダウン状態?

西遊記でいま残っている最古のものは元代の西遊記の逸話を収録したとみられる朝鮮の書『朴通事諺解』(1677年)によるものである。写本は科挙を目指す書生たちが息抜きに作成していったと思われ、書き写されるたびに詩文・書き込みが追加され、拡張され、また、戯曲の雑劇「西遊雑劇」として好んで上演された。

上掲Wikipedia「西遊記」
  • こうして全体像を俯瞰すると満洲唱歌の題材として「守株の格言」が採択された背景にも、毛沢東が韓非子を好んだ背景にも(いやそれどころか法家文献を江戸時代日本の公家や大名家がこっそり秘蔵してきた事にすら)特定の強固な政治的イデオロギーが透けて見える(そしてまさにこの話こそが「どうしてアジアでは大日本帝国だけが自力近代化に成功したのか」とか「中華人民共和国やベトナム人民共和国はどうしてその流れに追随できたのか」といった話題につながっていく)訳だが「公言すると差し障りがあるので」誰も語らない為、人工知能がそれを学習する機会もまたないという有様…

法家思想は、中華人民共和国に多くの影響を与えてきました。以下に、その主な影響をいくつか挙げます。

法制度の発展:中華人民共和国は、法家思想に基づいた法制度を発展させました。特に、法の権威と法の厳格な適用を重視する傾向が見られます。現代中国の法制度は、法家思想の影響を受けた部分が多く含まれています。

集権主義と統治:法家思想は、強力な中央集権と厳格な統治を提唱します。中華人民共和国の政治体制も、中央集権的な構造と強力な統治に基づいています。この点において、法家思想は中国の政治体制の発展に影響を与えました。

官僚制度の影響:法家思想は官僚制度の発展にも影響を与えました。中華人民共和国の官僚制度は、法家思想の理念に基づいて組織されており、役人の責任と義務を強調します。

現代の政策決定への影響:法家思想は、現代の政策決定にも影響を与えています。特に、法家思想の理念に基づいた政策や規制が、経済や社会の発展に反映されています。

倫理と道徳の重視:法家思想は、倫理と道徳の重要性を強調します。中華人民共和国の文化や教育システムも、法家思想の理念に基づいて倫理と道徳の教育を促進しています。

これらの要因により、法家思想は中華人民共和国の政治、法制度、経済、社会などに多大な影響を与えています。

ChatGPTに質問「法家思想が中華人民共和国に与えた影響について教えてください。」

なんたるハルシネーション…「法家思想」が完全に「マルクス主義(共産主義)」と可換な概念として扱われてますね。そもそも最近の中華人民共和国、「マルクス主義(共産主義)」概念の教育勅語化(すなわち神聖視を強めて金科玉条として振り回し続けるも、その内容への言及を抑制する戦略の採用)に邁進し、人工知能から「それが本当は何か」見極める機会を奪ってる様にも見えなくありません。

いやむしろハルシネーションどころか「インターネットからちゃんと学んでる」からこそ、この内容になったとも?

こうして浮かび上がってきた「信頼できない語り手としての人類」問題が「モデルパラメーター数を(人類が恣意的に制御可能な範囲を超えた)$${2^{10000}=10^{30}}$$オーダーに引き上げる」戦略によって劇的改善が見られた事に、本来人類は絶望すべきなのかもしれません。要するに数学者としてコンドルセ侯爵やジョン・スチュワート・ミルが提言した「文明が発展するためには個性と多様性、そして天才が保障されなければならない。これを妨げる権力が正当化されるのは他人に実害を与える場合だけに限定されるべきである」なる「解放の理念」は「信頼できない語り手としての人類」を排除する方向で完成に向かっているかもしれないという事なのです。

「大規模言語モデル」は、言語モデルのうち「計算量」「データ量」「モデルパラメータ数」の3要素を大規模化したものを指します。「計算量」とはコンピュータが処理する仕事量のことで、「データ量」とはコンピュータに入力した文章データの情報量です。また「モデルパラメータ数」とは、ディープラーニング技術に特有のパラメータ(確率計算を行うための係数の集合体)の豊富さを指します。大規模言語モデルは、この3つを巨大化させることで急速に進化しました。

この3つの巨大化については、2020年にOpenAIが発表した「Scaling Laws for Neural Language Models」という論文で説明されています。この論文では、自然言語モデルの性能と、この3つの要素「計算量」「データ量」「モデルパラメータ数」との間に、「Scaling Law(べき乗則)」が成立すると提唱されました。OpenAIは、この論文に裏打ちされた形で、「計算量」「データ量」「モデルパラメータ数」の3つを著しく巨大化することで、極めて精度の高い大規模言語モデルを生成することに成功しています。2022年11月に発表されたChatGPTも、「大規模言語モデル」の一種であり、格段に優れた受け答えにより、自然言語での応答の質を大幅に高めています。

NRI用語解説「大規模言語モデル(LLM)」

そんな感じで以下続報…

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