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真っ赤な女教師…

第一章 奇妙な女教師


彌生です…

あれは1971年の秋…

社会科の教師が突然妊娠して産休に入り、その女教師はやって来ました…

髪はボサボサ、肩に頭垢が溜まり真っ白になり、何故か膝丈のタイトスカートに何故か「冷え性」なのか、膝丈のズロースを履いていて、子供心に「この人、変な人だなぁ〜〜」と思いました…

よし!!!!皆んな聞け!!!!私は吉田だ!!!!🫵


妙に男っぽい喋り方でますます「変な人だ」と私は思いましたが…


教科書は机にしまえ!!!!わかったな!!!!



なんで?🤷‍♀️なんでなの????私たちは教科書を机にしまった…


これから戦争について語ろうじゃないか!!!
と、急に話だし…



戦争???なんだそりゃ????お父さんがいつも懐かしそうにテレビで軍歌聴きながら語るあるか??

 


私の戦争認識なんてそんなものです…
あの当時の中学生なんてそんな事擦りもしない程考えた事なんて無かったのではないでしょうか?
小さい頃からアメリカのドラマを観て育ち、それに何の不満も不審も感じず、何処の政治家が言う様に「おじいちゃんの代からCIA」だったんでしょうか?自分では全く考えてもいなかったし、却って小さい頃から海外の文化に興味が湧く環境で良かったと私は思っています…


いいか!!!!今日は家に帰ったら、お父さん、お母さんに戦争の時に何をしていたか聞いて来い!!!!それを作文に纏めろ!!!!それが宿題だ!!!!🫵


なんだ?このオンナ…?????


クラスの中はザワザワとしましたが、私は「まぁ、とりあえずは、お父さん、お母さんに戦争について聞いて作文するのが宿題か、わかった」だったんですが…

第二章 両親の戦争体験



家に帰り夕飯の時に「ねえ、お父さんは戦争中は何していたの?」と聞くと…妙に楽しそうに「あの頃の中国の青島は良かったなぁ〜〜」と懐かしそうに語るんですよ、何でも長兄が大出世して豪勢な暮らしをして召使いが作った中華料理が上手くて学校は楽しかったが、戦争に行った兄は戦死して、次の兄は戦争で片目を失ってと懐かしそうに語り、中国からは妹と2人で命からがら逃げてやっと日本に辿りつき、父親が北海道にいるので北海道に行き、そして母の親の経営する牧場に辿りついたそうです…


母は母で牧場の娘だが、戦争が始まる直前まで一家は太平洋の「ポナペ島」にいた事…自分はポナペ島で生まれたから太平洋の洋をとって「洋子」と名付けられた事などを懐かしそうに語っていました、「ポナペ島」?初めて聞いたわ、なんでも戦争が始まりそうだから母の母、つまり私のお婆ちゃんの両親がかなりな金持ちで心配してお金を送り「とにかく帰って来い」と言うから、泣く泣く北海道へ帰り、牧場を買い与えられたそうで、曽祖父は大変な金持ちだったそうです…


祖父はユニークな人だったんでしょうか?北海道からわざわざ太平洋の「ポナペ島」に移住なんて凄いなと思います…




本当に美しい島です、遠浅の真っ青な海…今は「ポンペイ島」と呼ばれているんですね。



こういう高床式の家に住み、毎晩、蟹🦀がゾロゾロと陸に上がりそれを捕まえて食べていたそうです、祖母はよく「死ぬまでにパパイヤを食べてみたい」と言っていました



後に「西武デパート」の青果売り場でパパイヤが売りに出されて、父が「お婆ちゃんが食べたかったパパイヤだぞ」と買って来た時、私たちは「どんなに美味しいんだろう💓」とパカッと割って食べたら、その強烈な臭いにビックリして「こんな物をたべたかったのか?😳」と思いましたが、慣れとは凄い物で今やパパイヤやマンゴーも大好きです、文化って面白いですね。


 


これが母の一族です、母の父は「結核」になり、看病していた姉にも「結核」は感染して亡くなったそうです…昔は「結核」は「不治の病」悲しい少女ですね14歳だったそうです….



これが祖母です「濃い顔」の一族ですね…笑


祖母はとても料理好きな良妻賢母で私の母とは真逆な人でしたが、僅か52歳で胃癌で亡くなりました…悲しい人です夫と娘は結核で亡くなり、自身も若くして亡くなり、あの頃は「お婆さちゃん」ですが、今や私は祖母の亡くなった年齢を軽く超えてしまいました…



そんな事を作文に書いて行ったら…



お前たち!!!!1人1人声を出して読んでみろ!!!


 

当時。私は本当に内気で、授業中に手を挙げられない生徒で、作文を読むのが苦痛なんてもんじゃなく、辿々しく、小声で自分の作文を小声で読みました…



しかし、他の生徒の作文を1人1人聞いていると…
皆んなの親は戦争中に飢えていたのがわかりましたね、そんなに「戦争」は大変なのかと、妙に納得しましたね… 
まだあ「戦争」が身近にあった時代です….


それに比べて、私の母は牧場の娘だから白米を食べて
肉も玉子も食べてオマケにおはぎまで食べて、ハチミツを入れた紅茶を飲むという贅沢な暮らしで、近所の朝鮮人が米を買いに来た話しを笑いながら話していました…


朝鮮人は「朝鮮、朝鮮、バカにするな!!!!」そう叫んで帰って行ったそうですが、父も大笑いで、私は「初めて朝鮮人て聞いたわ、そんな国あるのね」そんな風に思う程「無知」だったんです。



吉田は目を閉じて聞いていて…「いいか!!!戦争なんてするもんじゃないんだ!!!!わかったか!!」と言われました…

 


私がリアルな「戦争」を経験した瞬間でした…



そしてまたまた「作文書いて来い🫵」ですから、吉田は教科書通りに授業をする気持ちは全く無かったんでしょう…



またまた家に帰り夕飯の時に、両親に戦争体験を聞くと
父は懐かしそうに、自分は特攻隊に少年志願兵でいたんだと言いました…


上官が「お前は誰の子だ!!!!」「ハッ天皇陛下の子供であります!!!!」とピシッと敬礼🫡して言わないと殴られまくる事を、懐かしそうに、いや?楽しそうに語るんですよ、あの当時が青春期の人間は「戦争」が懐かしい記憶なんですね…私の夫の父親も軍人でしたが、あの「死ぬ」スレスレの体験を楽しそうに語るんですよ、彼等の「青春」=「戦争」とは理解しがたいですよね。



天皇陛下の子供?あの毎週末、両親が嬉しそうに観ているテレビのあの人か?私は初めて「皇室」なんてものが日本にあるのがちゃんと理解出来ましたね…


吉田はいちいち黒板に生徒の作文をチョークで書き信じられですが、ズロースのゴム紐が緩いのか、ズロースが足首まで落ちているのに気が付かないんですよ、色気もへったくれもありません…

  

なんだ?このオンナ…?私は「尊敬の念」は1ミリもなくて早く教科書通りの授業をして欲しかったのですが、吉田の暴走はだんだん過激になって行きました…


第三章 原爆について



今度は「原爆について調べて来い!!!!🫵」ですから…😰



私は図書館に行き「原爆」について調べましたが、まぁひたすらビックリ🫨しましたね、こんな悲惨な目に日本はあっていたのか?全く知らなかった!!!!教科書には「きのこ雲」の写真が載っているだけですから、リアルを理解していなかったんですよね…

やはり原爆は恐ろしい武器だ((((;゚Д゚)))))
それは理解出来ました…


まぁ、それを作文に書いてまた学校に行く日々…


いいか!!!!アメリカに原爆を抗議したら「お前たちは真珠湾を攻撃しただろう!!!!」だからな!!!
真珠湾での死亡者はたった2400人!!!!!原爆の犠牲者は15万人だ!!!!忘れるな🫵」



そりゃあ、酷い話しだよね〜〜2400人対15万人ちょっといくらなんでも比較にならないよね〜〜なるほど〜〜🤔


第四章 アメリカ映画は観るな


いいか!!!!お前たち!!!!アメ公の映画なんか観るな!!!「戦艦ポチョムキン」を観ろ🫵





こっちはアメリカの「いちご白書」にドハマりして、とにかく、主人公のブルース.ディビソンに恋❤️しているのに
アメ公?酷くない?🤷‍♀️




まぁ、この映画も学生運動の話しですが、私は内容より、ブルースしか観ていなかったですね笑



それをアメ公????私は映画オタクで、あの頃のテレビはアメリカ映画を毎日毎日放映していて、青い瞳、金髪に憧れていましたから、そんな一方的な押し付けは嫌いでしたね…




「戦艦ポチョムキン」は…


確かに映画史に残る傑作だが…




この赤ちゃんの乳母車が階段を一段一段落ちて行くシーンはハリウッド映画「アンタッチャブル」でも再現されましたよね…しかし、あの時代、DVDもスマホもYouTubeも無い時代にどうやって「戦艦ポチョムキン」を観るわけ????そんな映画館あるの?
然も1925年の作品ですよ?どんな「思考」なんだか…



まぁ、私は悔しいが吉田には「違う世界🌎」を教えて貰ったとは思う、だが私は彼女が大嫌いだった…



余りに偏っている…



男子生徒に吉田は人気で特に学級委員なんかやる系の男子は吉田の家に入り浸る子が増えたようだった…
学生運動をやる人はインテリが多いですよね、不思議ですよね…


明らかな「洗脳」なのに…


私はだんだんとウンザリして来た、戦争、戦争も良いが、教科書の授業もしてくれないと、受験に困るじゃん?
私は休みの日は自転車を漕いで図書館に行き、自分なりに
社会科の勉強を始めた…もう自分でやるしかなかった…



ある日、吉田は言った…
いいか!!!!お前たち!!!中曽根康弘を覚えておけ!!!!あれはいずれは総理大臣になる器の男だ!!!私の学校に講演に来て私たちが大騒ぎすると、堂々と東大の校歌を歌って帰って行く人間だ!!!!凄い男だ!!!!🫵







中曽根康弘?誰?それ?その時は思ったが、吉田の予想は当たった、今思うと彼女は「未来」も見据えていたのだろうが、なんせ、その頃はたかが中2だしそんな事に興味は沸かんのよ…いや?中2で興味あったなら、それは凄い子供だと思いますね、私は「平凡」だったんですね…


しかし、後にその通りになり、私はその時に吉田の言葉をありありと思い出した、中曽根康弘首相は元軍人だし、肝っ玉が座った歴史に残る政治家になった… 



しかし、彼女の身なりの「だらし無さ」ね、髪の毛ブラッシングしているのかね?フケだらけだし、ズロースはスカートからいつも下がっているし、今でいう「ダサい」の極み、もう少しみてくれに構っていたら私は少しは彼女に興味を持ったかもしれない…
 


ある日、またまたゴムが緩いのかズロースが足首まで落ちているのに気付かず、平気で熱弁を振るいながら、黒板に文字を書いているから、一番前の机の女子が「あの、吉田先生…落ちてます…」そう言うと、彼女は「わかっている!!!」そう言いながら黒板に黙々と文字を書き続けた…


なんだ????このオンナ…
ズロースぐらいちゃんと履けよ!!!!だらしない!!!!気持ち悪い!!!!



キモいオンナだわ〜〜よく男子たち、こんなオンナの家に遊びに行くよね〜〜、その当時、かなりな男子が吉田の家に入り浸っているのが増えて行った様だ…



ある日、吉田は自分で宣言した!!!!「そうだよ!!!!私は赤🟥だよ‼️」男子は「オォ〜〜」と拍手喝采👏👏👏👏👏



気持ち悪い空間が出来つつあった…



だんだん男子は洗脳されていった…



私が今も共産党系が大嫌いなのは、この時の経験が大きいこの徐々に「洗脳」が一番怖いと思う…



だいたい私は「皆んな平等」という思想は嫌いだ、以前の「ゆとり」教育は徒競走もゴールは皆で手を繋いでなんてちょっとおかしいと思う、駆けっこの才能のある子の「芽🌱」を詰まないか?そう思う、中国も一昔前は国民は
「人民服」を着ていたが「お洒落」したい人には「苦痛」でしかない、私は自由な日本に生まれて本当に良かったと思っている…



「日教組」の批判では無いが、未だに「君が代」を歌わない学校もある様だが、なんで?🤷‍♀️なんで日本人なのに「国歌」を歌わない訳?そこら辺の思考がわからない…



ワールドカップなんか観ると、国家が流れて、選手の方々が左胸=心臓に手を当て皆んな目を閉じて国歌を堂々と歌う、あれが正解だと思う、日本は少しおかしいと思う、いっ時、中田選手が「何故、国歌を歌わないんですか?」と質問されて笑いながら「だってダサいじゃないですか」と答えているのを観て、それも不思議だった国歌とは「ダサい」や「カッコいい」とは別次元の話しではないのか?



私はヨーロッパに10代で初めて行ったが、日本が一番良い国なのが分かった、食事はいろいろな国の物が食べれるし、コンビニなんかのサービスも素晴らしいし、トイレはウォシュレットだし、電車もバスも時間通りに来る国なんてそうそう無いと思う。もっと日本人である事を誇りに思っても良いと私は思っている…



批判ばかりして「愛国心」が無い政治家は嫌いです…吉田のおかげで私はそういう事を正しく学んだと思う、吉田は私の「反面教師」だ…



ある日、吉田は私たち生徒に質問した…



お前たち!!!!どこの政党を支持する?🫵



皆んな1人1人ゆっくりと立ち上がり…


…社会党です…吉田は皆んな拍手だ!!!!
 皆んな拍手👏👏👏👏と叫ぶ…



次は?🫵
…共産党です…皆んな拍手👏👏👏👏とまたまた叫ぶ…



次々に皆んな答えて言った…いや?本心なのかよ?私は疑問を持って見ていたが、いよいよ私の番が来てしまった…



彌生はどこを支持する🫵




こりゃ困った!!!!どうする?彌生!!!!



…わかりません♪♪♪♪わざと明るく言ってやった!!!!私の精一杯の抵抗だった…



なんだと!!!!わからない????じゃあ、今、何の本を読んでいる🫵

 

…マーガレットです…大好きです…
クラス中が揺れた、男子たちは私に消しゴムを投げつけた…




だって本当だもん💢少女マンガ読んでいるのに政治に興味なんかねーんだよ!!!!💢




西城秀樹が大好きなのに、政治に興味なんか
ないの!!!!彼の新曲に興味あるの!!!!



この長い脚が大好きなの!!!!!






モンキーズが大好きなの!!!!!
だから共産党なんか嫌いなの!!!!😝



ここまでは言わなかったが、日頃大人しい私のこの本性にクラス中はビックリした様で、ますます孤立して友達は出来なくなったが、私は自分がミーハーで良かったと思う…洗脳されなかったからね…



吉田は叫んだ「彌生!!!!お前反省文を書け!!!!🫵」吉田からみたらミーハーは私は「異端児」だったのだろう…



私はせっせと「反省文」を書いたが、何故「反省」しないといけないのかサッパリ分からなかった…



ここは自由の国なんじゃないの?政治なんかもっと大人になってからで良くない?吉田のヤツ、いちいち自分の考えを(思想という言葉も知らなかった)押し付けてさぁ〜〜
おかしいよ、平等って何?平等って、皆んな何故、同じにならないといけないの?そう思った…



確かに戦争はいけない事だ、私は吉田からこれを学んだのは本当に良かったと思っている…
吉田から学ばなければ、今頃は「時事ネタ」を
TiktokやYouTubeでやっていなかっただろう、しかし、私は偏った考えは嫌いだ、常に
真ん中にいる様に心がけてるいるつもりだ…



あとは「宗教」も嫌いだ、あれがあるから世界中に紛争が絶えない、あんなもの無くなれば良いと思っている…しかし人間は何かに「依存」しないと生きていけないので、無くなりはしないだろうな…



まぁ、こんな人間になれたのは思春期に吉田に出逢ったからだろう、そういう意味では彼女は「良い教師」だったんだろうと今は思う…



ある日、吉田はいきなり学校に来なくなった、男子たちが言っていたが「公安」に捕まったそうだ、なんでも学生運動していた、ある犯人を匿ってあげたのがバレたらしい…



私は「公安」が何なのかもサッパリ知らなかった
我ながらアホだと思う…
男子の「意識高い系」は署名運動をして何とか吉田を助けたいと思った要だが、私は無視した…



吉田をそれ程好きじゃなかったし、そんな事をするのも嫌だった… 



吉田がその後どうなったのかは全く知らない

 


私たちの前から吉田は消えて、学校側にも父兄からかなり苦情が来ていた様で次に来た社会科の教師は「普通」だった余りに授業が遅れているので、かなり焦って授業を進めて行った…


彼は一度も「戦争反対」とは言わなかった…
それはそれで、ちょっと物足りなかった…
あの時、1人1人、「社会党」「共産党」と言っていた人たちは今頃どんな思想で生きているのだろうか?ふと、思う時がある…


吉田は私に「戦争」の恐ろしさや「原爆」の残酷さを教えてくれたその点は感謝はしている…吉田はまだ生きているのだろうか?今ならもっと真面目に吉田の話しに耳を傾けられるかもしれない、しかし、彼女の思想は好きにはなれないだろう…


吉田よさらば…



私はまた「マーガレット」と「明星」を
読み始めた…


続きます…


#創作大賞2024 #エッセイ部門


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