あなたに会えて
昨日、祖父が亡くなった。
99歳の大往生だ。遺族としては、悲しいというよりお疲れ様と言ったところだ。惜しむらくはあと3ヶ月余りで100歳だったのだが、そんなちょっと惜しいところもらしいといえばらしい。何か大きなことをやり遂げるわけではない、でも人よりちょっと幸運だったり丈夫だったり、長生きだったりした。
3年前に長年連れ添った妻であるところの祖母に先立たれ、その時すでに認知症が進んでいたが、やはり寂しいと口にしていた。性格のキツイ祖母だったので二人はいつも喧嘩しているように見えたし、しばしば入院していた祖母がいない間はのびのびしているように見えたが、端からはわからない情で繋がっていたのだろう。生前の祖母も、入院先の看護師さんには祖父のことを「いちばん大事な人」と話していたそうだ。
コロナ禍ゆえ、都市部に住んでいる孫たちは参列を見合わせることになった。地元の親族を中心に、遠方からは実子であるところの叔父だけが参列することになった。残念だが仕方ない。せめてもと弟と連名で弔電を手配したが、弔文を考えながら幼い頃のあれこれを思い出し、ひとしきり泣いたりした。
これが、私のお弔いだ。
今夜は、お通夜だった。参列する必要のなくなった私はいつも通り出社し、GW明けの忙しさでそれなりに残業しつつ「今頃お通夜始まったかな」なんて考えたりしていた。
帰りの電車の中で、父からお通夜の写真が送られてきた。コロナ禍で縮小して執り行うのかと思えば、意外と立派な設えの祭壇だ。遺影は、目を細めた穏やかな顔。短気なところもあったが、私が思い出すのはいつもこの、細い目をさらに細めた笑顔だ。いい写真だった。
父からのメッセージにはこう添えられていた。
”参列出来ない方のため、葬儀を本職が録画します。
次回帰省の折に見ましょう。”
え、撮影すんの?
葬儀って、故人の棺の前でお坊さんが延々とお経を読んでる間に参列者が順番にお焼香してそれが小一時間続いて最後に喪主の挨拶をして出棺するのをみんなで見送るやつだよね?
主役のじいちゃん動かないよ?動画にする必要ある?写真でよくない?
しかも、間が保たないから途中で若かりし日の祖父母の写真とか、家族写真とかが浮かんでは消えるように挿し込まれるんでしょ?
そんなん絶対BGM小田和正じゃん。
いや別に小田和正が悪いわけじゃない。彼は素晴らしいミュージシャンだ。だが、何度も繰り返すが動画である必要はあるのだろうか?
LIVE中継ならわかる。コロナ禍で肩を抱き悲しみを分かち合うことはできないながら、遠方からでも共に泣くこともできるだろう。だが、撮影したものを後日改めて見るとなった時、どうしたってその場のテンションは共有できない。ていうか、どういうテンションで見たらいいんだこれ。しかも小一時間。多分早送りできる雰囲気でもなさそうだし。
お葬式というのはなまもので、ライブ感が大事なのだ。
動画のラストシーンはきっと、アニメーションで光の中から迎えにくるばあちゃんだ。そして、こう締め括られるに違いない。
「天国で、やっと会えたね。」
うち、浄土真宗だけど。
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