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【数理的溢れ話5パス目】地球平面説信者には微積分概念が足りてない?
数年前にQiitaにこんな投稿をしました。投稿日を調べると2022年01月10日、2年前の話となりますね。
実際調べていくうち、我々が通常円弧や球面の形で認識している単極球面体(Monopolar Sphere)概念、すなわち「それぞれ中心から伸ばされた垂線と直交する一方、(これと水平に交わったり45度の角度で対角線を構成したりする筈の隣点との距離が全て0に収束した結果)デフォルト状態では名義尺度(Nominal Scale)の関係しか構成しない」多様体概念の出発点自体が随分と厄介な存在である事が分かってきたのです。
第4章 多様体の基礎のキソ
そもそも「部分的にしかユークリッド座標系概念が通らない」というのが多様体概念の定義なのですから一筋縄でいく筈もないのです。そこに突如現れた伏兵が「解析なんて最初から諦めて全体を集合論的に扱っちゃえばいいじゃない」のTransformer系 AIという次第。状況は錯綜を極めております。
地球平面論者の想像力は微小領域に及ばない?
結局、何度でも戻ってくるのは「円弧上の任意の点は中心から下された垂線と垂直に交わり「隣点」とは水平に交わる」なる円概念の定義。
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曲者なのは「どれほど近くの隣点なら水平に交わってると考えられるか」という辺り。まさしく微分や指数/対数写像の概念に登場する微小領域概念そのもので、全体を見下ろす巨視的思考から完全に離れない限り絶対に到達出来ないのです。一方、地球平面論者が陥っているのは真逆のパターン。すなわち自分達こそが微小領域側で、それを積分した結果が予想外の形になる事が想像出来ないという次第。
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そもそもπが無理数(3.14159265…)という点に注目して「0に収束するとはいえない」と見做す考え方も不可能ではないが、人類はあえて「誤差として無視可能な範囲には目を瞑る」方針を貫いてきた。実際、統計学における標本分散(Sample Dispersion)概念と不偏分散(Unbiased Dispersion)概念も同種の「誤差1が無限遠点においては収束する」問題を内包しており、こちらについては数多くの先例から「サンプル数3000以上なら、それほど気にする必要はない」なる経験則が編み出されていたりする。同様に円についても古代バビロニア時代まで遡る「正60角形以上はほ円に見える」経験則が存在し(秒概念や分概念の設定に関わる)60進法や(角度概念の設定に関わる)360進法の形成に役立てられてきた訳である。
調べれば調べるほど「我々が先入観から普通と考えている事」の輪郭が揺らいできます。そもそも地球は実際に調べてみたら垂直方向の断面が楕円で、全周距離を調べるのに遥かに高度な測量と計算が必要となり、その時に編み出されたのが「それ抜きには統計学も人工知能技術も語れない」最小二乗法という次第。天童説に地動説が勝利したの何んて単なる始まりに過ぎず、実際にはまさしく「神は細部にこそ宿る」だったのです。
地球の大きさと最小2乗法
地球平面論者になる人は生活圏が狭い?
それではこの場合「巨視側(積分の結果、地球が球面に感じられる方)」と「微細領域側(微分の結果、地球が平面にしか感じられない方)」の感覚にはどれくらい隔たりがあるのでしょうか? 地球の全周はおよそ4万kmくらいで(赤道をぐるっと一周する長さは40,075km、北極と南極を通る長さは40,009km)で「多角形は60角形くらいから円に見え始める」考え方を援用するなら「微小領域」の始まりは約670kmくらい。興味深い事にこれ偶然にも「日本の法律で一人の人間がぶっ続けて車を運転して良いと定められている距離」に対応する様で、東京を中心に円を描くなら北は青森県、西は兵庫県くらい。逆をいうなら、行動範囲がこれを超えるか超えないか辺りが「地球の丸さを体感出来る条件」となってくるのかもしれません。
すると日本で地球平面論者をあまり見掛けないのも、江戸時代に遡っても「どんな地方の住人でも一生に一度は伊勢参りや上京をするのが当然」と考えられていて、近代以降は学校の修学旅行が授業に組み込まれたせい?
実際、こんな話も…
手始めに壇上から降りてきた白衣姿の発表者に話し掛けた。どんな証拠があれば、地球は丸いと認めるか、と。
「確かな証拠だ」
確かな証拠とはどんな証拠かと聞くと、例えば自分がプレゼンで見せた写真だと言う。それはある「研究者」がミシガン湖上から撮った写真で、約96キロ離れたシカゴ都心の高層ビル群が写っていた。地球が丸いなら、ビルは水平線の向こうに隠れて見えないはずだ。
「ちょっと待って」と、私は言った。「あなたはNASAの写真はどれも加工されていると言いましたね。でも、この写真は加工されていないと?」
「そうだ。撮影者は私の知り合いだ。それに私も、都心から約74キロ離れたミシガン湖上に船で出て確かめてみた」
フラットアース論者も数学はできるらしい。彼のプレゼン中に急いで計算してみたが、ビルが見えなくなるには少なくとも約72キロ離れなければならない。とすれば、彼は正しい?
違う。「上位蜃気楼効果」という現象があるからだ。地表近くの気温が上空よりも低い気温の逆転現象があるときには遠くの物体の光が屈折し、水平線に隠れて見えないはずの物が見えることがある。そう言うと、彼は笑った。
「プレゼンでも論証したが、(上位蜃気楼なんて)でっち上げだよ」
「論証はしていなかった。ただ、信じないと言っただけでしょう」
「ああ、信じられないね」
彼のファンが私たちを取り囲み、彼は私との会話を切り上げようとした。だが、もう1つ聞きたいことがあった。
「じゃあ、なぜ160キロ先まで行かなかったのですか」
「えっ?」
「160キロ先ですよ。そこまで離れたら、蜃気楼も見えなくなるはずだ。それでも見えたら、あなたが正しいことを決定的に証明できる」
「船長がそこまで出たがらなかった」
今度は私が失笑する番だった。
これは中々興味深い問答です。①地球平面論者は72kmの範囲で地球の平面性が実証されたと主張した。②反論者が「せめて160kmの範囲で実証せねば」と指摘したらしどろもどろになってしまった。160kmといえば上掲の「地球の円周の60分の1=約470km」こそ下回りますが「360分の1=約110km」は上回る範囲となるのです。
ああ、日常的に微積分概念を扱う数学者や物理学者こそが真っ先に気付くべきでした。地球平面論者とは、ある意味「微分過程で(それこそ数え切れないくらい)大量に生成され、積分過程で大量殺戮される」微小領域の側の気持ちの代弁者だったのです‼︎
産業動物としての微小領域
ふと思い出したのが「羊達の沈黙」でレクター博士が語った台詞。「そうともクラリス、のどかな田園風景の静寂は、屠殺されていく羊達の沈黙によって守られているのだ(うろ覚え)」…
そういう観点から眺めると、以下の「曲線の長さを表す公式」が(微小領域を)生み出した途端に殺す殺意に満ちている様に見えます。
$$
\int_a^b\sqrt{1+(\frac{dy}{dx})^2}dx
$$
まぁそんな事言い出したら「進化的アルゴリズム」に至っては…
しかしよく考えてみましょう。あの一目大人しく草だけ食べてベジタリアンっぽく見せ掛かけてる草食動物も、実は消化器内においてその草で雑菌を育て、これを消化する事でタンパク質を得て筋肉モリモリの身体を維持しているのです。
産業動物と人間の関係は迂闊に素人が口出しして良い種類の問題ではない様です。
「ラーメンのスープは廃棄コストが高いので、客に飲み切ってもらったほうが良い」という話について、家に水槽がある友人が「生物濾過みたいやな」とコメント。人をバクテリアのように呼ばないでほしい pic.twitter.com/05jgahc6Vh
— はいじん (@haijin88) February 10, 2024
そんなややこしい風景が浮かび上がってきたところで以下続報…