見出し画像

【確率論的座標系の再点検】全ての座標系の出発点としての「ガウスの無限座標系」

頭がこんがらがってきたので、これまで提言してきた座標系概念を単元ごとにまとめたいと思います。今回扱うのは「ガウスの無限座標系」で、その特徴は主に「円環性」「連続性と相似性」「不可視性」「逆転性」の4点で説明されるのです。

元来$${0(=\frac{1}{\tilde{∞}})×\tilde{∞}=1}$$は歴史的に物議を鴨してきた物騒な内容ですが、とりあえずこの座標系においてはそういうものと規約して先に進みます。

泡沫事象と事象全体それぞれの「円環性(Circular)」

数式で表すと「台(+∞,-∞)の加法座標系において+∞=-∞=$${\tilde{∞}}$$(符号なし∞)」。台(-∞,+∞)の無限実数直線ℓ(加法単位元0を中心とする加法座標系)を無限遠点で+∞と-∞が連続する半径∞の無限円と見做し、これを「曲率0、曲率半径1」と定義し「曲率1、曲率半径1」の単位円(半径1)に対応させた結果。以降は前者を「事象全体(マクロコスモス)」、後者を「泡沫事象(ミクロコスモス)」と呼ぶ事にする。台$${[-\frac{π}{2},+\frac{π}{2}]}$$で振り幅(-∞,+∞)のタンジェントtan(θ)や台(-∞,+∞)で振り幅$${[-\frac{π}{2},+\frac{π}{2}]}$$のアーク$${tan^{-1}(ℓ)}$$と縁深い。

  • なお、ここに登場したアークタンジェントを台(-∞,+∞),振り幅[0,1],全体面積1の確率分布化したのがコーシー分布(Cauchy distribution)となる。平均が無限に達するので設定不可能。従って分散も設定不可能。後述する「不可視性」と縁深い?

事象全体と泡沫事象の「連鎖性(Chain)と相似性(Similarity)」

数式で表すと「$${\tilde{∞}×1=1×\tilde{∞},0(=\frac{1}{\tilde{∞}})×\tilde{∞}=1}$$」。(-∞,+∞)を台とする加法座標系におけるN進数の考え方を援用して①事象全体∞を単位とした場合、それは無限個の泡沫事象1によって被覆される。②この1を単位とした場合、それは無限個の$${0(=\frac{1}{\tilde{∞}})}$$によって被覆される。③この連鎖は双方向に無限に連続する、と考える。

事象全体と泡沫事象相互の「不可視性(Invisibility)」

数式で表すと「数え上げ可能な数αについて①台(+∞,-∞)の加法座標系において$${\tilde{∞}±α=\tilde{∞}}$$。②②台[0,)の乗法座標系において$${\tilde{∞}×α=\tilde{∞}}$$」。その結果①泡沫事象側からは事象全体側を原則として観測出来ない(観測可能距離範囲外)。②事象全体側も(連鎖性における単位違いから)「泡沫事象を被覆するさらなる泡沫事象」が原則として観測出来ない、と考える。

事象全体と泡沫事象の「可逆性(Reversibility)」

数式で表すと「台[0,$${\tilde{∞}}$$)の乗法座標系上の1点βについて$${β^{-x}=\frac{1}{β^x}}$$」。乗法座標系においては、添え字の符号が逆転すると乗法単位元$${ℓ^0=1}$$0を中心に「ミクロコスモス(泡沫事象)=0から1にかけての区間」と「マクロコスモス(事象全体)=1から$${\tilde{∞}}$$にかけての区間(ただし$${\tilde{∞}}$$-1=$${\tilde{∞}}$$)」が逆転する。

確率の逆数としての「回数の期待値」

1回の試行で起きる確率がpの事象AについてAが起きるまで試行を繰り返し行うとすると、その回数の期待値Eは$${\frac{1}{p}}$$となります。これも上掲の可逆性に対応する逆数関係といえましょう。

  • p=1の場合、必ず1回で起きるから回数の期待値E=1

  • p=0 の場合、必ず永久に起きないので回数の期待値E=∞

  • 0<p<1 の場合

$$
回数の期待値E=1・p+2(1-p)p+3(1-p)^2p+4(1-p)^3p+…+n(1-p)^{n-1}p+…
$$

$$
(1-p)E=1(1-p)p+2(1-p)^2p+3(1-p)^3p+…+(n-1)(1-p)^(n-1)p+n(1-p)^{np}+…
$$

上から下を引くと

$$
(p)E=\lim_{n→∞}{p+(1-p)p+(1-p)^2p+(1-p)^3p+…+(1-p)^(n-1)p-n(1-p)^{np}}
$$

$$
E=\lim_{n→∞}{1+(1-p)+(1-p)^2+(1-p)^3+…+(1-p)^(n-1)-n(1-p)^n}
$$

$$
=\lim_{n→∞}\frac{1-(1-p)^n}{(1-(1-p))-n(1-p)^n}=\frac{1}{p}
$$

【応用例】さいころを繰り返し振って全ての目が出るまでの回数の期待値(平均)

  • 1番目の目がでる確率は$${\frac{6}{6}}$$で,それが出るまでの回数の期待値は$${\frac{6}{6}}$$

  • 2番目の目(1番目と異なる目)が出る確率は$${\frac{5}{6}}$$で,1番目が出てからそれが出るまでの回数の期待値は$${\frac{6}{5}}$$
    ……

  • 6番目の目が出る確率は$${\frac{1}{6}}$$で,5番目が出てからそれが出るまでの回数の期待値は$${\frac{6}{1}}$$

従って

$$
\frac{6}{6}+\frac{6}{5}+\frac{6}{4}+\frac{6}{3}+\frac{6}{2}+\frac{6}{1}=14.7
$$

人類の間で伝統的に継承されてきたきた泡沫事象と事象全体のサイズ差の実感方法

人類はこの様な途方もない座標系の考え方についてただ手をこまねいてきたばかりではありません。例えば伝統的にバビロニア占星術まで遡る60進法を重要なツールとして活用してきたという次第。

時間次元…「1分間は60秒、1時間は60分」なる時間単位のN進数的連続は上掲の連鎖性そのもの。そして人間は1分が59秒や61秒になっても、1時間が59分や61分になってもさして気に留めない上、分単位で考えている時は「秒未満の世界」を、時間単位で考えている時には「分未満の世界」をある意味「忘れている」(不可視性)。なお実際の時間単位は人間の都合に合わせ①小数点下は10進数で表す。②1時間以上の単位は「1日=24時間」「一週間=7日間」「1ケ月=28日~31日」とまちまち。これを「連鎖性が敗れた」と考えるかどうかは場合による。

空間次元…地球は球ではなく回転楕円体。その大きさは概ね赤道長約4万75km、子午線長約4万9kmくらいで、1mの大きさは「赤道から北極までの距離の1000万分の1」と定められた。その$${\frac{1}{60}}$$に該当する670kmの距離は概ね「ドライバーが一人の想定で休憩時間も勘案した場合の1日に可能な自動車旅行の目安」とされ、これを直径と捉えた場合の半径335kmの円は「人間が車や電車などの交通機関を利用して日帰りで往復し、かつ到着地点で十分有意義な時間を過ごせる距離の上限(あるいは通勤可能距離)」と考えられている。地球の表面全体がこの単位の連続で捉えられる一方(連鎖性)、その単位の地域が存在しても存在しなくてもさして全体に影響しない(不可視性)。なおこの理屈でいえば人間が恣意的に設けたそれ以上の単位、すなわ区や市や群や都道府県や国家などは全て等しく泡沫事象の範囲には入らない事になる。そして当然そのそれぞれの大きさが人間の都合によってまちまちなのを「連鎖性が敗れた」と考えるかどうかも場合による。

また、確率論の世界においては正二十面体(Icosahedron)サイコロが同様の境界線として機能します。

  • 全ての面が均等に連続する(すなわち連鎖性と相似性が成立する)正二十面体の各出目は0.05で、これはロナルド・フイッシャーが1925年の論文で初めて触れた0.05有意水準ドリギリの閾値に等しい。ましてや同じ出目が重なる確率$${0.05^2=0.0025}$$ともなれば0.01優位水準をも下回る。そしてもちろん人間はこのサイコロが19面体(各出目の出現確率が0.05263158)であったり21面体(各出目の出現確率が0.04761905)であったとしてもさして気に留めない(不可視性)。

今日なお僻地で原始的狩猟採集生活を送る部族の中には、数の概念が「1,2,沢山(それ以上)」程度に限られる例も見受けられるといいますが、まさにそのニュアンスにおける「(多くの人類にとっての)数え上げられる範囲の上限」がこの辺りという事ですね。

かくして冒頭で「ここでは$${0(=\frac{1}{\tilde{∞}})×\tilde{∞}=1}$$と規約する」と宣言した理由が段々見えてきました。そう、この座標系においては「$${\tilde{∞}}$$=事象全体」が単なる数としての無限ではない様に、「0=泡沫事象」もまた単なる「(何個足し合わせても、何倍にしても値の変わらないだけの)0」ではないという事…

帰無仮説の棄却仮説、というよりオブジェクト志向プログラミングにおける抽象クラスとしての「ガウスの無限遠座標系」

ここまでの例示でも明らかな様に、人類は隙あらばかかるガウスの無限遠座標系の連鎖性と相似性を破ろうとする生き物ですし、自然界にもサイズ違いによる連鎖性と相似性破綻はあちこち見られます。というより、むしろ人類は「事象が原則として区間的に連鎖し、そうして現れる区間の内容は原則として相似する」ガウスの無限遠座標系との差分によって現実を把握している節すら見受けられるくらい。まさしくオブジェクト志向プログラミングにおける抽象クラスの概念そのもの?

その一方で「不可視性」「逆転性」については、主に哲学の領域において「他我問題」として扱われてきました。そう案外忘れられ勝ちですが、数学史において台(+∞,-∞)の加法座標系を添字、台[0,$${\tilde{∞}}$$)の乗法座標系を底に取る指数/対数領域の整備が始まったのはイタリア・ルネサンスの影響が全欧州に及んだ18世紀以降。しかも急激に普及が進んだ訳ではなかったのでした。

そんな感じで以下続報…

いいなと思ったら応援しよう!