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【トランプ政権素描2パス目】2010年代にはまだ存在してなかったとしか思えない米国トランスジェンダリズム運動について。

以下の投稿の続きの様なもの。

アメリカ人は常に世界で一番アメリカの事が分かってない?

もちろん(性別違和概念と服装倒錯概念が緩やかにグラデーションする)天然トランスジェンダー自体は古くから一定比率で自然に存在してきました。

しかしながら2020年代に入ってから急激に存在感をアピールする様になった「トランスジェンダー活動家」の方々を、その一員、さらにはその代表と本当に認めてしまって良いものなのでしょうか?

こんな話も。

不思議にも2010年代までのフェミニズム運動シーンに「トランスジェンダー活動家」はほとんど足跡を残していません。2020年代に彗星の如く突如対台頭し、既存のフェミニズム運動を(俺に賛同する)リベラル・フェミニズム系と(これに反対する)ラディカル・フェミニズム系に分断したのです。

その一方、2010年代には代わりに「異性を憎悪する同性愛者」や「あらゆる性的表現に嫌悪感どう感じてその撲滅を誓う無性愛者」が大暴れ。しかし既存LGBTQAコミュニテイから追放され、フェミニズム界隈からも黙殺されて竜頭蛇尾的に消えていったのです。

LGBTQA当事者集団が追放した「ミサンドリー(misandry=男性嫌悪)やミソジニー(Misogyny=女性嫌悪)に憑かれた「自称」同性愛者」や「あらゆる性表現を憎悪して地上から駆逐しようとする「自称」無性愛者(Asexial)」を、やはり大して吟味する事なく「LGBTQA当事者の代表」と認めLGBTQA当事者対応を全権委任してしまった→トランスジェンダー問題の暴走してリベラル・フェミニズムとラディカル・フェミニズムが分裂を余儀なくされた主要因の一つ)。

上掲「【トランプ政権素描1パス目】民主党陣営はどうしてヒスパニックに背を向けられてしまったのか?」

なお「夫が仕事に専念出来る様に家事と育児を全面負担する専業主婦も、家事も育児も平等分担する共働き夫婦も、それが自らの選択の結果なら同じ様に尊く、ピンクタックス問題などで共闘する妨げにならない」をモットーの一つとした第三世代フェミニズム同様、リベラル・フェミニズムからもラディカル・フェミニズムからも切り捨てられた専業主婦集団はその後保守系カルトのペイオリコンに吸収合併されてしまいます。

こうして米国フェミニズム運動は,あたかも第二次世界大戦(1939年~1945年)当時の連合国友枢軸国の衝突の様に党利のみを主題とする総力戦時代へと突入していったのでした。

これに続いた「暴走したフェミニズム運動が社会的信用を失っていく」過程、実は黒人公民権運動の発端となった「モンゴメリー・バス・ボイコット事件(Montgomery Bus Boycott, 1955年)」の展開と重なってくる部分も。

  • 白人と黒人が生活圏を分ける人種分離判断が下された時点では両者の間に「少なくとも表面上は」合意が存在し、目立った軋轢も存在しなかった。事態は圧倒的に白人側優位の形で展開したが、当時の黒人側はまだまだそれに集団で抗議する様な気概も団結力も持ち合わせていなかったのである。

  • この展開に味を占めた一部白人はすっかり思い上がり「しめしめ、このまま馬鹿な黒人から全てを奪い尽くせるぞ」と考える様になり、実際に行動に移してさらに黒人を追い詰めた。その結果発生したのが「黒人優先席を白人に譲るのを拒絶して逮捕された黒人が有罪時判決を受けた」モンゴメリー・バス・ボイコット事件(1955年)で、「このままではなし崩し的に奴隷状態に戻される」と悟った黒人が恐る恐る蜂起すると意外にもそれなりに社会的支持が得られたので次第に気が大きくなって運動も全米に広がっていく。

  • 穏健派白人は「元の平和だった人種分離状態に戻ろう」と提案したが、その一方で別に黒人差別主義者による報復的行動を別に止め様とはしなかったので火に油を注いだだけに終わる。そうするうちに本格的に自らの団結力について自信をつけた黒人達の運動は人種差別そのものの撤廃を最終目標に掲げる様になっていく。

当時の白人がどれくらい思い上がっていたかというと「現在の白人エリート階層は、その傲慢ゆえに存続の危機に立たされている」と警告したリチャード・ホフスタッター「アメリカの反知性主義(Anti-Intellebtualism in Amerucan Life,1964年)」においてすら、既に黒人運動がそういう段階に入っていたにも関わらず(同様の展開を迎えていた若者のヒッピー運動も含め)まさにそこでの預言の結果とは認識されていなかったくらいである。どうやら「どうせ騒ぐだけ騒いだら勝手に沈静化するだろう」くらいの認識しかなかった模様。それどころかコロンピア大学ストライキ(1968年)の実録たるジェームズ・クネン「いちご白書(The Strawberry Statement,1969年)」においてすら以下の様な記述があったりするのです。

  • 当時コロンビア大学教授だったエーリック・フロム((Erich Seligmann Fromm, 1900年~1980年)が「私は「自由からの逃走(Escape from Freedom, 1941年)」の著者だから学生の気持ちくらい全部手に取る様に分かる。説得なんて簡単ですよ」と豪語してバリケードに近付き「俺たちに明日はない(Bonnie and Clyde, 1967年)」のラストシーンの如く全身に腐った卵を浴びせられる。

  • 一方、「全米を救ってる気持ち」でいた学生運動家達も、共闘しようと黒人労働者のデモ現場に馳せ参じて「俺達にとっちゃお前らも敵だ」と宣言された上で袋叩きにされて現実を思い知らされる。

あれ? かかる国民分断状態、2024年度大統領選挙の風景とあまり変わってないのでは? ここから「アメリカ人は常に世界で一番アメリカの事が分かってない」という話が出てくるという…

それではトランスジェンダリズム運動は何処から現れたのか?

ところで2019年の大粛清によって一度は完全に廃墟状態に陥ったtumbrですが、その後Z世代の若者達が「新移民」として流入してきて2022年後半には少しばかり復興の気配を見せたのです。そこで私が目撃したのは、まさしく少なからぬ人数が性自認問題に悩む彼らの姿でした。

これには本当に驚きました。どうやら「性転換ブーム」自体は2010年代まで遡る様ですが、当時のtumbrはその展開に巻き込まれる事が未然に防がれていたからです。どういう具合にそれが達成されていたかというと…

  • 上掲の様にtumbr上の第3世代フェミニスト集団はLGBTQA集団の本拠地でもあった訳だが、その実物が「ピックアップトラックとマルボロに目がないマッチョな異性愛者だが男の娘好き」とか「同性と同棲してる疑う余地もないレズビアンだが少年愛好きの腐女子」とか「エロかろうがエロくなかろうが気にせず気に入った服を着るファッション・リーダーの無性愛者」みたいに恐ろしく分散幅が広く「全部グラデーション」なる考え方が自然に浸透していた。

  • (性別違和はともかく服装倒錯と相性がいいので)コスプレイヤー集団と一緒に行動する事が多かったトランスジェンダー寄りの人達は高橋留美子の「うる星やつら(1978年~1987年)」の潮渡渚や「らんま1/2(1987年~1996年)」の早乙女乱馬のファンである事が多く、そういう環境ゆえに「男は男らしく、女は女らしく振る舞わねばならない」なる脅迫概念的ジェンダー意識からそれなりに解放されていた。

最近だとこれ。

  • あと、今から思えば「性癖や性自認については、それ自体についていくら悩んでも答えに到達出来ない。自然に振る舞ううちに勝手に「無視出来ない自己観測結果の分布」として浮かび上がってくるのが本物」なるコンセンサスが自明の場合として存在していた様に思う。「性癖」はアニメ/漫画/Gameの様な特定次元に付随するもので「性自認」や「性別違和」の様な全面的基準と直接的には相関しない(それどころか、それと相補的に反比例する事すらある)という解釈。

例えば2010年代だと「自分が男の裸と女の裸のどちらに興奮するか」という主観的判定基準が登場する永田カビ「さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ (2016年)」が引き合いに出される事が多かった印象。

なおtumbr壊滅後、LGBTQA層の少なくとも一部はX(当時のTwitter)に疎開した様で、この層はゆざきさかおみ「作りたい女と食べたい女(2020年~)」を判定基準に加えた模様。物語的には「料理好きの女性が食べっぷりのいい女性と仲良くなるが、やがてお互いが抱いているのが恋愛感情だと気付く」展開で、こちらもこちらでまさしく「無視出来ない自己観測結果の分布」が自然に浮かび上がってくる流れ。

ところがtumbr新移民となった「性別違和に悩む若者達」は概ねこうした手順をちゃんと踏まずすっ飛ばしてこの問題と取っ組み合っていて、そうなってしまう主要因が「自分以外の何かに関心を持つ能力が恐ろしく低い」「そもそも自他境界の構築もロクに出来てないせい」なのは明らか。

  • 実は上掲の「2010年代だけ存在した異性を憎悪する同性愛者やあらゆる性的表現に嫌悪感どう感じてその撲滅を誓う無性愛者」についても本物の同性愛者の方や無性愛者の方が「あの人達、私達と関心の次元も分布も全然違う」「というよりグラデーションが飛んで二極化しててむしろ自分をその状態に置くのが目的みたい」「もしかしたら同性愛者でも無性愛者でもなく、トレンドに勝手に自分を全没入してしまうタイプの病気の症状なのでは?」と指摘しており「だから2020年代には自分がトランスジェンダーだと思い込む様になった」という考え方も成立する様に思われるのである。もちろん専門家ではないので断定は出来ないが…

  • 執筆中間に思い出したが、2010年代tumbrにおいて、これに最も近い当時のトレンドは「拒食症」だったかもしれない。

で、こうした類型はむしろ「精神的に追い詰められた挙げ句の果てに、自罰的傾向が強いタイプは自殺し、他罰的傾向が強いタイプは無差別殺人に走る」最近の一部中国人の振る舞いに重なってくるとも。

こんな話も。

そんな感じで以下続報…

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