
【文化進化論の動作原理】オルテガは何を指して「大衆」と呼んだのか?
取り急ぎメモがてら。
民衆というか大衆という言葉でオルテガが考えていたこと https://t.co/E5Xo8oMFFs
— 稲葉振一郎 (@shinichiroinaba) February 10, 2025
ファシズム台頭の時代にオルテガは、よく知られているとおり『大衆の反逆』(ちくま学芸文庫他)で「大衆人の典型はじつは専門知識人である」と喝破しています。 https://t.co/p99mJggZns
— 稲葉振一郎 (@shinichiroinaba) February 10, 2025
オルテガによれば、かつての支配階級、エリートの継承者をもって任じる今日のテクノクラートは、実際には視野狭窄をわずらい、専門分野の外に一歩出るとろくな判断力も持たないくせに、自分はひとかどのものとうぬぼれて無反省に自足している「大衆人」、それこそ
— 稲葉振一郎 (@shinichiroinaba) February 10, 2025
本書の論脈に従うならば「動物」にほかならない。 そしてさらにオルテガの凄みは、彼の議論が単なる大衆への侮蔑とありえないエリートへの憧憬などではまったくない、というところです。
— 稲葉振一郎 (@shinichiroinaba) February 10, 2025
同じ頃に書かれた『大学の使命』〔井上正訳、玉川大学出版部〕でオルテガは、のちの大学大衆化時代を完全に先取りして「今日の大学の使命はエリート育成ではなく、平均学生の啓蒙、教養教育にこそある」と断言しているのです。オルテガはもちろん、西洋文明を大衆の暴走から守ろうと考えています。
— 稲葉振一郎 (@shinichiroinaba) February 10, 2025
しかし彼は「文明の精華の担い手たるエリートを大衆の暴走から保護する」といった発想とは無縁です。まったく反対に彼は、大衆の教養の底上げを通じ、大衆自身をして暴走を自制するよう促すわけです。彼はこの意味では、徹底して大衆を信じ大衆に賭けているのです。
— 稲葉振一郎 (@shinichiroinaba) February 10, 2025
稲葉振一郎『モダンのクールダウン』pp.165-166. NTT出版株式会社. Kindle 版.
— 稲葉振一郎 (@shinichiroinaba) February 10, 2025
そんな感じで以下続報…