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吉川康弘の自己紹介、経歴

こんにちは!
吉川康弘(よしかわやすひろ)です。

いつもお読みいただき、そして「フォロー」や「スキ」をありがとうございます!
noteの初投稿から3年が経ち、仕事やプライベートでの変化もたくさんあったので、改めて自己紹介をさせていただきます。


仕事

現在、私は2社を経営しています。

株式会社hibino
・小売事業
目黒駅から徒歩3分の場所に位置するセレクトショップを運営しています。オーガニックのスキンケア商品をはじめ、環境に配慮された雑貨や、グルテンフリーやビーガンなど、体に優しい食品を取り扱っています。

セレクトショップ「hibino」

・商品開発
株式会社hibinoでは、オリジナルのプロテインの開発と販売を行っています。
妊娠中の方やお子様にも飲みやすいココア味のソイプロテインを取り扱っています。今後もオリジナル商品を増やし、体に優しい商品を広めていきます。

・イベント
地域団体や行政と連携して、大人も子供も本気になれる運動会を実施しました。
撮影スタジオを貸し切り、未就学児から80代の方まで、延べ60人規模の大会となりました。

株式会社Switch
・レンタルスペース
グランピングをテーマにした施設では、撮影利用や女子会、懇親会、会議など、幅広くご利用いただいております。
自然光によって明るく暖かみのある室内空間は、アーティストのMVで多数使用され、朝の某情報番組でも利用されるなど、大好評です。

「CROSS OSAKI」

・ITスクール
2022年9月に立ち上げました。
IT未経験の看護師の方なども参加し、エンジニアとしての転職が決まるなど、未経験からIT転職まで可能にする教育プログラムを提供しています。

・キャリア相談
100名以上の方から、スキルアップ、キャリアチェンジ、キャリアパス、キャリアプランなどのキャリア相談を受けています。
中には、実際にキャリアアップやキャリアチェンジを実現された方も多く、平均で年収が120万円以上アップしています。

・起業支援
2015年から企業からの依頼を受け、会社の事業拡大、サービス立ち上げ、人材採用、営業活動などの支援を行ってきました。
これまでにご支援した業種には、通信、金融(クラウドファンディング、保険)、メーカー、ITサービスなどがあります。
また、新規で起業したい方向けのサポートや、各種講演会も実施しています。各種講演会の内容として、経済・キャリアアップ・時間術・仕事術に関してのテーマを取り扱っています。

経歴

■家族
製薬会社で営業をしていた父親と、専業主婦でパートをしていた母親の元に生まれ、4歳下に弟がいるというごく普通の家庭でした。

仕事柄、父親は転勤族だったので、生まれは名古屋ですが、すぐに大阪へ引っ越し、幼稚園に入るタイミングで福島、中学に入るタイミングで横浜に引っ越しました。その間、父親は引越しを少なくするために、福島の郡山市に住んでいた頃には郡山市から会津若松市まで単身赴任し、横浜に住んでいた時には千葉まで単身赴任していました。

月曜日に現地に向かい、週の中頃はホテルに泊まり、金曜日に帰ってくるという生活をしていました。今と違って当時の製薬会社の営業は接待が多く、飲食やゴルフ、旅行など、お医者さんとの付き合いも結構多かったように感じます。

このような仕事には「接待が多くて大変そう」や「自分の時間が作れなくて嫌」と思う人も多いかもしれませんが、父親の場合は真逆でした。お客さんとご飯に行くのも、ゴルフに行くのも、旅行に行くのも楽しんでいました。そんな姿を見て、子どもながらに仕事は楽しいものなんだと感じていました。

母親は、父親の仕事のサポートや、息子二人の学校や部活動のサポートに尽くしてくれたタイプでした。そのこと自体が母親にとって幸せだったと思います。料理が上手で、接待で美味しいものをたくさん食べて舌が肥えている父親のリクエストに応えるように、どんどん美味しい料理を作ってくれました。母親に影響されて、私も料理が好きになり、実家でチャーハンを作るのは私の役割になっていました。

■学生生活
小学校から高校までは勉強もしていましたが、どちらかというと習い事や部活に打ち込んでいました。幼稚園から始めたスイミングを7年、小学校ではピアノを3年習っていました。特にスイミングでは、元々泳げなかったところから地区大会で上位に入れるようになったのが楽しくて、熱心に取り組んでいました。しかし、転校先で水泳部がなかったため、陸上部に入り、タイムを縮めるために日々努力していました。

高校3年になり、将来やりたいことがなかった私は、ひとまず大学に進学しました。大学に入ることが目的だったので、特に勉強を頑張ることもなく、友人に誘われた横浜のランドマークタワーのロイヤルパークホテルでの配膳のアルバイトに熱中していました。

時給1300円!当時大学生だった私にとってはかなりの好条件でしたが、ここでの仕事を通じて、基本的なマナーや接客を学び、初めて仕事で感謝される喜びを知りました。

仕事が好きだった父親を見て育った私は、仕事はやっぱり面白いものだと確信し、大学卒業とともに早く社会に出て働きたいと思っていました。

■就職
当時は就職氷河期だったため、多くの企業に面接に行きました。その中で、結果的にIT系に絞り、NECグループのシステム会社に就職しました。

新卒から3年間、金融システムの開発に従事し、長時間労働ながらも仕事は面白かったです。しかし同時に、「ずっとこの働き方はやりたくないな」とも考えていました。

仕事ができ、話しやすくカッコいい先輩を見て、尊敬の念を抱いていました。結婚して一軒家も車もある先輩でしたが、石川県採用だったため、月に2回だけ奥さんのもとに帰り、それ以外は都内のワンルームマンションに泊まっていました。仕事では尊敬していましたが、ライフスタイルでは正直「こうはなりたくないな」と思っていました。また、もっと人と会話する仕事がしたいと思い、4年目からは父親の影響もあり、営業職に配置転換してもらいました。

営業という仕事をゼロから勉強し、特に1年目は覚えることが多く大変でしたが、プレゼン力や交渉力を付け、2,3年目からは次第にお客様から信頼を得ることができ、売上も上がっていきました。そして営業4年目には、年間営業目標を3ヶ月で達成し、過去最高成績を記録しました。営業部の中でトップの成績でした。

ボーナスが上がるのではないかと期待していましたが、リーマンショックの影響で逆に下がってしまいました。「頑張ったのになー」と努力が報われないもどかしさを感じたのを覚えています。

30歳になり、転職したことがなかった私は、「もし転職するとしたらこれがラストかな」と考えながらも、具体的な行動には至りませんでした。そんな時に、今もお世話になっている恩師と出会いました。

起業

前に書いた通り、私は会社の仕事が好きでした。そんな会社員が大好きだった私が、なぜ起業に至ったのか。その結論は、今もお世話になっている恩師との出会いがあったからです。

当時30歳の私は、会社での営業成績も上々で、給料ややりがいにも満足していました。そんな時、会社の後輩を通じて出会った恩師が29歳で月収100万円を得ていることに衝撃を受けました。自分より1つ年下で、自分より多く稼いでいることに驚きました。

自分も頑張って仕事をしていたのに、この人のように月収100万円には到達しないと感じ、シンプルに凄いと思いました。

さらに、転職を少し考えていた私にとって、NEC以外に行った場合の自分の価値がわからず不安でした。一方、恩師は既に自分で仕事をしており、「株式会社自分」という感じの肩書で自信に満ち溢れているように見えました。

「経営者はみんな偉そうにしている」と考えていた私の予想とは違い、話してみると恩師はとても低姿勢で人柄も良く、「人柄まで良いなんてずるいじゃん!」と思ったものです(笑)

そんな恩師を見て、「月収100万円ないよりはあった方がいい」「男なら1本!(年収1000万円)」という思いはありましたが、起業という選択肢は非常にハードルが高く見えていました。

「会社を辞めて大金を投じる!」「失敗したら借金まみれ!」という印象があり、起業はギャンブルに近いと感じていました。

しかし、起業には多くの手段があり、どれが正解でどれが不正解かはないと思っています。それでも当時の私が「よし、チャレンジしてみよう!」と思えたのは、

① 会社と並行してダブルワークからスタートできたこと
② 学べる環境があったこと

この2点があったからです。会社の仕事を続けながら、自分で全部考えずに学べる環境があれば、学生時代のように学業と部活を両立してきた自分にもできるのではないかと思いました。

こうして私のダブルワーク(起業準備)が始まり、結果的にスタートしてから4年半で事業に一本化(脱サラ)しました。

変化したこと

「よっしーさんが起業して良かったと思うことは何ですか?」とよく聞かれます。

たくさんありますが、いくつか挙げるとしたら、

収入・時間・仕事

  • 収入: 会社員時代の延長線上では到底得られなかった収入を、比較的若くして得ることができました。子供がやりたいことや習い事を我慢せずにやらせてあげられるのは、父親としてやってきて良かったと感じます。また、親を旅行に連れて行くのも、負担を感じることなくできるのも嬉しいです。

  • 時間: いつどこで働き、どこで休むかを自分で管理できるようになりました。会社員時代からサーフィンが好きで、週末には友人と車を走らせて千葉の海まで行っていました。今では回数は減りましたが、年に数回は好きなタイミングで宮崎や海外でサーフィンを楽しんでいます。海の綺麗さが全然違うのです。また、旅行も基本的に平日に行けるため、空いているタイミングで自由に行けるのは良いなと感じています。

  • 仕事: 仕事が「しなければならないこと」から「したいこと」に変わってきました。NEC時代も仕事はやりがいがあり楽しかったですが、今は仕事が自分の自己実現やビジョン実現に繋がっていると感じており、仕事がやりたいことになっています。

仕事仲間

価値観を共にする仲間と一緒に仕事ができることは、とても幸せです。今では10年以上一緒に切磋琢磨している仲間もいます。契約関係がなくても、同じ価値観で繋がっている仲間がいることは、とても幸せなことです。

直接事業に携わり、経験したことのない職種にチャレンジすることで学び、ほとんどの仲間が収入を上げています。そんな仲間とこれから共に豊かになっていけることがとても楽しみです。

親孝行

実は、私がダブルワークを始めたての頃、父親には大反対されていました。「2足のわらじで上手くいくはずがない!」「それでもやるなら家の敷居をまたぐな!」と厳しく言われました。それでも「絶対結果にするから、3年は黙って見ておいて!」と啖呵を切り、続けました。

そしてスタートから6年が経ち、ベンツを納車し、それに乗って実家に帰った時に、父親の私を見る目が変わったように感じました。定年を迎えたこともあり、その後はベンツに乗せていろいろなところに旅行に連れ出すようにしていましたが、人づてに聞いた話では、とても喜んでいたそうです。

しかし、2021年10月に父親は他界しました。24時間前までLINEでやり取りをしていたのに、急な出来事でした。

「もっと会話する時間をとればよかったかな」「もっと旅行に連れて行ってあげたらよかったかな」と後悔がないわけではありません。ただ、ある程度稼げるようになり、旅行にもたくさん連れて行けるようになったことで、息子として自立した姿を見せられたのではないかと思っています。なので、だいぶ親孝行はできたんじゃないかなと思っています。


大事にしてきたこと

私が創業時から大事にしてきたことがいくつかありますが、その中でも特に大事にしてきたことが3点あります。

① 学ぶ人を決めること

起業をする際に、まず何をやったらよいのかがわかりませんでした。恩師にどうしたらよいのかと聞いたところ、「学ぶ人を決めてやってきたよ」と教わりました。

例えば、プロ野球選手になりたいなら、近所の野球好きのおじさんよりも、野球に実績がある人やプロの選手から教わると思います。経営も同様で、知識がある人と、その道で結果を出している人とでは経験値が違います。私はどうせやるなら結果を出したいと思ったので、実績のある恩師にお願いして学ばせてもらうことにしました。「自己流=事故流」とも教わりました。

より高い基準で学ぶために、恩師の家から徒歩3分のところに引っ越し、恩師の考え方や選択の基準を学びました。物理的に近いと相談がしやすく、この期間に多くを吸収することができました。

② 環境にこだわること

「自分の周りにいる5人の平均年収が、将来の自分の年収」と言われています。これは「つるみの法則」とも呼ばれ、年収だけでなく、生活習慣や働き方にも当てはまるそうです。

人は良くも悪くも一緒にいる人の影響を受けやすいものです。例えば、私たちが日本語を話すのは、日本人だからではなく、周りに日本人が多かったからです。

私の仕事仲間に広島育ちの中国人がいますが、彼は小学校から日本で育ったため、日本語のレベルは非常に高い一方で、今ではほとんど中国語を話せません。それほど周りの人から受ける影響は大きいのです。

創業時、恩師から教わったのは、「今より成長したいのなら、自分を成長させてくれる環境に身を置くこと」ということでした。当時、恩師をはじめ、多くの尊敬する経営者が月収100万円以上を稼いでいました。その中にいると、正直なところ非常に居心地が悪かったです(笑)

しかし、そういう方々と普段から一緒に過ごし、一緒に仕事をするようになってからは、自分の中の「当たり前の基準」が徐々に引き上げられていきました。当時は居心地が悪く、チャレンジングなことも多かったですが、本当にこだわって良かったと感じています。

「今より成長したいのなら、自分を成長させてくれる環境に身を置くこと」

これは今でも大事にしている考えです。

③ 目的・目標・ビジョンを明確にすること

「熱意をもって打ち込めるものがない」「今の努力の方向性が正しいのかわからない」といった声をよく聞きます。

ただ、誰しも何かに夢中だった時は、何かしらの目的・目標・ビジョンがあったはずです。例えば、「部活」「受験勉強」「学生実行委員」などです。きっと、時間を忘れて夢中で打ち込んでいたのではないでしょうか?そして、目的・目標・ビジョンがあった方が、日々の生活においてパワフルになると思います。

ちなみに、私の創業時の目的は「貧乏にはなりたくない」でした。そこから読書や人と会話をする中で視野が広がり、目的・目標・ビジョンをより大きく、明確に描けるようになってきました。

こういった経験から、現在は一般向けに開催している朝活の講師も務めています。テーマは「経済」「働き方 / 時間」「仕事術」「コミュニケーション」の4つで、目的・目標・ビジョンのそれぞれの違いについては、「働き方」の講義の中で詳しく解説しています。

最後に

私は人との出会いを通して、今の自分があります。

恩師との出会いを通じて、「悪くない人生」から「最高の人生」にするためにチャレンジしてきました。とても感謝しています。

私のビジョンは、「2027年12月までに豊かな経営者を100人輩出すること」です。世間は案外狭いので、いつか一緒に仕事をする機会があるかもしれませんね(笑)

ぜひ、最大限の努力をしてお互いにチャレンジしましょう!人生は一度きりですから。

今後ともよろしくお願いいたします!

吉川康弘

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