イラン旅① めくるめく宇宙を私物化
海の日の三連休に有給休暇をつけて、イランに行ってきた。年末年始にイランツアーに行って、大変気に入ってしまい再訪したのだ。
年末年始の長い休みにはここぞという旅先を選ぶので、いつも「いつかもう一度訪れたい」と思うのだが、マジでもう一度訪れたのはイランが初めてだ。イランは、世界史選択だった私にはペルシャ帝国という圧倒的な歴史的魅力があったし、人々は驚くほど親切で、チーズやハーブがふんだんに使われた食事も意外なほど口に合い、建造物や美術品の美しさに目を奪われた。ツアーでは行程の都合上駆け足で回らなければいけなかったが、特にイラン中部イスファハンの中心であるイマーム広場は、ゆっくり巡りたいと思っていたのだ。回廊に連なるバザールで、ペルシャ絨毯やガラムカール(ペルシャ更紗)を買ったりしたかった。
ちなみにこれまでほかに訪れたのは、ブータン、チベット、ウイグル自治区である。まぁ、遠くはないけれど自力での旅が(ビザや政情的な関係で)難しい場所ではある。チベットはチベット族の自由を制限し情報をコントロールするために、外国人の個人旅行が許可されない。ウイグル自治区も、最近ニュースで取り上げられるようになったがウイグル族に対する弾圧がひどく、それを隠蔽するため外国人に対してはコントロールされた面しか見せられない。いずれチベットと同様、外国人旅行客に対して行動の制限が設定されるだろう。ブータンは少々状況が異なり、伝統文化を守るという国策によって認定された旅行会社を通じてビザを取得する必要があり、現地では国家資格を持ったガイドがついてまわり、現地での伝統や宗教、自然を損ねることの無いよう、作法や敬意の示し方を教えてくれる。これは、異文化に触れる機会としては、とてもいいシステムだと思った。宿泊も食費もオールインクルーシブで、1日定額の料金設定になっている。現地に行ってしまえば全て揃っているので楽ではあるし品質も担保されているが、その分決して安くはない。
その点、イランは拍子抜けするくらい簡単に行ける国だった。ビザは郵送で取得できる。
7/10(水)23:45関空発 エミレーツEK317便
フレックス退社して、一旦家に帰ってシャワーを浴びて着替え、スーツケースを持って一路関空へ。うちからは車で一時間弱。自家用車なので、早朝だろうが深夜だろうが時間を気にせずに済むので便利だ。
今回の旅の仲間は、会社の後輩のSちゃん。春頃イラン旅行を計画していた際、誰か一緒に行かないかなと思ってエレベーターで一緒になった彼女に「イラン行かない?」と軽く聞いてみたら、「行きたいです!」と即答された。自分で声をかけておきながらマジかと思ったが、マジで行くことになった。それまではお互い仲良くはしていたものの一緒にランチもしたことがなかったくらいの距離感だったが、なんというかフットワークが軽いというか人懐こい人の多い会社なのだ。
空港でSちゃんと合流し、エミレーツのカウンターでチェックインした。2時間以上前にもかかわらず、ほぼ満席のフライトはすでに座席は二人並びでは取れない状態になっていた。ドバイ経由のヨーロッパツアーが何組も一緒になっていたようだ。団塊世代以上のツアー客が機内のほとんどを占めていた。私は通路側に、彼女は窓側に、それぞれずいぶん離れたシートになったが、深夜便で寝るだけだし、と割り切った。乗り継ぎ便のフライドバイもエミレーツ系列だったので、バゲージスルーで手続きできた。
ところで、イランにまつわる昨今の情報は、ウラン濃縮だのホルムズ海峡封鎖だの、対米関連でややこしいというか、一触即発で今にも開戦しかねないキナ臭さだ。行くまでニュースをハラハラとしながら注視していたし、経由地のドバイまで行けたとしても状況によってはイラン入国は諦めなければいけないことも想定していた。けれど実際は、ドバイからの乗り継ぎ便は普通に飛んでいたし、空港で「どこ行くの?」と聞かれ「イランのイスファハン」と答えると、「いいね!いいところだよね!」なんて言われる。日本で同じことを言ったら「え、大丈夫なの?」と聞かれるところだ。そのくらい、極東日本と中東では温度差というか地政的な世界観が違っていた。
さて、ドバイの広大な空港に到着すると、乗継時間は十分あったのでまずはイスファハン行きの搭乗口を確認しに向かった。LCCは第3ターミナルで、巡回バスに15分ほど乗らないといけなかった。あまりに遠すぎたし、巨大な工場のようなバックヤードが見えるたびに、こんな複雑な行程を経て自分たちの荷物が乗継便に正しく積まれる気がしなくなってきた。自分の意思を持って移動している自分たちだって迷いそうなのに、どんなロジスティックシステムを導入していればあの辺鄙な場所にあるターミナルまでたった5時間程度で荷物が運ばれてくるというのだろう。軽く絶望したし、もし本当にイスファハン空港で再び自分のスーツケースに再会できるとしたら、誰かを盛大に褒めてあげたいと強く思った。
呆然とターミナルに戻り、プライオリテイカードのラウンジに入った。私がこのカードを持っていることを知って、Sちゃんもこの旅行を前に取得していた。軽食が用意されているので、朝食?昼食?時差の関係でなんの食事かわからないけれど、サンドウィッチとサラダ、リンゴなんかを食べた。中東らしく、デーツが山盛りに用意され、ミントティと一緒にいただき、早速アラブ気分を味わった。
しばしのんびりしたのち、搭乗時間が近づいたためターミナルを移動した。
ドバイの空港は、世界のハブ空港と呼ばれるだけあって、24時間稼働で世界中からの旅客が集まる。特にアフリカや中東では伝統的な生活様式が守られている土地が多いようで、様々な肌の色の、見たこともないような衣装に身を包んだ人々を目にすることができる。身長も体格も様々で、その多様なシルエットが行き交う様は、スターウォーズの場面を思わせた。中には私からしたらギョッとするような衣装の集団(何らかの宗教者だったかもしれない。半裸で白い布を巻きつけただけの高齢男性たちに、お付きの人たちがうやうやしい態度で接していた)もいたが、誰も特に気にかけることはない。この多様な人間が映る視野から見た世界は、たぶん日本で暮らす私たちのものとはずいぶん違うんだろうなとぼんやり思った。
無事飛行機に乗り込むと、隣の席は感じのいいハンサムなイラン人青年だった。アーリア系のイラン人は、びっくりするほど美男美女が多い。彼は綺麗な英語を話し、いくつか言葉を交わした。最近日本に行ったことがあるそうで、とてもいい国で快適だったと褒められた。
飛行機が滑走路に入り、いざ離陸の瞬間、少年がなにかを叫んだ。
「A!$%@*#L$<Q:?*&$@!+$*#ーーー!!!」
すると、まったく関係なさそうだった他のグループがそれに唱和した。
「O@*$^!:$*>?@*$ーー!」
なんやお前ら仲間だったんかい、と思ったが、もしかしたら全く無関係なのかもしれない。よくわからないけれど、とにかく航行の安全を願う祈りのような何かだったようだ。着陸の際にもやっていたし、帰路も同様だった。隣の青年はそこに加わっていなかったのであれは何事かと聞いてみたら、「よく知らないけど、イランの伝統ではああいうのは無い。」と言われた。
2時間弱で乾いた大地が眼下に広がって見えるようになり、イスファハン空港に到着した。再びあの少年が先導する祈りというか叫びにビクッとしながら、しかしパイロットの腕が良かったのか驚くほどソフトに着陸した。
機外に出る前に、イランの法律で定められている通り髪を覆うスカーフをかぶり、飛行機を降りた。ボーディングブリッジという概念がなさそうな小さな空港で、タラップから降りたらバスで運ばれた。むせかえるような高温の空気は、乾いていた。冷房の効いた建物に入りバゲージクレームで荷物を待っていたら、拍子抜けするくらい無事に出てきた。
ドバイ空港で働く人たちありがとう。
そしてアラーを讃えた。
つづく。