やたらスケールのでかい、懐メロ大生オケ大会。
観に行ったので、音楽評論家みたいなことを書く。
『オペラ座の夜』は間違いなく名盤だが、ロジャー・テイラーのルックスがミーハー女子に火をつけた。ベイ・シティ・ローラーズや、チープ・トリックと同じだ。70年代洋楽ブームである。
時を経て、「あの」映画が爆発的にヒットする。それに乗じて、某サンプラザなんたらの NHKFM の番組が、おそらく局史上に残る程の記録的成功を収める。
『オペラ座』はフレディ・マーキュリーあってのアルバムで、メンバーのインテリジェンスもあり、いくらでも分析的な聴き方ができる。それが、あの映画とラジオ番組でズタズタになる。
あのラジオ番組、最初のうちは聴いていたが、ツイッターのタイムライン上には恐ろしくレヴェルの低い印象批評が並ぶことになる。曰く、「きゃー、ドンスト、大好き❤」「ボラプ、ステキ😭」といった具合である。それを見て、耐えられなくなり、聴くのをやめた。
アダム・ランバートという、得体の知れない人物がくっついてライヴアルバムが出た。タチの悪い懐古趣味の塊で、まだポール・ロジャースの方がマシだと思わせる代物だった。新曲があるわけでもない、大懐メロ生オケ大会である。フレディを偲ぶ展覧会が開かれ、所用のついでに観に行った。それで、お腹いっぱいになった。クイーンは、フレディがいてこそのバンドなのである。
ジョン・ディーコンがこのプロジェクトに関わらないのは流石だ。それはおそらく、ロバート・プラントが頑なにツェッペリンを嫌がるのと同じ心境からであろう。
ツェッペリン、ヴァン・ヘイレンなどとと同じで、完全再現が不可能なところにクイーンの魅力があるのに、あの映画とラジオ番組がこのバンドのファンのレヴェルを地の底まで叩き落とした。
会場には、クイーンのTシャツを纏い、「ボラプ」「ドンスト」と恥ずかしげもなく会話している老若男女で溢れていた。その中で、頭を抱えてうずくまっていた。何でチケットを申し込んでしまったのだろうか。思い出せない。
チケットの発券が当日の1週間前、金券ショップでも弾かれる。券面にはご丁寧に「営利目的の転売を禁ずる」旨の記載がある。どうしようもない。
案の定もへったくれもない、派手な大懐メロ生オケ大会であった。新曲があるわけでもない、目新しいものは何もない、非常に生産性のないライヴであった。総立ちの会場の中で一人始終座っていた。
バンドメンバーの技巧も、際立ったものはない。ひょっとしたら、トリビュート・バンドの方が上手いのではないか。
もう、当分クイーンを聴くことはないであろう。口直しをしたい。なんかいいライヴはないものか。非常に後味が悪い。
現在のこのクイーン(のようなもの)のファンからいくら叩かれようか構わぬ。本当に嫌な気分である。行きの新幹線で食った牛タン弁当が美味かったことだけが収穫である。
2024年2月16日記。